最近のインプット、四連発でいきますが、とりあえず二つ。

 例によって更新が滞っておりまして、申し訳ございません。さぼっている間にそれなりにインプットはあったので、ここでまとめて。ということで、四連発です。

 

北とぴあ合唱フェスティバルで、清泉女学院のユニゾンに圧倒される

・映画「さよならくちびる」、セリフに頼らない文法が心地よいのよ

・調布フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会ホルストがオシャレ

・METライブビューイング「カルメル会修道女の会話」で号泣

と四本でーす(サザエさん風)。書ききれるのかなぁ、と思って書きだしたらやっぱり書ききれそうにないので、まずは前半二つのみ。

 

北とぴあ合唱フェスティバルで、清泉女学院のユニゾンに圧倒される

所属している合唱団「麗鳴」で参加した北とぴあ合唱フェスティバルクロージングコンサート、テーマは信長貴富作品、ということで、信長先生ご自身に指揮していただいたり、その他の合唱団の素晴らしいパフォーマンスに触れたり、実に稀有の体験をさせていただきました。

中でも圧倒されたのが、清泉女学院の演奏で、リハーサルの最中とか、舞台裏でスタンバイしている時には本当に普通のわちゃわちゃした感じのお嬢さんたちなのに、いったん演奏が始まった途端に会場全体が底鳴りするような凄い音が鳴るんです。同じような圧倒的な響きを持っていたお江戸コラリアーずに比べて、全体の声量が勝っているわけではないのに、本当に会場全体がぐわんぐわん鳴るんですよ。この圧倒的なパワーはなんだろう、と思ったら、本番を指揮してくれたTさんが、

「ユニゾンの力ですね」

とぼそっと呟いていて、そういうことか、と思った。複数の人の声が完ぺきにシンクロした時に生まれる倍音の層の厚さが、会場全体を共鳴させるんですね。パワーじゃなくて、ピッチの正確さとシンクロ率の高さなんです。清泉女学院は「新入団員を中心としたまだ若いメンバーで臨みました」というコメントがあって、それでこのシンクロ率っていったいなんなの、と口あんぐり。日本のトップレベルの部活って、本当に世界レベルなんだなぁ、と改めて思いました。

 

・映画「さよならくちびる」、セリフに頼らない文法が心地よいのよ

この映画のことを知ったのは、さくら学院卒業生の新谷ゆづみさんと日髙麻鈴さんの映画デビュー作、ということがきっかけだったので、まぁ裏口から入ったようなものなんですが、聞けば、以前見て号泣した「黄泉がえり」の塩田明彦監督の作品だという。これは見なければ、と思っていたところに、日比谷で新谷さんと日髙さんの舞台挨拶付きの上映回がある、というので、申し込んだら当選。喜び勇んで見てきました。

映画というのは表現のためのツールなので、これをどう使って何を語るか、という語り口に、監督の作家性が出るわけですけど、「黄泉がえり」で感じた塩田監督の語り口は、役者の口から発せられる言葉だけに頼らずに、どれだけ物語を語れるか、ということを突き詰めるタイプの監督さんだ、という印象でした。特に、伊東美咲さんが演じる聾学校の教師が、よみがえった聾者だった母親と手話を交えて会話するシーンについて、その感動を以前のこの日記にも書いています。

塩田監督の代表作とも言われる「月光の囁き」を見ていないので、実に浅薄な感想になってしまうのだけど、「さよならくちびる」も、言葉にならない互いへの想いを伝える術を知らなくて、音楽という儚い絆にすがる3人の男女を描いていて、本当に切ないいい映画でした。音楽は時間芸術なので、その時間をライブ会場で共有した高揚感は、その時間が過ぎれば消えてしまう。そんな儚い絆が、三人だけではなくて、その音楽に触れた人々をつないでいく。でもそれはあまりに儚くて、だからこそリアルな人間同士のぶつかり合いを支えきれずに、三人は互いに傷つき、別れを決意するところまでこじれてしまう。

