山田武彦と東京室内歌劇場vol.5 ~生の音ってこんなに豊かだったのか~

この日記には、ドルヲタネタだけじゃなくて、女房や私の舞台活動についての感想や雑感なんかも載せているんですが、コロナのばかたれのおかげで、そのネタになる本番舞台が全くなくなってしまって数か月。東京室内歌劇場の中堅歌手として頑張っている女房は、今年の2月から6月まで、10本以上の本番舞台を予定していたのですが、これが全て中止・延期の憂き目に会い、ずっと本番舞台から遠ざかっていました。私も合唱団が出場予定だった合唱コンクールなどの舞台がなくなり、6月にやろうと思っていたリサイタルも延期。そしてこの7月、緊急事態宣言の解除とイベントの再開を受けて、本当に久しぶりに東京室内歌劇場の歌い手が集ったコンサートが開催。7月11日(土)トッパンホールで開催された「山田武彦と東京室内歌劇場vol.5」。

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やっとこの日を迎えられた、という安堵感と、新しい生活様式の中で一体どんな演奏会になるものなのか、という一抹の不安も感じながら、飯田橋駅からてくてく歩き、やってきましたトッパンホール。このホールは駅からちょっと距離があることも含めて、サントリーホールっぽい感じがするんだよなぁ。企業スポンサーがしっかりしていてホールの佇まいが上品、というのも共通項なのだけど、何よりレセプショニストの方々のプロフェッショナル感が素晴らしい。

そのきびきびしたレセプショニストの方々に、「チケットはご自身で半券をお切りください」と言われて、自分で半券をちぎって用意されている箱に入れて入場。客席は、1列は2人ずつ空席にし、その前後の列は2人ずつ座って1人分を空ける、という市松模様の着席スタイル。ピアノの調律の音が響くホールに足を踏み入れた時から、ああ、やっぱり現場っていいよなぁってため息が出ました。ピアノの音が会場じゅうに満たされている、その音の振動の中に身体を浸す快感。

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(現場というな。ドルヲタがばれる。)

市松模様の客席がほぼ埋まって「満席状態」になると、意外と客席側が満たされた感じがします。ビジネス的にいかがなものなの、という話はあると思うのだけど、聞く側としてはこのゆったり感は結構ありがたいなぁ、と思ってしまう。隣の人の肘やチラシのガサガサ音を気にする必要もない。前のお客様の座高の高さにがっかりすることもない。

山田武彦先生のこのシリーズを拝見するのは昨年のVol.4以来なんですが、まぁカンタンに言ってしまえば山田武彦先生は天才なんですよ。伴奏っていうのは歌い手に寄り添って歌い手の歌いやすいように弾くもの、なんて思ってる人は山田先生のピアノを聞いたらひっくり返ると思う。とはいえ、歌い手とバトルしてぐいぐい引っ張っていく感じじゃないんですよ。歌い手の技量を見極めながら、楽曲と歌い手の間に生まれる化学反応を見極めながら、歌い手が気づかなかった新しい楽曲の解釈や魅力をすっと差し出して、その物語の中の登場人物として歌い手を輝かせる。なんかねぇ、映画監督みたいな感じなんだな。役者さんの魅力を120%引き出しながら、その映画の物語をすごく魅力的に語っていく、そんな感じ。

そんな山田武彦先生の伴奏で、美声揃いの東京室内歌劇場の歌い手たちが歌う日本歌曲、オペラ、オペレッタ、ミュージカル、そして歌謡曲。聞きなれたはずの歌たちが、山田先生の魔法とそれに導かれた歌い手たちの魅力で、思わぬ輝きを放ち始める。こんなに素敵な曲が沢山あるんだ、と前回に続いて驚きの連続だった昭和歌謡曲の名曲たちはもちろん、自分にとって聞きなれたオペレッタやミュージカルの名曲たちも実に色彩豊か。第三部で橋本美香さんが歌った「風雪流れ旅」では、イントロでピアノが三味線の音を響かせ、第二部で鈴木沙久良さんが歌ったマイ・フェア・レディの「踊りあかそう」では、よく知っているはずの楽曲なのにピアノ伴奏の音が不思議に歪んで、なんだかブリテン編曲の英国歌曲を聞いているような気分になる。

若干手前味噌になりますが、そんな中でも、よく知っているはずの楽曲が「この場でしか感じられない」緊張感と新たな魅力で満たされた感じがあったのが、大津佐知子が第一部で歌った「浜辺の歌」と、第二部の「サマータイム」でした。聞きなれていたはずの「浜辺の歌」は、時の流れの中に佇む人間の孤独感を浮き立たせるような心に沁みる歌唱でしたし、「サマータイム」は「事前に3回合わせたけど3回とも歌もピアノも全然違う」合わせの末の本番アドリブ一発勝負の緊張感の中で、子守唄に乗せて日々の幸福を願う祈りが、時に血を吐くような思いと共に心の琴線に触れてくる、そんな歌唱と演技でした。

アフターコロナの時代、いろんな配信サービスやオンラインライブ、リモートアンサンブルなどが巷に溢れていますけど、トッパンホールの素晴らしい音響の中で聞く生のピアノの音、バイオリン、バンドネオン、そして人間の声は、デジタルやネットで削り取られてしまう豊かな倍音に満ちていて、ああ生の音ってこんなに豊饒でこんなに心地よいものだったのか、と改めて実感。アフターコロナの空席だらけの客席が寂しい、という思いもあるけど、ゆったりと音楽を味わえる贅沢感もないわけじゃない。アフターコロナでも、やっぱり演奏会に足を運びたいなぁ、と思った素敵な時間でした。

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山田先生初め共演者の皆様、女房がお世話になりました。素晴らしい午後をありがとうございました!