2018年度のさくら学院を押し上げた、転入生たちと日高真鈴さんのこと

 

先日のFreshマンデー全員集合回や、その前の週の中三回、アイドル三十六房など拝見していて、なんとなく思ったこと。2018年度のさくら学院の魅力の一つは、間違いなく転入生3人が生み出していて、それを引き出せたのは、日高真鈴さんの存在が大きかったのかもしれない、と。(日高の高ははしご高、以下同様)

 

2018年度の中三3人の個々の能力の高さ、というの勿論あるのだけど、2018年のさくら学院のパフォーマンスの魅力は、この3人の能力の高さだけでは説明できなくて、むしろ個々の個性の魅力が強烈に輝いているところにある。2017年のBDと比較しても明らかに違って見えるのは、フォーメーションの美しさが多少犠牲になったり、あるいは多少のポジションのミスがあったとしても、恐れたり萎縮することなく自分を表現しようとする意欲がメンバー一人ひとりにあふれていること。そういう2018年度の魅力って、新谷生徒会長の控えめな性格によるのかな、とも思っていたのだけど、先日のFreshマンデー全員集合回を見ていて、むしろ転入生3人の存在が一つの大きな要因なのかも、と思った。

 

既にある程度の芸能界でのキャリアを持っていた野崎結愛が、完成されたプロフェッショナリズムで、積極的に自分を前に押し出そうとするのは勿論なのだけど、野中ここな、白鳥沙南の中一コンビが、とにかくガンガン前に出てくるのがすごい。野中さんの弾けたキャラクターは、学院祭の「なすお」で大爆発したけど、彼女の魅力はそれだけじゃない。アドリブで選んでくる言葉のセンスの良さ、ダンスの中に自分なりの物語を作り上げている表情の豊かさ、まだ粗削りでしょっちゅう破綻するんだけど、そこかしこに原石の輝きが見えるのを、まず迷ったらやってみよう、という思い切りの良さで前に出してくるのが素晴らしい。

 

白鳥さんは、そういう自己表現の部分ではまだ発展途上で、学院祭で折角「ペリーさん」ネタのコメントを振られたのに言葉が出てこなかったり、ダンスの時の表情も少しまだ単調だったりする。でも、負けん気の強さと意欲は野中さんに全然負けていないし、そして何より、日本人離れした透明感と品のある美少女ぶりが異次元。自分の未熟さについてもしっかり自己評価ができる方なので、この人も今後の成長ぶりがとっても楽しみ。

 

この3人の転校生がガンガン積極的に前に出ようとして、自然と、八木美樹さんや田中美空さんが押し上げられてくる。そういう下級生の積極さがあって、個々の能力の高い中三3人になんとか追いつこうとする中二4人の努力が積みあがる。そこに、「それぞれの個性を爆発させても、それでも高いレベルのパフォーマンスの軸がぶれない」という一つの理想的なロールモデルとして与えられたのが、はみ出せ委員長日高真鈴なのじゃないかと。

 

日高さんの天然の癒しオーラや、超マイペースなキャラが、年度初頭で自分の立ち位置に悩んだ麻生さんや新谷さんの救いになった、というのは、三十六房でお二人が言っていたことだけど、転入生の、時には破綻(はみ出)しながらもガンガン前に出よう、という姿勢を支えたのも、実は日高さんの存在だったのかも、とも思う。それで完全に破綻してしまったらロールモデルにならないんだけど、日高さんの安定した歌唱とキレキレのダンス、どんな非現実的な設定でも自然に演じてしまう演技力、そしてそういう高い能力を日々進化させる努力が、転入生や下級生の自由度を上げながら、パフォーマンスの質を高めていく推進力につながったのじゃないかな、と思うんです。それにそもそも日高さんは、実はそんなに「はみ出し」ていない部分もあって、アイドル三十六房でのMV解説で一番常識的なコメントをしていたのが日高さんだったり、Freshマンデーのプレゼン回でも構成のしっかりしたプレゼンのできる自己プロデュース能力の高い人。そういう人が天然にボケてくる部分を、「それでいいんだよ」と肯定したのが、「はみ出せ委員長」という役職で、それが個々のメンバーの自由度を引き上げたのだったとしたら、間違いなく2018年度の職員室の生徒会人事のスマッシュヒット。

 

森先生は以前から、「役職が人を作るんじゃない、人がその年度の役職を作るんだ」とおっしゃるけど、「はみ出せ委員長」という、何をやればいいのかわからない役職を与えられて、「ほっとした」と言った日高さんが、2018年度の中三の緊張感を救い、下級生の個性の爆発を導いたキーパーソンになったのかも、と思います。だとすれば、昨年の「顔笑れ委員長」岡崎さんが2017年度のさくら学院の危機を救ったのと同じ構造が、ここでも現れて見えるよね。組織を安定させるのに、一人、その組織のシステムに捕らわれない自由なポジションを持つ人がいるとよい、という説をくみ上げたのは、マイケルクライトンの「アンドロメダ病原体」(オッドマン仮説、と言いましたね)だったですけど、日高さんは、2018年度のさくら学院において、オッドマンとしての役割を担い、それを見事にやり遂げた、と言えるのかもしれない。

 

さくら学院について語ることって本当に尽きないんだけど、2018年度ももうすぐ終わりだなぁ。卒業公演も、びっくりするくらい良席が確保できて、2018年度のくじ運の強さに驚いているんだけど、そういう縁で結ばれた2018年度、しっかり最後まで見届けなければ、と思います。