主役の二人の演じるギターデュオ「ハルレオ」のファン、という役柄だった日髙さんが、自分を周囲の人々、あるいは世界そのものとつなぎとめてくれた「ハルレオ」の音楽をくちずさみながら、感極まって泣き出し、それを優しい笑顔で新谷さんが受け止める、というシーンは、音楽が人と人をつなぐ力を持っているのだ、ここにも、音楽の絆で結ばれた人たちがいるんだ、ということを象徴する名シーンでした。(ちなみにこの日髙さんが歌いだした、というのは日髙さんのアドリブだった、というのも、さくら学院のファンの間では大変話題になっていたんですが)

言葉に頼らずにドラマを描こう、とする塩田監督の指向は、主役三人が頻繁に口にする煙草にも表現されていて、要するに言葉に詰まった時に胸にたまった想いを煙にして吐き出すための道具なんだよね。最近、映画で喫煙シーンが多いと文句を言われる、なんていう風潮に対する、塩田監督の反骨精神も現れているようで面白かった。

ロードムービー、というのは、旅の初めと旅の終わりで、主人公たちがいかに変化するか、というのが物語のキモで、あのラストシーンには賛否あるかもしれないけど、あの三人の関係性がこの旅を経て確実に変化した、という納得感があって、私的には嬉しいラストシーンでしたね。

人が口にする言葉にあまり信頼を置いていない塩田監督なのだけど、逆に信頼しているのが、音楽の力と、詩の力。すごく印象的に現れるのが、ところどころに挿入されるハルの書いた詩で、美しい風景を背景に白抜きの飾らない文字で画面に現れる詩が、言葉にならない、音楽に乗せた歌詞としてしか表出できないハルの想いを綴っていて胸に迫る。映画の宣伝にも使われていたレオがハルに強引にキスをするシーンで、すっかり「百合映画」という印象を持たれている人も多いかもしれないけど、ハルはレオのことが好きなのに、その想いに答えようとするハルを拒絶するので、百合の関係すらこの二人の間には成立しない。この三人の関係の中で一番複雑なのはハルの気持ちで、多分ハルの気持ちはどこにも行き場がなくて、ただひたすらに音楽に向かっていく。そうやって空に放たれたハルの音楽や歌詞の力が、レオやシマをハルにどうしようもなく惹きつけてしまう、そのゴールのない関係性が切なくて愛しくて。

こういう「音楽映画」で、挿入される音楽がショボいと、なんとも残念な結果になるんですけど、主題歌の「さよならくちびる」にせよ、挿入歌の「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」も、どちらもとてもいい曲だった。楽曲の完成度の高さが、この映画をさらに佳作に仕上げていたと思います。考えてみたら、「黄泉がえり」もクライマックスはライブシーンだったなぁ。

 

さて、今日のところはこんなところで。またすぐ、残りの二つのインプットについても書きますね。来週も、見てくださいね~(サザエさん風)

ジュゴンとツチノコ Vol.3 Made in Japan! ~日本歌曲の奥深さ~

25日(土)、女房が参加している音楽ユニット「ジュゴンツチノコ」の三回目の演奏会、「Made In Japan!」を聞きに行ってきました。今回はその感想を。

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会場になった赤坂のカーサ・クラシカ、私は初めて伺ったのですが、クラシック演奏家の間ではかなり名の売れた会場のようですね。お料理も美味しいし、お店の雰囲気もとても素敵で、何より、スタッフがこういった音楽イベントに慣れている感じがあり、お客様の誘導もスムーズで、とても心地よかったです。

会場の心地よさに加えて、今回のテーマは日本歌曲。フランス歌曲や英米歌曲を中心にした前回までのプログラムと比べて、邦人曲である、というのがまた聴き手にとって大変心地よい。若干身びいきになるかもしれませんが、大津佐知子という歌い手は、児童合唱時代から邦人曲に親しんでいて、日本語歌唱についてスキルを磨いていた人なので、日本語の歌詞が聞き取れない、というストレスが殆どない。そういうハードルの低さと、客席の雰囲気、二人のフレンドリーなMCなどもあって、過去の2回の公演と比べても、とてもアットホームで温かい空気に満ちた演奏会になりました。

