クラス合唱嫌い

娘の通う学校では、中学校の3年間、各学年の締めくくりとして、3月にミュージック・フェスティバル(略してMF)というものが開催されます。中学1年生から3年生まで、各クラスがクラス合唱をやり、学年賞などを競うもの。娘は両親が歌にうるさいせいもあって、「自分は絶対歌は歌わん」と決めていて、結果、クラス合唱は嫌い、このMFも大嫌い。にも関わらず、中学生活最後となる今年のMFでは、なんと自分から志願して、クラス合唱の伴奏ピアニストをかって出ました。いわく「これなら歌わないで済むから」だと。まぁそれだけが理由じゃなくて、通っているピアノ教室の秋山先生のお勧めもあったみたいですが。


本番舞台は多摩センターのパルテノン多摩です。

伴奏したのは、松下耕作曲「信じる」。私も混声版を歌ったことがあって、家で娘が練習する時には、夫婦そろってピアノのそばで張り切って歌いました。「パパとママの方がクラス全員よりうるさい」と文句を言われました。すみません。自分が歌ったことのある合唱曲を娘が伴奏している、というのは意味もなく嬉しいもので。

この手のクラス合唱というのは伴奏ピアノがこけると回復が難しい、ということもあり、娘にかかるプレッシャーは半端なかったようで、本番数日前から緊張し続けた娘は、本番直前には泣き出しちゃったり、大変だったみたい。女房が撮ってくれた本番の映像を見ると、舞台に出てきた時は死にそうな顔になっていた娘が、客席の方を見てなんだかニコニコ笑っている。聞けば、客席にいた親友が、ヘン顔して笑わせてくれたんだって。

猛練習の成果と、いい友達がリラックスさせてくれたおかげもあってか、ピアノは破たんもなく、親バカかもしれんけど、娘らしいフレーズ感のあるいい伴奏でした。クラスは入賞はできなかったけど、娘はかなり達成感があったみたいです。

女房は、「あまり訓練されていない中学生がまっすぐ歌う合唱曲はしみるなぁ」と感激しながら帰ってきました。ただ、合唱指揮者としての経験からか、娘以上に、クラス合唱とか、学校合唱コンクールとかにはちょっと違和感があるんだって。「そもそも生徒に指揮をさせる、というのが気に入らん」と。

「数学にしたって、国語にしたって、生徒が教壇に立って指導したりしないでしょう。なのに合唱指導を生徒にやらせるってのは、合唱指導や合唱指揮、というのは、専門的なスキルを学んでいない生徒にだって出来るものだ、と、あなどっているんだと思う」

私も時々合唱団員の皆さんの前に立って練習を仕切ったりすることがあるんですけど、合唱指導、というのはかなり特殊なスキルだなぁ、と実感しますし、自分のスキル不足に激しく自己嫌悪に陥ることもしばしば。発声技術や音楽に対する知識、タクティングなどの指揮技術、といった技術的な部分はもちろん最低限の必要条件だし、とにかく優れた耳がないと絶対に務まらない。人間の身体、という楽器の特性で、その日の気分や、ひどいときには人間関係までが音に影響するから、練習というイベントを演出し、盛り上げる「イベントプランナー」のような能力も必要。「あの生徒はリーダータイプだから、指揮者もできるだろう」なんていうのは根本的に考え方が間違っている。

自分で音楽を奏でたり、合奏する楽しさや、声楽を身近に感じてもらえるいい機会ではあると思います。クラス合唱、というのはどの学校でも盛んですし、クラス合唱のための曲集、なんてのも大量に出回っていますから、音楽業界に与える貢献度、というのも無視できないでしょう。でもやっぱり、指導は音楽の先生がちゃんとやらないとダメなんじゃないかなー、と思います。確かにどの学校でも、音楽の先生は、少ない授業時間の中で、「楽典もやれ」「和楽器もやれ」「部活もやれ」「あれもやれ」「これもやれ」と言われて気が狂うと思うけどさ。逆に、自分が忙しいから指導は生徒に任せるしかない、という環境なんだったら、クラス合唱はやらない方がいいのかもしれないよね。あるいは指揮者をやる生徒全員に徹底的に指揮法を教えるとか。何にせよ、クラス合唱ってのは、本当はそれなりに覚悟を持って取り組まないといけないものなのかもしれない。

女房がクラス合唱が嫌いなのには、児童合唱から合唱に携わってきた人間なりの知見があるようなんですが、娘のクラス合唱嫌いの一番の理由は、最近のJ−POPっぽい軽めの合唱曲が好きになれない、というのがあるみたいです。もっと重厚なクラシック合唱曲がいいらしくて、「ブラームスとかシューベルトとかばっかりだったらいいのに」とブツブツ言ってます。19世紀に生まれていればよかったのかねぇ。そしたらクラス合唱もなかったろうねぇ。