新谷ゆづみさんがとにかくよい

3月に入ってから、さくら学院のアウトプットがマシンガンのようで、職員室が今年のアルバム「Life~色褪せない日々~」を本気で販促している様子が見える。3月3日の「歌の考古学」には参戦しなかったのだけど、同日の「HOTWAVE」、「あしたの音楽」、4日の「ぼっちでマンデー」、7日の「ラジオ放送室」、9日の「もちこみっ」、10日の「タワレコTV」、11日の「Freshマンデー」の中三回、14日の「ラジオ放送室」、と、どれもこれもお宝映像や音源がいっぱいで、追いかけるのが大変。夏のTIFがなかったことを含めたこれまでの露出の低さを補完している、という要素もあるのだろうし、Freshマンデーだけに露出チャンネルを依存するのじゃなくて、他にもチャンネルを広げていくことで、来年以降の活動につなげていこう、という思惑も垣間見えるんだけど、一方で、「Life~色褪せない日々~」というアルバム自体の完成度の高さに、職員室も、「これを本気で売らなきゃ」と思ってるんじゃないかなぁ、と思ったり。「clover」や「carry on」など、歌唱力のある中三生を中心に、1980年代サウンドへの回帰に挑戦して、それがノスタルジックに成功している、本当にいいアルバムで、何度聞いても心地よい。

で、この怒涛のようなアウトプットの中で、今年の生徒会長、新谷ゆづみさんがその魅力をどんどん増していて、いまやすっかり推しメンの一人ですよ。スタンディングライブでその天使の目線に虫ケラと化しちゃう以前から、ちょっと古風ないい感じの美少女だなぁ、とは思っていたけど、そんなに強烈にキャラの立った人とは思ってなくて、真面目さだったり、高い演技力ばかりがクローズアップされていた。でも、先日の「Freshマンデー」の中三回で、田中美空さんばりの自己評価の低さと中二病ぶりが露呈して、承認欲求と劣等感の間で揺れ動く姿が、私含めた多くの父兄さんたちの保護者魂を無茶苦茶くすぐっている。なんかねぇ、劣等感とプライドの高さの間で戦い続けた中元日芽香さんに重なって見えるんだなぁ。ちなみに全然関係ないけど、麻生さんが時々「Freshマンデー」で見せる、くしゃっとしたキュートな笑顔も、ひめたんに時々すごく重なって見えるんだ。関係ないけど。

昨年の岡田愛さんが、同じような自己評価の低さを、負けん気の強さから山出さんへの対抗意識に昇華させて、独自のしっかりしたキャラを作り上げていたのに比べて、新谷さんはそこまで上手に割り切れない不器用さがあって、麻生さんに対抗意識をむき出しにするよりも、最初から「真彩はすごい」と白旗を上げて自分を引いてしまう。でも追い込まれた時の爆発力や、飾らない感情を素直に表現した時の表情の美しさは中三生3人の中でも図抜けていて、それが分かっているから、職員室は彼女を生徒会長にしたんだろうな、と。

年が明けてから、新谷さんが感情ミルフィーユで、涙腺バカバカになっている、というのは、そういう自分を出してもいいんだ、と、どこかで抑制が自由になった結果なのかもしれない。そのきっかけが、例の学院祭の寸劇だったとしたら、前にもこの日記に書いた、「フィクションが現実を侵食する」さくら学院というグループの特性がここでも現れているのかもしれない。そしてまた、その新谷さんの泣き顔が本当に美しいんだ。

もちろん、自分的には今でも一番推しは麻生さんなんですよ。学院祭の寸劇で、新谷さんの涙ばかりがクローズアップされているけど、新谷さんの演技を受けた麻生さんも、しっかり頬に涙を伝わせているのをちゃんと確認している父兄さんは沢山いると思うし、個人的にあの寸劇の一番の泣きポイントは、「secret base」を歌う麻生さんが、新谷さんの座る椅子を愛おしそうに振り返って見つめる瞬間で、演技力、という意味では、タイムリープだろうがビンタだろうが、どんな非現実的な設定でも、神がかった自然な演技を見せられる日高さんを加えて、この中三3人は間違いなく、さくら学院史上最強だと思う。

森先生も、新谷さんに自信を持ってもらおうとして「Freshマンデー」で色々おっしゃっていたんだけど、自信満々に押し出していくのは新谷さんに似合わないし、「言っていいのかなぁ」が口癖の新谷さんも、多分父兄さんたちは大好きだと思います。3月26日のスタンディングでの今後の進路発表まで、父兄さんたちは(俺も含めて)みんなヤキモキするんだろうけど、新谷さんのぬくもりのある声としなやかで柔らかいダンス、そして、ゆづ角含めてどこから見ても愛らしいルックスに癒される人は沢山いる、ということだけは、本当に自信持ってくれていいと思うんだよね。3人とも、これから3月末まで全力で駆け抜けた後も、絶対幸せになりますように。