と言いながら、実は、邦人曲、というのは、演奏家にとって別のハードルがそびえていたりするんですよね。今回取り上げた、徳山美奈子・湯山昭・伊藤康英・木下牧子、という作曲家たちは、現在も一線で活躍している作曲家の方たち。ということは、どの楽曲も、いわゆるクラシック音楽の歴史を一通り消化しきった先に生まれた「現代音楽」ばかりなわけで。もちろん、MCの中で、貝賀さんが何度も、「皆さんが聴いてもなんだかチンプンカンプンになるような曲はなるべく避けました」とおっしゃっていたように、選曲された曲はどれも耳に心地よい分かりやすい楽曲ばかりなんですが、それでもどこかに一筋縄ではいかない様々な「現代音楽」っぽい仕掛けが隠れている。単純な音の組み合わせや流れの中にも隠れた様々な技巧を、何事もなかったかのようにお客様に届けるのは、意外と難しかったりするんじゃないかな、と思います。

そういう現代音楽の文法をある意味カリカチュア的にぶち込んだコミックソングが、伊藤康英先生の「あんこまパン」で、大変バカバカしい歌詞(というか、林望先生のエッセイ)を、大変難易度の高いピアノ伴奏と大変高等な歌唱技術で客席に届けないといけない。二人とも相当苦労したようですが、苦労の甲斐あって、客席は演奏中ずっとムフフ笑いに包まれておりました。(爆笑、という感じではないところがこの曲のなんとも衒学的なところなんだよね)

貝賀さんの演奏されたピアノ曲もどれもとても魅力的な作品ばかりで、門外漢の私も、いい曲だなぁ、と思いながら聞いていました。徳山美奈子先生の「巣立つ鳥達へ」など、貝賀さんのご家族への想いも込められた曲も多く、そういう選曲も、温かな空気を醸し出す要因だったと思います。

大津が歌った歌曲の中では、前述の「あんこまパン」も楽しかったのだけど、湯山昭先生の「ロマンチストの豚」「くじらの子守唄」のどちらもとてもキュートで、しかも一度聞くと忘れられない平明な曲で、とてもよかった。いい曲って決して古くならないんですね。同じようにこれは今後もずっと歌い継がれていくんだろうな、と思った木下牧子の歌曲もとても素敵で、歌が終わってしまうのがもったいないような、もっとこの歌を聞いていたいなぁ、というような、そんな不思議な思いがしました。

本編の最後に歌った「竹とんぼに」は、以前から大津が何度か演奏会で取り上げている曲ですが、何度聞いてもなんだか目頭が熱くなる。でも今回は特別胸に来ましたねぇ。最近、娘が大学に進学して、運転免許取ったり、大学のサークルでとても大きな会場で演奏会をやったり、どんどん広い世界で経験を積んでいる姿が、空高く舞い上がっていく竹とんぼの姿に重なっちゃったんだと思います。人の親になるって、こういう歌がどんどん沁みてくるってことなんだなぁ。

マチュアピアニスト、と言いながら、音楽に対する真摯な姿勢と高い技術を持つ貝賀さんと、ひょんな縁でご一緒させていただくことになり、このユニットだから挑戦できる楽曲を積み重ねて、また新しいレパートリーを増やすことができました。こういう場は本当に大事だね。これからも二人で、また新しい世界を見せてもらえると嬉しいです。温かい時間をありがとうございました。お疲れさまでした。

さくら学院2019年度転入式〜やっぱり沼から抜け出せないよお〜

本日、文京シビックホールで開催された、さくら学院2019年度転入式に参戦してきました。正直、一番推しだった麻生真彩さんの卒業で、今後どうフォローしていこうかな、と迷いもあったんですが、そういう迷いを一気に吹き飛ばす、クオリティも密度もものすごく濃い舞台でした。今日はたっぷりとその感想を。ライブビューイング参戦の方はネタバレだらけなので、閲覧注意です。


冒頭の中3ズ4人の場内MCで、この4人のバランスの良さというか、いい意味でも悪い意味でもソツのなさのようなものが見えて、これがどんな風に変化していくのかな、という不安も混じった期待感が高まる。そのMCの中で森さんがちょっと原稿を間違えてしまったのが、今から思えば、後半の伏線だったのか、と思ってしまうあたり、2019年度のRoad toのドラマを盛り上げようと思ってしまう父兄の悪い癖かもしれん。


