先週はうちの女房が出演する2つの演奏会に行ってきました。7日(火)の「シャンソン・フランセーズ14 夢の中に君がいる!?」と、8日(水)の「うたは時をこえて~昭和100年の記憶~」。ここでは7日のシャンソン・フランセーズの感想を中心に、少しだけ8日の演奏会にも触れようと思います。エンターテイメントとアカデミズムと、両極に振れた対照的な演奏会だったんですけど、ちょっと共通の感想持ったりしました。それがタイトルにも書いた「平和だと音楽は面白くなるんだよなぁ」という感想なんだけどさ。ホントにこの感想文はその着地点までたどり着くのだろうか。まぁとりあえず書き進めてみます。

ピアニストの田中知子さんがプロデュースしている「シャンソン・フランセーズ」も14回目。うちの女房が常連出演者の一人で、そのご縁もあって、この日記でも何度も取り上げているシリーズなんですけど、コミカルな定番曲を中心に、かなりエンターテイメントに徹した演奏会、という印象があります。実際田中さんもSNSで、「真剣にバカなことを考えました」なんてことをおっしゃってたので、まぁ今回もどれくらい笑えるかしら、と楽しみに参戦したんですよ。
もちろん、定番のコミックソング「ジャポン旅行」「Ale Ale Ale」「侯爵夫人さま、すべて順調でございます」とか、思いっきり笑わせてくれたんですけどね。特に今回初参加の赤星啓子さんの破壊力が凄まじくて、やっぱり歌の上手な人って何やっても突き抜けちゃうんだなぁと納得。

ウチの女房も頑張っておりました。振れ幅で勝負。
だけど、個人的には、かなりアカデミックに、歌そのものにしっかり聞き入ってしまった、というのが全体の印象なんですよ。その要因っていくつかあると思うんだけど、1つには、今までの「シャンソン・フランセーズ」と違って、演奏会全体を一貫した「物語」や強いメッセージで統一していない「ように思えた」のが一つの要因かな、と思った。戦争の悲惨を歌うシャンソンらしい語りの歌を物語的な意図を持って並べることで、平和へのメッセージを強くアピールする、といった構成ではなくて、単純に美しいシャンソンの名曲が沢山並んでいて、曲そのものに集中することができた、という印象だったんです。
もう一つは、今回出演された男性歌手3人が全員ミュージカル畑で活躍されている方々だ、ということもあってか、米国ミュージカルを代表するソンドハイムの曲が挿入されたり、フランス・シャンソンと異なる曲がアクセントになっていた、というのも大きな要因な気がする。過去のシャンソン・フランセーズでも昭和歌謡とかが挿入されたり、今回も美輪明宏の黒蜥蜴の唄とか、森山良子の「Ale Ale Ale」とかが選曲されているのだけど、自分的にはあまりシャンソンと対比した音楽として聴いていなかったんだよね。今回ソンドハイムが挿入されることで、アメリカ音楽の影響を間違いなく浴びながら、それでもやっぱりフランス音楽であり続けたフランス・シャンソンやフレンチポップスの「フランスらしさ」みたいなものがチラッと垣間見えた気がしたんです。
自分は音楽を聴き分けられる耳を持っている人間ではないので、どこが違うってはっきり言えないんだけど、シャンソンの和音進行とか構成に、なんか「これドビュッシーみたいだなぁ」って思う瞬間が何回かあったんだよね。そう思って聞いたからなのかもしれないんだけど、「やっぱりシャンソンってラヴェルとかドビュッシーと地続きなんだなぁ」ってちょっと思った瞬間があった。
もちろん、ドビュッシーもラヴェルも、同時代に欧州に入ってきたジャズなどのアメリカ音楽の影響を受けていたわけだし、ミュージカルの原点はパリでオッフェンバックが始めたオペレッタなので、全部つながってはいるのだろうけど、三橋千鶴さんがカッコよく歌う「ホテルノルマンディー」とか聞きながら、フランスとかアメリカとかウィーンとか色んな文化がグチャグチャになっていく中で、フランス・シャンソンとかフレンチ・ポップスとかが、自分自身の「フランスらしさ」みたいなものを自覚しながら、どんどん面白くなっていったのかもしれないなぁ、って思ったんですよね。
でもねぇ、そういうクロスボーダーというか、国境を越えて色んな文化が交流し、影響し合う中で新しいものが生まれてきたり、そこで自分自身のアイデンティティを見直したりするっていう機会が持てるのって、世界が平和だからだよねぇ。自国優先主義、とか、戦争という他文化の完全否定行為が蔓延する世界では、文化自体も閉塞してしまってどんどんつまらなくなってしまう。江戸時代だって鎖国だったじゃないか、なんて言う人もいるかもしれないけどさ。江戸の浮世絵が無茶苦茶面白くなったのは、200年間の平和の中で長崎からもたらされた西洋絵画の遠近法とかを貪欲に取り入れた浮世絵師達の、異文化への渇望があったからなんだよなぁ。やっぱり音楽含めた芸術文化って、世の中が平和で、色んなアイデンティティ持った人たちが相互に相手の持っているものを面白がって取り入れていく文化衝突が起こるからこそ面白くなっていくんだよ。
そこでふと思う。ひょっとして、私は田中知子という策士の術中にハマったのではないか?
シャンソン・フランセーズ、というタイトルを持ちながら、このシリーズはシャンソンに留まらず、色んなジャンルの音楽を貪欲に取り込んで、カオスのような空間を作り上げることを信条としてきたような気がする。それって、田中知子という人が、よく言われる「音楽に国境はない」という言葉をステージ上に具現化することで、「国境のない音楽を産み出すことができる平和のパワー」を聴衆に刷り込もうという策だったのじゃないか?「私たちは平和な国に住んでるからこそ、シャンソンもミュージカルも歌謡曲も国境気にせず楽しめるんですよ~」なんて。今回の演奏会には一貫した「物語」や強いメッセージがないように思わせているけれど、実はそういう裏テーマがしっかり隠されていたのじゃないのか。

演奏会終了後に田中さんがSNSに上げたこの写真に、「わたくしは本気で音楽による世界平和を願ってるのだ」と書かれていたのを見て、ますます自分はこの策士の術中にハマったのだと確信するに至る。夢という深層心理の中に無意識に刷り込まれていた、「夢の中に田中知子がいる!?」という裏テーマ。
でも、そういう感想を持ったのは、翌日8日に女房が出演した「うたは時をこえて~昭和100年の記憶~」という演奏会が、明確に、第二次大戦で命を散らせた才能あふれる日本人音楽家たちへの鎮魂演奏会として企画構成されていたことにも影響しているのかもしれないんですよね。

企画の松井康司先生がMCで、戦場で命を散らした音楽家たちがもし生きていたら、戦後どんな素晴らしい歌曲を書いてくれただろう、と語った時、その作曲家が夢見ながら失われてしまった音楽の輝きを思ってちょっと胸が熱くなった。演奏会の最後にうちの女房が歌った木下牧子の「夢みたものは・・・」は、昭和という過酷な時代に、様々な人たちが見た夢に対する鎮魂歌として、しっかりと胸の奥に沁み入りました。

ピアノが歌と同等あるいはそれ以上に活躍する日本歌曲たちを支えた、ピアニストの前田美恵子さん、大下沙織さんも素晴らしかったです。
7日と8日の対照的な演奏会、奇しくも「夢」という言葉が共通していたなぁ。そういえば今放送されている仮面ライダーゼッツのテーマも、「夢」なんだよね。今は平和で自由に夢を見ることができる時代だと思っているけど、「平和」も「夢」も、努力しないと実現しないものなんだよなぁ。
