さくら学院、森萌々穂さんと新谷ゆづみさんの絆について色々

2018年度のさくら学院、卒業が次第に近づいてくるにつれて、先週末の3月3日には、ここまで詰め込みますかね、というくらいにイベントが重なっていて、父兄がかなりざわついたんですけどね。個人的には、麻生さんのラジオ番組「あしたの音楽」への単独出演が決まったところで、さくら学院の職員室の実力に、なんだか安心した、というか、職員室は、本当に、生徒たちの個性をどうアピールするか、という点について、業界への売り込み方も含めてものすごくよく考えてくれているな、という気がしました。もう外野の我々が四の五の言うのはやめて、さくら学院の職員室含めたアミューズのマネジメントに任せよう、と。父兄の間で賛否両論が出た、先週の「Freshマンデー」のマナーの授業のサプライズにしてもね、あれは新谷さんの魅力を一番引き出そうとした企画だったと思うんですよ。その前週に日高さんの「マリンポッター」の回があって、来週は麻生さんの「ぼっちでマンデー」があるよ、と言うタイミングで、じゃあ新谷さんの魅力を一番引き出すことができて、父兄さんが喜ぶ企画、と考えたときに、アドリブに弱いけど、逆にアドリブのパフォーマンスを求められた時の困惑と思い切りの狭間で揺れる万華鏡のような豊かな表情の変化が、新谷さんの一番の魅力だ、ということを、職員室は十二分にわかっていたんだと思うんです。実際、あの回は、新谷さんの、本人にも気づかないような魅力がいっぱい出ていて、先日のオルスタで、新谷さんの天使ぶりに、もう汚れたオレは消えてなくなりたいと思った父兄の一人としては、本当に文字通りの神回だったと思うんだよね。最終的にドSの諏内先生も新谷さんを一番評価していたし、そういう点でもあの回は新谷さんのために企画された回だと思う。麻生さんをトーク委員長に任命した時点から、新谷さん日高さんの映画デビュー、麻生さんの「あしたの音楽」に至る道筋、全てにものすごく納得感があるし、職員室は本当に生徒さんたちをよく見てくれているなぁ、と思う。信じてますからね。麻生さんの才能と笑顔を、しっかり世に出してやってください。Babymetalで水野由結さんを擦り減らしてしまった反省をしっかり踏まえて、この天使たちの笑顔を守ってやってください。

ということで、今日も書きたいテーマは、さくら学院なんですけどね。今日は、森萌々穂さんに焦点をあてたいんです。四人の個性が本当に四人四様で、来年度の生徒会が楽しみで仕方ない中二ーずの中で、個人的に一番の推しは、何といっても美人度とお笑い志向のギャップと、素になる瞬間の可愛らしさの破壊力がハンパない有友緒心さんなんだけどさ。最近、森さんが気になってしょうがないんだ。裏番、とも言われる周囲への影響力や美術部を実現してしまうプロデュース能力の高さ、そしてその裏で、2018年学院祭でテンパってしまったり、公開授業で新谷さんへのサプライズを聞かされて泣いてしまったりするメンタルの繊細さ、そのアンバランスさが気になってしょうがない。2018年度卒業式で、ひょっとしたら、森さんに一番泣かされちゃうかも、という予感がしてしょうがないんですよ。同期転入でもあり、同じ美術部の部員でもあり、そして何より、演技力を武器にする森さんにとって一番身近な目標である演技派、新谷さんの卒業を目の前にして、ああ見えて意外と繊細なメンタルの森さんが、最後までちゃんと平静でいられるんだろうか、って。

そういう、学年違いの転入同期の絆、というのは、さくら学院の創立当初からあった構造で、武藤彩未さんと中元すず香さん、中元さんと杉崎寧々さん、磯野莉音さんと田口華さん、倉島颯良さんと岡田愛さん、とつながってきた絆の構造。それが最も明確、かつ言語化されたのが、岡崎百々子さんと麻生真彩さんの関係で、麻生さんが2017年度卒業式で振り絞るように語った、「全部一緒だったのに、学年だけが違った」という言葉が全てを端的に言い表している。同期転入で、自分の半身とも思える存在が、一年先に卒業してしまう、という残酷な現実。こういう言葉を選べるという一点だけでも、麻生さんという才能を埋もれさせちゃいけない、と本当に思う。そして同じKYGの文脈で、2018年度の卒業のタイミングでは、麻生真彩さんと藤平華乃さんの絆の方が注目されているとは思うんですけどね。でも、ここで焦点を当てたいのは、森さんと新谷さんの絆についてなんです。

森さん、という人は、さくら学院に転入する前に、森先生脚本監督の短編映画「日曜日」(これがまた素敵な短編映画なんだ)のヒロインに選ばれていた、という時点で、黒澤美澪奈さんとまではいかないまでも、相応の実績と実力を引っ提げて転入してきた人だと思うんです。転入時点からそうだったわけだし、転入後も、PanasonicのCMにレギュラー出演するなど、他の同級生からはキャリアで一歩先んじていた人だった、と思うし、自分でもそういう自覚や自信があったと思う。さらに学年末テストで常に上位をキープしている聡明さも加えて、森さんの上から目線の発言とか、独特の毒舌とかのベースが形作られているんだろうな、と思う。

そんな森さんが、同期転入で一年上の新谷さんに対するときの態度、というのが、すごく面白い。藤平華乃さんと麻生真彩さんの関係と並べてみると、藤平さんが麻生さんへの尊敬と愛情をすごく真っ直ぐに表現するのに反して、森さんは新谷さんへの愛情をあまり素直に表現しない。新谷さんを「づみん」呼ばわりしながら、どちらかというとちょっとコケにしたりとか、屈折した感情を見せることが多い。でも間違いなく、森さんは新谷さんをものすごく尊敬(崇拝)しているし、あこがれているし、何より新谷さんという人が大好きなんだ、ということが色んな瞬間にちらちらと見える。藤平さんと麻生さんのように、はっきり見えるのではなくて、「ちらちら」と垣間見えるのがまたとてもよいのだよ。

そう思って見てみれば、森さんが新谷さんに憧れるのってすごくわかるんだよね。キッズタレントの頃から場に恵まれて、最初は努力よりも素質でポジションを得ることができたのかもしれない森さんにとって、努力で今の場所を勝ち取り、森さんが勝負している演技の分野で、自然とも作為ともつかない次元の違う演技力を見せる新谷さんというのは、間違いなく目標にするべき人だし、森さんが新谷さんの努力と謙虚さを見習ってきたからこそ、今のさくら学院の中の森さんのポジションと、ステージ上で時折見せる、はっとするようなパフォーマンスがあるのだと思うし。