9人体制でのschool days、ベリシュビッツと、相変わらずの完璧なフォーメーションダンスなのだけど、圧倒的な声量や表現力のあった麻生真彩さんと日髙麻鈴さんが抜けて、下級生の声が出てきた結果として、全体の声のバランスが逆に平準化されて聞きやすくなった印象。歌としての説得力は落ちてるかもしれないんだけど、アンサンブルとしての完成度はとても高い。その中でも、八木美樹さんが本当にガツンとした声が出ていて驚く。田中美空さん、野中ここなさんのダンスの表現力と弾けっぷりが去年とは全然違っていて、こういう成長ってのはライブを見続けていないと分からないんだよなぁ、と改めて思う。


そういう、沼から出られない感を強くしたのが転入生3人。いや凄いです。去年の3人、特に野中ここなさんと白鳥沙南さんは、原石感が結構強かったと思うのだけど、今回の3人は相当高いレベルで仕上がっている感がある。恐ろしいのは、既に相当のパフォーマンス能力を備えているのに、さらに伸びしろを感じさせてくれるところ。その中でも、戸高美湖さんのダンスのキレの良さ、表情の豊かさ、ソロパートの声の伸びに釘付け。さすがASHで、鞘師里保さん以来の逸材かも、と注目されていただけのことはある。男前キャラの感じも素晴らしい。佐藤愛桜さんのピュアなお嬢様感と人を惹きつけずにはおかない明るく美しい笑顔、Perfume の「let me know」のMVに出た時から転入を切望されていた木村咲愛さんの、昨年の野崎結夢さんを彷彿とさせるプロ感と躍動感も素敵で、今年もすごい転入生が入ってきたぞ、とワクワク。


そして、生徒会人事ですよ。今回の生徒会人事は、正直言えば、若干職員室が日和った感がないわけじゃないと思う。藤平華乃さんははっきり言ってパフォーマンス委員長以外は生徒会長しかできないカリスマで、これを生徒会長に据えた時に、実質的にステージのプロデュースや仕切りをやらせるとすれば森萌々穂さんがベスト。ここで森さんにプロデュース委員長、有友さんにトーク委員長、という選択肢もあったんじゃないかと思う。そこで、森さんにトーク委員長、有友緒心さんと吉田爽葉香さんに、はみ出せ委員長と顔笑れ委員長を振るあたり、森さんがプロデュース委員長として全てを引っ張ってしまって、有友さんがそれに従う、という構図よりも、有友さんと吉田さんには自由にできるポジションを与えて、森さんには少し足りないトークの技術をもっと磨いて欲しい、という職員室の意図が見える。それは分かるのだけど、そりゃあ、森さんは納得しないよねぇ。


森さんはとにかく自己プロデュース能力が高い、と言われるけど、それって、自分の出来ること、出来ないことをしっかり見据えた上で、そこで自分が一番輝ける手段は何か、立場は何か、ということをしっかり見つけられる能力の高さなんだよね。そこで森さんの1つのロールモデルになっているのが、1つ上の学年の3人である、というのは多分言い過ぎじゃないと思う。日髙麻鈴さんの圧倒的な歌唱力や表現力には敵わない。麻生真彩さんの弾ける歌唱力やトークスキルには敵わない。新谷ゆづみさんの演技力には敵わない。そういうすごい先輩たちへのリスペクトがあるから、そういう先輩たちとは違う土俵で勝負するのがいい、と思うのは当然。


そこでさらに、プライドの高い森さんは、「でも一番になりたい」って思っちゃうんだろうなって思うんですよ。さくら学院の歴史の中で、「最高の××委員長だった」と言われたい。でも、トーク委員長で麻生真彩さんを超えるのなんか無理だ、と、森さんは思っちゃうんだと思うんです。自分の能力への自信のなさとプライドの高さのせめぎ合い。そこで、「どうして私をプロデュース委員長にしてくれなかったんですか」と倉本校長に涙ながらに詰め寄ってしまう「森の乱」が勃発したわけで。


