ジジイ達は若い人の邪魔すんな

ちょっと品のないタイトル書いちゃいましたけど、先日話題になった、金メダルに噛みついたジジイとか、東京五輪の開会式閉会式のドタバタ劇見てて、やっぱり日本の高齢者達の大部分は社会の前線に立っちゃいかんのじゃないかなぁ、という思いを強くしましたね。ジジイ野球評論家みたいに評論してるだけだったらまだ害がないんでいいんだけど、ジジイ達が現場にしゃしゃり出てきて色々意見言ったり影響力及ぼすのは本当にやめた方がいいと思う。

昔はね、そこまで長寿を保つ人自体が少なかったから、老人を敬う、というのも意味があったと思うんですよ。そもそも数が少ないから、昔起こったことを知っている数少ない生き字引としての存在価値もあったので、現場を回している若い世代が経験のない事態に直面した時に、知恵袋として色んな参考意見を告げてくれる高齢者の存在意義はあったと思う。でもそんな昔でさえ、高齢者は「隠居」という形で前線から退いて、自分の趣味に時間を費やすのが普通だったんだからねぇ。ましてやこれだけ世の中が変化してきて新しい事態が次々発生する時代に、60過ぎた頭の固いジジイやババアたちが現場で大きな声で若い人たちに指示するってのはもうやめた方がいいんじゃないかなぁ。

「世話になったあの人からどうしてもって言われちゃったからさ」なんていう訳の分からない人間関係のしがらみとか、「このパフォーマンスやる意味はオレが始めたあの工夫なんだよ、あれをやらないと意味がないだろうがよ」なんていう時代の流れやお客様の変化を無視した変なノスタルジー、「これの何が面白いのかさっぱり分からない」なんていう時代への無理解、「女がトップ取るなんてありえないだろう」なんていう時代錯誤、そして「あれをオレがやった時は大変だったんだぜ」なんていう本題と何の関係もない自慢話。そういう「老害」の数々で、色んな現場の労力がものすごく割かれているんじゃないかなぁ。そういう高齢者の数が少ないのだったらまだいいんだけど、高齢者達が一杯寄ってたかってお互いにマウント取り合ったり自慢話大会始めたりしたらもうその現場は大混乱だよね。

しかもたちが悪いのが、この手の昭和のジジイ達ってのは自分の間違いとかを認めて謝るってことが心底苦手なんだよね。ごめんなさい、が言えない。オレの何が悪いっていうんだ、って開き直ってるように見える人が本当に多いんだけど、あれは本当に自分の何が間違っていたのか理解できてないんだと思います。自分の認知できる世界の狭さにも気づいていなければ、その世界の外の視点があるということにも気づけない上に、狭い世界で自分が裸の王様になっていることにも気づけない極端な視野狭窄症。

実際、我々含めたオッサン世代のハートもつかむ色んな新しいパフォーマンスやイノベーションを生み出しているのは、間違いなく若い世代で、その苦労話とかを聞いていると、無理解なジジイ世代に足を引っ張られるのに何くそって歯を食いしばって頑張った、なんていう話をすごくよく聞く気がする。明治維新を引っ張ったのは20代の若い志士達だったのだし、戦後の日本の復興を支えたのも戦争で旧世代が公職追放された後の若い世代の頑張りだった。高齢者が政治や経済の最前線で言いたいことを言えば言うほど世の中って停滞するばっかりだと思うんだよね。昭和のジジイ達が今の世の中を悪くしている、という側面は絶対あると思うんだよなぁ。

政治家に定年制度を設けよう、なんて話がありますけど、いっそ全国民60歳過ぎたら選挙権は返上して皆さん年金もらって静かに隠居していただく、なんてのはどうですかねぇ。文化芸術活動とか、パフォーマンスの世界は60過ぎてから円熟の境地に入る方もいらっしゃるかもしれんけど、そういう方々も製作の現場からはもう退いてもらってパフォーマーとしてだけ活躍していただいてさ。色々評論したりするのまではOKだけど、実際に政治家とか経営者として組織のリーダーになるのは遠慮していただく。そうやって、現場は若い人たちに任せた方が間違いなくこの世の中よくなるんじゃないかなあって思ったりするんだけど、どうなんだろう。まぁそういう私もすでに56歳なので、あと4年もたったら前線から退くことになるわけで、いざ自分がジジイになってしまえば、やっぱり現場で自慢話ばっかりするイヤなジジイになっちゃうのかもしれん。なるべく若い世代の言うことをハイハイってニコニコ聞いてあげられるいいジジイにならなきゃなって、最近本当に思います。