最近巷では、「若おかみは小学生」をきっかけとして、「百合」がバズワードになっているようですが、さくら学院、という場所も、学院祭の「サクラデミー賞」の男装した生徒とのラブシーン、という、無茶苦茶百合っぽい企画を中心に、大変「百合」っぽいグループだとは思います。森さんと新谷さんの関係を、そういう視点で見て萌えるのもいいけど、それ以上に、自分の理想に向かって努力する中学生の少女が、一つの理想形を、目の前で顔笑る先輩、という具体的なロールモデルとして与えられて、その先輩に、憧れと尊敬と愛情を抱く姿に、なんだか青春の忘れ物を取りにきたような気分にさせられてしまうんです。

森さん、今のあなたは、新谷さんとは違う色と光で、本当に輝いていると思う。新谷さんの背中を追いかけていった成果が、あなたらしい自分星で輝き始めているのをみんな知っているし、そして何より、新谷さんはちゃんと見てくれていると思う。新谷さんの最後のステージを、中二としてしっかり笑顔で支えてあげてください。でも、最後の卒業生へのメッセージでは、思いっきり泣いていいと思うよ。そういう森さんのことを、多分、新谷さんは、本当に優しい笑顔と涙で受け入れてくれると思うから。

モニューシュコ「幽霊屋敷」~音楽って、力だよね~

24日(日)、女房が出演した、モニューシュコのポーランド歌劇「幽霊屋敷」を見てきました。理性を超えて、血に直接訴えてくる音楽の力に感激。

 

ミェチニク【ハンナとヤドヴィガの父親】:杉野正隆
ハンナ【ミェチニクの娘】:津山恵
ヤドヴィガ【ミェチニクの娘】:石井真
ダマズィ【ミェチニクの家来、お洒落な弁護士】:西岡慎介
ステファン【軽騎兵、ズビグニェフの兄弟】:園山正孝
ズビグニェフ【軽騎兵、ステファンの兄弟】:三塚至
チェシニコーヴァ【ステファン、ズビグニェフの伯母・伯爵夫人(未亡人)】:栗林朋子
マチェイ【チェシニコーヴァの老召使い】:小畑秀樹
スコウーバ【ミェチニクの召使い】:中川郁太郎
マルタ【ステファン・ズビグニェフのハウスキーパー】:大津佐知子
ジェシ【農夫】:櫻井淳
スタルシュカ【老女】:田中美佐子
 
音楽監督・指揮:今村能
管弦楽:フィルハルモニア多摩
合唱:多摩フィルハルモニア合唱団

 

という布陣でした。

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今村先生を囲んでの歌い手集合写真。本当に素晴らしいパフォーマンスでした!

 

少し前に、英語の勉強で見ていた、TEDというプレゼン番組で、アメリカの音楽文化を彩った様々なダンス音楽が、アフリカの民族音楽にルーツを持つのだ、というプレゼンを見たことがあります。例えばツィストは、コンゴから連行された奴隷が、自分たちの故郷で踊っていたダンスをアメリカに持ち込んだものなのだそうです。アフリカ系アメリカ人の間では、踊るダンスによってその人のルーツが分かるのだとか。言ってみれば、盆踊りや阿波踊りのステップによって、その人の出身地が分かるようなものでしょうか。奴隷制度の抑圧の中で、太鼓などの楽器を禁じられ、太ももをたたいたり手を叩いたりすることで代用しながら、自分たちのルーツを子孫に伝えようとした思い。そしてその強い思いが、世界の音楽のトレンドを大きく変えることとなった。

「幽霊屋敷」というオペラは、ポーランド、という国が、欧州の大国によって引き裂かれ、民族としてのルーツと、国家としての存在を根こそぎ奪われた時代に書かれたオペラだそうです。自分たちの依って立っていた精神的な基盤を根こそぎ奪われてしまった人々に、音楽ができることってなんだろう。大国ロシアという為政者の度重なる検閲という抑圧と制約の中で、「幽霊屋敷」の作り手たちが辿り着いた答えが、「音楽で抵抗してやろう」という挑戦と「音楽にはそれだけの力がある」という信念だったのかもしれない。全編で語られるポーランド土着の数々の風習、民族の精神、そして何より、ポロネーズマズルカといった民族音楽。そしてその音楽の力は、当時の聴衆の熱狂を生み、あまりの熱狂ぶりを恐れた当局によって、上演はたった3回で打ち切られた。にも関わらず、この作品は今でもポーランドで愛され、ポーランドで最も人気のあるオペラの一つ、と言われているのだそうです。

そして、音楽は驚くほど軽やかに、時代や空間を飛び越えていくんですね。ポーランド民族のルーツを、直接の物語として、ではなく、表面的には喜劇として作られた物語の中にこっそりと潜ませた隠喩として語る、この複雑な構成を持ったオペラの中で、音楽がいきなり、そういう構成の迷路の殻から飛び出して、グローバルな普遍性に向かって飛翔する瞬間が生まれる。第3幕で、早世した両親への想い出を歌うテノールのアリアは、他国に蹂躙されて失われた母国への哀悼歌であると同時に、現代世界の様々な場所で、迫害され、故郷を奪われた人々の慟哭とシンクロする。そして、終幕の全員合唱で歌われる華やかな舞曲マズルカは、その単純で力強いリズムで、現代日本の我々の血もたぎらせる普遍的な力を持っている。

そういう反骨精神や、芸術に対する信頼と信念、そして、そこから生まれた音楽の普遍性、という物語って、オッフェンバックが世紀末のパリで、ある意味命がけの笑いと洗練された音楽で権力を洒落のめしたのと同じ文脈なのかも、と思います。そしてひょっとしたら、あの東日本震災の時に、全ての日本の舞台人が感じた、「こんな時に音楽をやっていいんだろうか」という迷いに対する一つの答えなのかもしれない、とも思う。足元の堅固な大地が大きく揺れ、穏やかな海が牙をむいて全てを奪い去っていったあの時に、何もかもなくした人々の心を動かした音楽の力。音楽には、それだけの力があるのだ、と、確かに僕らはあの時気づいたし、音楽を続けることの意味について、一つの答えを見出した時期だったような気がする。