森さんの気持ちはものすごくよく分かる気がする。でもね、森さん。トーク委員長にランク付けなんか出来やしないよ。麻生さんは確かに歴代トーク委員長の中でも傑出したトーク力の持ち主だった。でも、1つの公演をがっつりプロデュースする力とトーク力を合わせ持ったトーク委員長なんか今までいなかったと思うよ。森さんは、自分のトーク力を磨くことも必要かもしれないけど、誰にどう喋らせたら流れがよくなるか、全体の流れやシナリオを作り上げるトーク委員長になれる人だと思う。新谷ゆづみさんに言われたじゃない。「もっと人を頼っていいんだよ」って。もっと人に喋らせればいいんだよ。吉田さんも、有友さんも、藤平さんも、野中さんも、白鳥さんも、森さんが「喋らせてくれる」のを待ってる。それぞれが一番輝く言葉や場所を与えてあげられる、森さんにはそれだけの力があるんだから。


でもね、森さんがプロデュース委員長になりたかったもう一つの理由が、ひょっとしたら、森さんが憧れているBABYMETALの水野由結さんが務めた役職だから、というのがあったとしたら、本当に切ないなぁ、と思うんだ。中元すず香さんに憧れて、すぅさんと同じ生徒会長になる、という夢が破れた麻生真彩さんと同じ構図が、今年も繰り返された感じがしてさ。水野さん以降、2代目プロデュース委員長は現れていない、そこで自分がプロデュース委員長になれたら、どれだけ誇らしい気持ちになれるか。森さんが、倉本校長に、「プロデュース委員長って思っていいんですね!?」と詰め寄った切迫感の中に、ゆいちゃんの存在があったとしたら、森さんの涙は、昨年の麻生さんの涙と同じくらい、8年間のさくら学院の歴史が生んだ重い涙だよなぁって思う。そういうことを知らないデイリースポーツあたりが、「未練タラタラ」なんて書いてるけど、森さん、無視していいからね。分かってる人はちゃんと分かってるから。


もう少し、分かったようなことを言わせてもらうと、森さんの涙、という今回の転入式のドラマそのものが、プロデュース委員長、森萌々穂さんの初仕事だった、といううがった見方も出来なくない。あの森さんの涙がなかったら、今回の生徒会人事は、ある意味、無風、収まるべきところに収まってよかったね、というシャンシャン人事で終わっていた可能性が高い。ここで森さんが胸の内をぶちまけたからこそ、今回の転入式は父兄さんの心にガツンと響いたのだし、森萌々穂さん推しは一気に増えたと思います。そこまで計算していなかったとしても、この空気なら言ってもいいだろう、くらい、空気を読んだ上での発言だったと思う。姫はね、それくらい出来る人です。だからこそ、今年は森さんの成長を見届けたいし、そして何より、戸高美湖さんがどこまで化けるか。本当に楽しみが尽きない。いやー当分この沼から抜け出せそうにないですよ。マジで。

東京室内歌劇場「シンデレラ」・江東オペラ「ドン・カルロ」~作り手の思いはしっかり客席に届くんだ~

令和最初の日記は、平成最後に連ちゃんで見た2つのオペラの感想を一気に。4月27日、せんがわ劇場で見た、東京室内歌劇場「シンデレラ」と、4月28日、女房が出演した、江東オペラ「ドン・カルロ」の感想を。まずは「シンデレラ」から。

 

指揮:新井義輝

演出:飯塚励生

ピアノ:遊間郁子

フルート:遠藤まり

ヴァイオリン:澤野慶子

チェロ:三間早苗

キャスト:

 サンドリヨン:里中トヨコ

 ド・ラ・アルティエール夫人:三橋千鶴

 シャルマン王子:橋本美香

 名付け親の妖精:中川美和

 ノエミ:小川嘉世

 ドロテ:加藤麻子

 パンドルフ:杉野正隆

 王:古澤利人

 大学長:佐藤慈雨

 儀典長:松井康司

 総理大臣:渡辺将大

 精霊たち 1:安陪恵美子

 精霊たち 2:橋本奏

 精霊たち 3:本田ゆりこ

 精霊たち 4:音羽麻紀子

 精霊たち 5:久利生悦子

 精霊たち 6:矢口智恵

 

 という布陣でした。

 

