つないでいくためには続けていかないと

所属している合唱団麗鳴の活動は、7月に一度だけ会場練習が出来て以降、再びオンライン練習に戻さざるを得なくなってしまいました。自分は合唱団の「練習責任者」という立場なので、オンライン練習の内容を指揮者の先生と相談しながら作っていかないといけないんですけど、正直オンライン練習のネタを考えるのも結構大変。指揮者の先生に楽典の講義をしてもらったり、ピアニストの先生に協力していただいて自宅練習用の伴奏音源を作成してもらい、これを伴奏にオンラインで歌ってもらったのを先生に講評していただく、とか、個々人が歌った音源を伴奏に合わせて歌ってもらう、とか、色んな工夫を考えながら、とにかくなんとか合唱団として歌に向き合う時間を確保しようと必死。

もちろん、音楽も含めてパフォーマンスの道ってのは奥が深くて、山頂に向かって歩む道は無数にある。オンライン練習の中で初めて自分の歌唱録音に向き合った団員さんもいて、自分の歌を客観的に確認するいい機会になったりするし、歌を作り上げていくプロセスでオンライン練習が無駄とは決して思わない。それでもねぇ、合唱団ってのはやっぱりリアルな練習会場で同じ空気を複数の声で振動させることで生まれるカタルシスが一番なんだよねぇ。それを奪われた喪失感をオンライン練習で補うことなんて絶対できない。

でもね、オンラインでも何でも、続けなきゃいけないと思うんです。続けないと、止めてしまうと、つながらないから。そこで切れてしまった絆をもう一度つなぐのは本当に大変なことだから。それは色んなパフォーマンスアートや技術に共通する話で、様々な職人芸がその芸が支えていたビジネスが衰退するに従ってどんどん失われていくのと同じ構図だと思う。一度切れてしまうと細かいノウハウや知見が失われてしまったり、そこで切れてしまった人間関係が元に戻せなくなったり。会社で仕事していると本当によくある話ですけど、例えば3年前にあったイベントと同じ種類のイベントをやろう、という話になった時、人事異動だの退職だので、そのイベントを経験したことがある社員がいなくなっていて、どうやればいいのか、協力してくれる業者さんの連絡先も失われてしまって、現場がパニックになる、なんてことはよくある話。

それと同じようなことが、コロナによって断ち切られたパフォーマンスアートの現場で一杯起こっている気がする。続けないと、つながらない。その強い思いで、現場は必死に知恵を絞って、入場人数制限をつけたり、配信ライブを組み合わせたり、なんとか「ライブ」という文化をつなごうとしている。観客や聴衆の一人としては、そういう舞台活動をチケット購入という形でなんとか支えないといけない、って思う。

話が急に飛ぶ、と思われるかもしれないですけど、今日閉会式を迎えるオリンピックだってそうだと思うんですよ。サッカーや野球、バスケットボールといったプロリーグで日常的に注目されて、ルーティンとして「つないでいく」仕組みが出来上がっている競技と違って、オリンピックでしか注目されない競技の愛好者にとって、オリンピックというのは競技に注目してもらって競技人口を確保する、まさに「つなぐ」ためのシステムなんだと思う。東京五輪について開催の可否を云々する様々な意見があったのは十分理解できるけど、無観客であろうがこの大会を開催できたことは、きちんとその競技を未来に「つなぐ」ことができた偉業だったと私は思います。

ついでにもっと話を飛ばせばね、今日配信で見た、STRAYDOGプロデュース、「夕凪の街 桜の国」の舞台の感想にもつながるんです。「この世界の片隅に」の原作者、こうの史代さんのコミックスを原作とするこの舞台で取り上げられていたのは、原爆という人類が自ら生み出した最悪の悲劇を伝えよう、想いをつなごう、という意思。あの悲劇の中で虫けらのように焼き尽くされた人々の命の分まで今の自分たちが生きるために、つないでいかなければならない想い。被爆地の現場にいなかった僕らがその想いをつなぐために使えるのは、言葉と、その言葉から想起される想像力しかない。そしてそんな言葉や想像力を最大限刺激してくれるパフォーマンスとして、舞台ほど力を持つものはないと私は思うんだけどね。

想いをつなぐ、というのは、自分の遺伝情報を未来につないでいこうとする生物の本能に根ざした人間の根源的な欲求だと思う。スポーツにせよ、舞台にせよ、自分はいまここに存在していたのだ、ということを後世になんとか残していこうとする人間の本能に根ざしたモチベーションに支えられているのだろうな、と思う。でも人間はそうやって過去の人々が残してくれた遺産や経験の上に立って、さらに上の高みを目指してきたのだし、もう60歳近くなってそろそろ残り時間が少なくなった自分も、なんとか自分が関わってきた舞台芸術や音楽の素晴らしさ、自分の知る人類が犯した悲劇や人類が成し遂げた偉業や感動を後世に伝えるために、できることを日々続けていかないといけないなって思います。