オペラ作品として見た時に、1幕と2幕に散りばめられた極めて民族的な仕掛け(シュラフタ、という、日本の地侍や英国の郷紳のような存在への賛歌や、パンに塩を盛って客人をもてなしたり、溶かした蝋が水の中で固まる形で未来を占ったり、といった風習)は、多分ポーランドの人たちの民族の記憶に直接語り掛けてきただろうけど、現代の、しかも日本の我々には少し縁遠くて、ちょっと長すぎる感覚がありました。でも、物語が動き始め、アリアや重唱、合唱や舞曲、と、音楽のヴァラエティがどんどん増してくる3幕や4幕になると、その音楽の普遍性が勝ってくる。そして、終幕のマズルカでは、19世紀のポーランドの劇場の熱狂の渦に向かってタイムリープしていく感覚に思わず鳥肌が立ちました。本当に、客席が一体になってマズルカを一緒に大合唱している姿が見えた気がした。音楽は時間を超える、というけど、こんなタイムトリップ的な感覚になったのは初めて。

在日ポーランド人の方々が多数いらっしゃったようで、終演後は皆さんスタンディングオベーション。母国を遠く離れた極東の国で、母国語のオペラを聞けるなんて、本当に嬉しかったんでしょうね。休憩中のロビーでは、いつものオペラ舞台よりずっと、金髪の方の数が多かったです。それにしても、東欧の方々って本当に美男美女が多いねぇ。小さなお子さんも結構いらっしゃって、本当にお人形さんみたいでした。

ポーランド語、という、世界でも最も難しい言語の一つに挑戦した歌い手の皆さん、数々の長大なソロを含めた難曲に挑んだオーケストラの皆さん、そして何より、このプロジェクトを牽引した今村能先生に、感謝です。素晴らしいオペラを紹介してくださって、本当にありがとうございました。本当に女房がお世話になりました。モニューシュコ、という作曲家の作品、もっと勉強してみたいと思います。You Tubeで見たら、ベチャワが結構歌ってるんですよね。そういえばベチャワって、クラクフの出身だったんだなぁ。

山出愛子の覚悟、麻生真彩の宿命

さくら学院を語る時に、多くの人がテーマとして取り上げるのが、組織におけるリーダー像。毎年、その年度の「生徒会長」というリーダが選ばれる=毎年グループのリーダーが変わる、というこのグループにおいては、生徒会長を中心とした生徒会のカラーが、その年度の個性になる。結果として、各年度が、それぞれ全く異なる個性と魅力を持った別のグループとして形成されていき、それにも関わらずやはり間違いなく「さくら学院」であり続ける、という、このグループ固有の変化と再生の物語が継続していくことになる。

各年度の個性を形成するのが、その年度の生徒会であり、その生徒会を束ねる生徒会長である、というのは、さくら学院の場合、かなり実質的に機能している気がする。商業ベースのアイドルグループが、形ばかり、名ばかりの学校ごっこをやっている、というのとは明らかに違っていて、各年度の生徒会の役員たちが、自分に与えられた役割をしっかりこなしていこうという自覚を持ち、周りのスタッフがその責任をしっかり負わせている様子が、そこかしこから伝わってくる。オリコンデイリーDVDチャートで1位をとるような経済的成果を生み出すグループの責任を、中学三年生のリーダーに任せる、という、なんという冒険的なビジネスモデル。

そういう責任感や自覚を負わされた過去の生徒会役員の中で、私がどうしても比較したくなるのが、山出愛子麻生真彩。自分がひいきにしている二人だ、ということもあるんだけどね。今日はこの二人を、リーダーシップ、という観点で比較して論じてみる中で、今年の中三3人、新谷ゆづみ、麻生真彩、日高真鈴という3人が、どうしてここまで安定感があるのか・・・ということについても考えてみたいと思います。

山出愛子、という人は、いい意味でも悪い意味でも、「さくら学院を背負わなければ」という覚悟を持った人だと思う。それは在校中だけではなくて卒業後もそうで、在校生の舞台に必ず顔を出す律義さ、さくら学院へのオマージュを加えたMVや、父兄を喜ばせるツイートの数々を見ても、山出さんが、これからもさくら学院を支え続けるぞ、という覚悟を持って芸能活動をしている思いがひしひしと伝わってくる。「さくら学院の卒業生として第一線で活躍する姿を後輩に見せ続けなければ」という気迫のようなもの。それはたぶん、「BABYMETALでさくら学院を有名にしたい」と言い続けていた水野由結さんの思いを受け継ごうという気迫。

その覚悟と気迫が、彼女自身のパフォーマンスのクオリティを高いレベルに成長させていく原動力であることは間違いなくて、シンガーソングライターとして生み出している作品にせよ、透明感と伸びやかさを持った歌声にせよ、在校中のダンスパフォーマンスの正確さにせよ、「私が引っ張っていくんだ」というエネルギーに満ちている。もともとの美貌と美声もあって、熱狂的な愛子ファンが生まれるのも当然。そして一方で、その強烈な気迫と覚悟が、さくら学院父兄の一部の中に、アンチ愛子、といえるような反発を生んだのも確かだと思う。「絶対的エース」たらんとして、そして実際にすべてのパフォーマンスで他を圧倒し牽引する存在になった山出愛子に対して、他の個性が圧死させられてしまうのじゃないか、という不安感。