マノン作曲「サンドリオン(シンデレラ)」というオペラは、女房が東京シティオペラでタイトルロールを演じさせていただいた舞台を拝見してから、大好きなオペラになりました。その後、METでも初演された舞台がライブ・ビューイングで上映されたり、世界的にも再上演の動きが出てきている感じ。以前の日記にも書いたけど、単純なおとぎ話の物語に留まらず、純粋な少女の思いの強さが奇跡を生み、その奇跡が生んだ愛がさらなる奇跡を生んでいくスパイラル構造が、原作にない、夢の世界をさまよう王子様とシンデレラの出会いと告白の幻想的なシーンを挿入することによって、より明確に描かれている、とても美しいオペラです。かなり観念的なところが、さっぱりとエンターテイメントに徹したロッシーニの「チェネレントラ」とはちょっと違う。そして、ライトモチーフをちりばめたマスネのメロディが本当に美しくて、シンデレラが「素敵な王子様」と呼びかける旋律が出てくるたびにウルウルしてしまう。

女房が出た舞台とMETのライブビューイングも合わせると、今回の舞台でこのオペラは4回目の観劇。それぞれの舞台はそれぞれに持ち味があって面白いんだけど、今回は、せんがわ劇場という舞台の特性もあり、一人一人の演者のキャラクターが非常にくっきりと客席に伝わってきた気がしました。東京室内歌劇場のせんがわ劇場のシリーズは、2012年の「ジャンニ・スキッキ」以来全ての公演を見ていると思うんだけど、今回は過去の公演と比較しても、舞台装置が非常にシンプルで、歌い手の演技表現以外の演出的な要素が削ぎ落されていた感覚があり、それが余計に、演者の個性が真っ直ぐ客席に届いてきた一因のようにも思います。いくつもの銀の円盤だけで出来上がった舞台装置は、途中の照明の演出も加わってシンプルながらとても印象的だったですけど、それ自体が強烈に主張してくるのではなくて、あくまで演者の背景として存在していた。そんな中で、演者の演技以外に舞台を鮮やかに印象づけていたのが、衣装。奇抜なことは全然していなくて、非常にきちんと作り上げられた衣装だと思うのだけど、妖精の衣装は、照明の演出効果が最大限に活かせるように、さりげなく嫌味なく光の刺繍がほどこされていたり、カリカチュア的に作り上げられたイジワル姉妹の衣装や、丁寧に作りこまれた王子様の衣装、フレディ・マーキュリーの扮装をちょっと取り込んでみる遊び心など、ファンタジーとリアリティをしっかりと描き分けて見事でした。衣装担当の下斗米大輔(株式会社エフ・ジージー)さんにブラボーです。

そして演者の皆さんそれぞれに本当にキャラが立っていて素晴らしかった。ドラマのキーマンであるお父さん役の杉野さんの安定感、万年筆女子会でもまろやかな声でお客様を魅了している橋本さんの王子様の凛々しい美しさ、そして里中さんの、しっかりコントロールされた品格ある所作の美しさ、その他の皆さんも、合唱陣含めて本当に素敵だったのですけど、なんといっても、なんといっても(大事なところなので三回言いますが)、なんといっても、三橋さんのイジワル継母が最高!。ただ舞台に出てきただけで笑いが起こり、一言ちょっと歌っただけで客席が沸く、こんなお母さん役見たことないです。本当にすごかった。

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美貌の王子様にすりよる怪しい中年男。橋本さん、皆さま、お疲れ様でしたぁ。そして後方のお母さまが素敵だわ。

 

 続いては、女房が出演させていただいた、江東オペラ「ドン・カルロ」。

指揮:諸遊耕史

演出:土師雅人

出演

 ドン・カルロ:小貫岩夫

 エリザベッタ:津山恵

 フィリポ:高橋啓

 ロドリーゴ:山口邦明

 エボリ公女:田辺いづみ

 宗教裁判長:追分基

 テバルド:大津佐知子

 カルロ4世:松澤佑海

 レルマ伯爵:斎木智弥

 布告者:津久井佳男

 天使の声:高山由美

 演奏:江東オペラ管弦楽団

 合唱:江東オペラ合唱団

 

という布陣でした。

 