そういう彼女の個性が目に見えて現れたのが、2017年度卒業公演の「Let's Dance」で、ドキュメンタリーにもあった通り、山出さんが、「ここまでキメるの?と思うくらいにキメていかないと、2015年度は超えられない」と挑んだダンスパフォーマンスは、まさに一糸乱れぬ完璧なダンスで、日体大の集団行動を見せられたような感動がある。でも、2017年度の「Let's Dance」を見たあとで、2015年度の「Let's Dance」を見ると、整然とした、とはとても言えないパフォーマンスが、各人の個性と魅力にあふれていて、この、全体に荒ぶる感じが一つのダンスとしてまとまっていく魅力っていうのは、2017年度にはなかったなぁ、と思ってしまう。どちらがいい、ということじゃなくて、個性としてね。

そういう、森先生すらおびえる「コワイ山出」への反発が如実に出たのが、岡田愛さんとの対立構図で、歌声、という点でどうしても山出さんを超えられない劣等感と、自分に対するプライドの高さが、相手をリスペクトしながらどうしても反発してしまう岡田さんのキャラになっていて、2017年度の生徒会の一つのカラーになっていた。でもこの二人の対立構図が、大人の思惑もあるのだと思うけど、生徒会の中で一つの「ネタ」として扱われることで、山出愛子という絶対的エースの暴走やほかの個性がつぶされてしまうリスクが緩和されていたのだと思う。岡田さんが「目安箱クイーン」と言われるほど後輩からいじられたのは、そういう弱さを持った岡田さんのキャラが、完璧であろうとする山出さんの圧力を緩和する休憩所として機能していたことの証左だと思う。

こう書くと、あんたもアンチ愛子の口かい、と思われるかもしれないけど、私はむしろ逆で、中学二年生くらいからそういう覚悟を持って芸能界に身を置いている山出さんが、本当にカッコイイと思うし、その覚悟を実践していく実行力にも感動します。それに単純に、あのちっこい身体からほとばしってくる「表現したい」という思いや、温かい歌声、彼女の産み出すシンプルで美しいメロディーと素直な歌詞が好きです。「コワイ」なんて言われるけど、あの温かい歌声や、すぐ泣いちゃう感情の起伏含めて、山出さんってとてもまっすぐで情熱的な人なんだと思う。山出さんには、在校生の希望の星でいてほしいし、今みたいな活動をしっかり続けていけば、確実にどこかでブレイクスルーが起こる。本当に頑張ってほしい卒業生の一人。

さて、そしてもう一人のリーダー、私の推しの麻生さんですよ。麻生真彩さんも、元父兄としてのさくら学院愛、負けん気の強さ、そして何より、絶対的な歌声と高いダンスパフォーマンス、トーク力の高さ、という万能型の才能で、第二の山出愛子になる可能性があった。入学直後のLoGirlで、「みんなが私の号令通りに動いてくれるから、日直やってる時が一番楽しい」と言っていた麻生さんが、「コワイ麻生」として後輩を引っ張っていく可能性はあったし、麻生さんには十分、山出さんと同じくらいの覚悟と自覚があったと思う。

そんな自覚の一つの背景になったのが、入学直後から父兄さんによって背負わされた期待、あるいは宿命のようなもので、それはすなわち、「中元すず香の後継者」という評価。外見が似ている、というのもそうだけど、なんといってもそのパワフルで貫通力のある歌声と、長い手足を存分に活かしたはじけたパフォーマンスが、今でも時々すぅさんを彷彿とさせるのだね。実際、今年度のWonderful Journeyで、「つまらない顔しないで」という部分が、オリジナルの中元パイセンの歌い口と声色にそっくりなパワフルさと弾けっぷりで、やっぱりこの人は生まれついてのロックシンガーだなぁ、と思った。カリスマ生徒会長だった中元パイセンから直接お手紙までもらって、「すぅさんみたいになりたい」と思っていたご本人にとっても、「中元すず香の後継者」というのは、彼女なりに背負った十字架だったのだろうなと思う。それってご本人にとっては、夢、でもあるだろうけど、それなりの重荷でもあっただろうと思うし、生徒会長に指名されずにトーク委員長に指名された時の涙には、すぅさんの後継者、という重圧から解放された解放感のようなものもひょっとしたらあったかもしれない。

麻生さんが、そんな自分の背負った宿命から解放された要因というのは、トーク委員長というポジションももちろん大きいけど、ちょっと抜けたところもある麻生さん自身の温かいキャラクターと、そして何より、新谷生徒会長のおかげだったんじゃないかな、と思う。麻生さんや日高さんのような高い歌唱スキルを持たず、ダンスも転入当初から苦手だった、という新谷さんは、間違いなく麻生さんの高いパフォーマンス能力をリスペクトしているだろうし、むしろ自分は少し引いたところで、麻生さんが先頭に立ってのびのび個性を発揮する場所を空ける謙虚さを持っていたと思う。一方で、新谷さんは、卓越した演技力と、たゆみない努力で、これも間違いなく麻生さんのリスペクトを勝ち得ていた。

2018年度の生徒会を見ていて、本当に安定感がある、というか、3人のバランスがいいなぁ、と思うのは、3人がお互いの能力を認め合い、リスペクトしている様子がすごくよく見えるから。歌唱力とダンスパフォーマンスのレベルが高くて、かつ自分の世界観をしっかり持っている日高さん。万能パフォーマーなだけじゃなくて、状況に対する対応力や周囲への気配りがしっかりできる麻生さん。努力する背中を後輩に見せながら、温かい目線や言葉で人を包み込み、時折はっとするような美しさと迫真の演技を見せる新谷さん。

この三人のパフォーマンスレベルの高さがあって初めて、かなり個性的で我が強い中二の四人の尊敬と敬意を勝ち取ることができた、それが2018年度の全体のクオリティの高さにつながっている気がする。三人がそれぞれ完璧ではない、それぞれに「イジリがい」のある天然キャラを持っていて、その個性がバランスするところで生み出される高度なパフォーマンス。山出式の一人の圧倒的なリーダが「パーフェクト」を目指して牽引していくやり方だと、中二の四人の個性がここまで引き出せたかどうか。2018年度のパフォーマンスは、2017年度の一糸乱れぬ感じとは少し違って、決めるところはびしっとキメながら、一人一人の個性が思い切り発揮されている荒ぶる感じもあって、2018年度がいろんなところで、「史上最高」と言われる一因になっている気がする。それぞれの演者が自分の個性をのびのび発揮できるからこそ、Wonderful Journeyとか、トロピカロリーみたいな群像劇型の楽曲が復活できたんだと思う。もちろん、2017年度には2017年度の魅力があって、ある意味メンバーの間にあった一種のバランスの悪さを、必死に乗り越えていく個々の七転八倒、みたいなところにドラマと魅力があったんだけどね。

仲間の信頼とリスペクトのおかげで、自分に背負わされた宿命から解放された麻生さん。そののびのびしたパフォーマンスで、来週の「ぼっちでマンデー」も思いっきり楽しんでくれるといいな。そしてこの経験を活かして、その笑顔をもっと輝かせることができる約束の未来へ向かって進んでくれたら、本当にいいな、と思います。

新谷ゆづみさんに消されるかと思いました。

本日、赤坂Blitzで開催された、さくら学院の「Road to Graduation Happy Valentine」、夜公演に参戦してきました。今日はその感想を書こうと思うんだけど、なんか夢でも見ていたみたいで現実感がないわ~。だってね、2メートルと離れてないところで生徒さんたちが全力の笑顔で踊ってるんだよ。アイコンタクトとって微笑んでくれたりするんだよ。新谷ゆづみさんと一瞬目が合って、多分お客様と目が合ったらすぐ視線を外しちゃダメだよって教わってるんだろうけどさ。あの潤んだ目でしばらく見つめられただけで、汚れたおじさんはもう消えてしまいたくなりました。マジ天使。

 

さくら学院の現場で今まで参戦したのは、ライブヴューイングと公開授業だけで、本当のライブに参戦したのは今回が初めて。なのになんとなんと最前列をゲットしてしまったのですよ。汚れたおじさんはもう、ごめんなさい、としか言えないよねぇ。なんか、先日の公開授業も三時限とも良席だったし、2018年度とは何か縁があるに違いない。先日偶然図書館で借りた本も、原題を確認したらFairytale だったしなぁ。全然関係ないな。舞い上がってるから許してちょうだいよ。


最前列ってのは、全体のフォーメーションとかは今ひとつ把握できなかったりするけど、とにかく一人一人の表情がすごくよく見えて、それぞれの表現に対するスタイルのようなものが見えて面白いなぁ、と思いました。今回新たな発見だったのは、森萌々穂さんと野中ここなさん。二人とも、とにかく曲の中で自分なりの物語を演じている空気感というか、こう演じるぞ、という積極性が素晴らしいんです。この曲のこの歌詞ではこういう表情、という演技プランがすごく明確で、森さんの見せる時折ハッとするような切ない表情や、野中さんのクルクル変化する豊かな表情が素晴らしかった。それが一番濃厚に出たのが、森さんが参加したWinkのカヴァー曲、「淋しい熱帯魚」で、森さんの憂いを帯びた表情と繊細なダンスに時折胸がグイッと掴まれるような感覚がありました。

 

藤平華乃さんのキレ(思わず目が行ってしまう)、吉田爽葉香さんの佇まいの美しさ(ランウェイは圧倒的な存在感!)有友つぐみさんの清潔感溢れる色気(あのヘアスタイルが最高)、白鳥沙南さんのパッと周りが華やかになる空気感、田中美空さんの爽やかな美しさ、そして八木美樹さんの癒しオーラと、野崎結愛さんのプロっぷり(ラストの約束の未来で、途中でスカートのホックが外れてしまったのを、冷静にしっかり付け直して、最後までセンターを踊りきった見事さは、菊池プロの再臨かと思った)。そして何より一人一人が、それぞれの個性を全部客席に届けようとするプロ意識がすごい。どのメンバーもそれぞれにキラキラしていて、本当に元気をもらえたんだけど、やっぱり中三の3人のアンサンブルと気迫と、表現者としての完成度の高さには圧倒されました。日高真鈴という人は歌唱力の人だと思っていたのだけど、ダンスのキレの良さは素晴らしいし、新谷ゆづみさんは一つ一つのパフォーマンスに対する誠実さと、何よりどこかしら古風な美少女の空気感を持っていて、天使感が半端ない。繰り返すけど、マジあの視線に導かれてこのまま天国に行くと思いました。


そして麻生真彩さん。やっぱりね、汚れたおじさんは、あなたをずっと見ていたいと思ったよ。影ナレーションのお客様との阿吽のキャッチボール、MCの見事な仕切り、そういうトーク委員長としての爪痕はもちろんだけど、図抜けた声量と情感溢れる美声、力強いダンス。パフォーマンス中に、舞台上の演者も客席も全部全部巻き込んで笑顔を広げていく求心力とカリスマ性。どんな小さな舞台でもいい、ずっと表現することをやめないでほしい。あなたの笑顔に救われる人が必ずいるから。


冒頭の「My Graduation toss」と、 最後の「Carry on」では、みんなの思いが迫ってきて涙が出ました。なんか、明日からおじさんも顔笑ろうって思った。12人の天使の皆さん、本当に素晴らしいパフォーマンスをありがとう。そして職員室の皆さん、この学院をずっと続けていこうという皆さんの苦労や覚悟が、一つ一つの舞台をこれだけ輝かせるんだと思います。これからもこの天使たちを輝かせてあげてくださいね。

東京室内歌劇場の歩み Part.6 ~いっぱい盗みたい!~

今日は昨日お邪魔した、渋谷伝承ホールで開催された「東京室内歌劇場の歩み Part.6」の感想文です。なんだか、いっぱいヒントをもらえた素敵な演奏会でした。

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プログラム。青島先生直筆の作曲家のイラストとそのコメントがなんとも青島先生らしくて笑

最近、女房がお世話になるようになってから、すっかりおなじみになってしまった東京室内歌劇場ですけど、それまではその活動をよく存じ上げていませんでした。記憶や記録をたどると、初めてこの団体の舞台を拝見したのは、ガレリア座でもお世話になっていた近藤政伸先生が出演された、1997年上演の「ポッペアの戴冠」。次に認識したのは、NHKBS放送でも放送された、2002年に新国立劇場の中劇場で上演された、コクトー二本立て、プーランクの「声」とミヨーの「哀れな水夫」。コクトー二本立ても、なかなか日本で上演される機会のない演目ですし、「ポッペアの戴冠」に至っては、市川右近さんが演出し、ローマ時代の愛憎劇を歌舞伎に置きなおした舞台。それだけでもとても「とんがった」演目に挑戦する団体だなぁ、と思いますけど、今回の演奏会で、本当にこの団体でしか見ることができない、実験的で挑戦的な作品を上演し続けてきたんだなぁ、と実感。

 

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プログラムに掲載されていたこの時期の上演作品。ああ、なんだかどれもこれも見てみたいなぁ。

そして、今回取り上げられた作品はどれも、メジャーなオペラ作品とは言い難いながら、本当に「佳作」という単語がぴったりくる作品ばかりなんです。「白秋旅情」はどちらかというと前奏的な位置づけだったような気がしますが、林光先生の「白いけものの伝説」の、シンプルなのに神秘的な深い響きが美しい後半の二重唱。青島先生の「黄金の国」のラスト、合唱の中に「のろ作」のアリアが突き通ってくる時の鳥肌が立つようなカタルシス。青島先生が何度も、「これはモーツァルトの失敗作なんです」と繰り返していた「カイロの鵞鳥」の、モーツァルト節、ともいえる、ソロから重唱と声部が増えていく陶酔感。どこか「ヘンゼルとグレーテル」を彷彿とさせるファンタジー「クリスマスの妖精」の多幸感。「ああ、世の中には自分の知らない素敵なオペラがいっぱいあるんだなぁ」という思いで、なんだか嬉しくなってしまう。

極めつけが、最後に上演された、「シュフルーリさんのコンサート」。オッフェンバックという作曲家は、ガレリア座その他で散々取り上げているので、なじみ、という以上の親近感を感じていて、彼が大量に書いたと言われている一幕もののオペレッタを一つでも多く見てみたいし、できるものなら自分でも歌ってみたいと思っているんです。女房が東京室内歌劇場にご縁をいただいたのも、オッフェンバックの一幕もの、「市場のかみさんたち」でしたし、自分が出場したオペレッタコンクールで歌ったのも、ネットで見つけてきた、「ブラバントのジュヌヴィエーヴ」という一幕もののオペラのアリアでした。それくらい愛着のあるオッフェンバックの作品、演奏された一部分だけを聞いてみても、自分が歌ったマイアベーアの「悪魔のロベール」の旋律がそのまま出てくるわ、どう聞いてもヴェルディのジャンジャカジャン伴奏に合わせた三重唱が始まったと思ったら、バスが「呪うぞ!」と叫ぶのは「リゴレット」だし、いきなりドニゼッティの「ランメルモールのルチア」のソプラノとフルートの掛け合いをソプラノとテノールが二重唱でやりだすわ、本当にやりたい放題。そして全編パロディであるにも関わらず、本家を換骨奪胎して現れてくるオッフェンバックメロディのなんて悪魔的に美しいことよ。この演目、全編見たいなぁ。やってくれないかなぁ。

オッフェンバックも含め、どの演目も難曲ばかりで、歌い切った演者の皆さんは本当に素晴らしいと思いました。自分がバリトンなので、やっぱり注目してしまう同じバリトン歌手、福山出さん、古澤利人さん、山田大智さんの歌唱の完成度に感動しましたけど、一番カッコイイなぁ、と思ったのは、「のろ作」を歌われたテノールの相山潤平さん。せんがわ劇場の「天国と地獄」でもオルフェウスを歌ってらっしゃいましたけど、表現の幅が本当に広いのに、声の打点が全くぶれない感じがすごい。

でも、今回の演奏会で一番印象深かったのは、実は青島先生のMCでした。当然のように台本なんぞ持たず、しゃべることは全部頭に入っているのに淀みなく、青島先生らしいユーモアたっぷりの語り口で客席は大ウケ。毒舌キャラらしいシニカルなコメントもいっぱい出てくるんだけど、それが決して嫌味な臭いがしないのは、お客様を楽しませよう、という心遣いと、出演者に対する行き届いた目配り気配りがベースにあるから。出演者の表現を先生がさりげなくサポートして補うような場面もあり、演奏会の満足度をどうやって上げるか、ということをものすごく細やかに気遣ってらっしゃるんだなぁ、と感心しました。まさにMC(Master of Ceremony)の鑑。

自分も演奏会のMCをやったりするので、そういう意味でも勉強になりましたし、同じバリトン歌手の方々の身体の使い方、演奏会全体の構成から、オッフェンバックの演目まで、いっぱいマネしたい、いっぱい盗みたい!と思えるポイント満載の演奏会でした。とはいえ、「いいなぁ」と思って自分でマネしても、なかなか簡単に再現できるものじゃないんだよねぇ。まだまだ精進せねば。