今回女房が参加させていただく前から、江東オペラ、という団体がある、ということは聞いていたのですが、今回、参加した女房から、「とにかく舞台の完成度がすごく高い」と聞いていて、期待胸いっぱいに会場に向かいました。そして期待を裏切らないクオリティに感激。昔お世話になった大田区民オペラといい、埼玉市民オペラといい、地元の調布市民オペラも素晴らしいというし、市民オペラって本当にすごいんですね。

ドン・カルロ」というオペラは、はっきり言って話としては完全に破綻していると思いますし、ちょっと重たすぎてオペラらしい華やかさに欠けるかな、という気がします。同じように話が完全に破綻している「トロヴァトーレ」のように、華やかな合唱シーンや戦闘シーンがあるわけでもないし、「アイーダ」のようなスぺクタクルシーンがあるわけでもない。でも、ものすごく素晴らしい音楽に満たされている、という点では、「トロヴァトーレ」と同じで、結果として、「ドン・カルロ」全幕上演を日本で見る機会って、来日公演以外では大変少ないのでは、という気がする。どうしてもハイライト上演など、美味しい所だけを取り出した上演になってしまう。

なので、なんと今回の主要キャストのほぼ全員が、初めて全幕上演に挑戦したのだそうです。アリアや二重唱などを抜粋で歌ったことはあっても、全幕通し、というのは初挑戦。それが逆に、今回の舞台のクオリティをすごく上げていた気がするんですね。出演者全員が、一期一会のこの機会に正面からぶつかってやろう、という気迫に満ちていて、その気迫が、客席にまでガンガン届いてきた気がする。

そういう出演者の気迫に、市民オペラらしく、関係者皆さんが、舞台に注ぎ込むエネルギーで応えている感覚があって、合唱団員の方々一人一人の熱演も含めて、舞台の熱量がとても高かった。それが最高潮に達したのが、なんといっても高橋恵三先生のフィリポ二世のアリア。先生の歌唱も本当に素晴らしかったのだけど、オケのチェロのソロが素晴らしくて、三幕冒頭のチェロのむせび泣きで思わず落涙してしまう。こんなの初めて。

唯一残念だったのが、字幕。ただでさえ複雑に絡み合った歴史ドラマで、セリフの一つ一つに隠喩とか婉曲表現が多く、直訳しても全然意味がわからない歌詞が多いのに、直訳調の上にかなり誤字脱字が多かったんですよね。字幕って結構時間がかかるし、難しいんだよなぁ。きっと校正の時間がなかったんだろうな、とは思うんだけど、ラストのデウス・マキナであるカルロ4世の亡霊の歌詞で、「天上で救われる」という言葉が、「天井」とタイポされたまま映写されてしまって、ラストのラストですごく残念だった。

重苦しいオペラの中で一服の清涼剤になるのが、うちの女房が演じたお小姓テバルドで、貴族の品格と、幼いながらも武人としての佇まい、でも一方でキュートな無邪気さも併せ持った少年を、過不足なく演じ切っておりました。有名なエボリ公女との二重唱では、初役に挑戦した盟友田辺いづみさんの気迫をしっかりと支えていましたし、フランドルの民の直訴シーンでは、Tuttiをズドンと突き抜けてくるエリザベートの津山さんの声ときれいに一体化していました。

作り手の想いっていうのは結構ダイレクトに客席に飛んでくる。一人一人が、この舞台でこの歌を歌ったら、またいつ歌えるか分からないぞ、という思いで、一音一音、ひと声ひと声を大事に大事に精いっぱい歌っている気持ちが、客席にガンガン届いてきて、なんだか胸がいっぱいになりました。江東オペラの皆様、女房がお世話になりました。これからも何卒よろしくお願いいたします。

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エボリ公女さまと。いい現場に参加できてよかったね。

人生初のソロリサイタル~ロマンチストのベースが夢見た主旋律を歌うまで~

最近この日記が、さくら学院の感想ばっかりになっていて、身内から若干苦情申し立てもあったので、ちょっと近況報告も兼ねて、昨日、4月19日にマエストローラ音楽院で開催した、自分のソロリサイタルの感想を書こうかと思います。色々とやらかしたんですが、それでも、やってみてよかった、と思えたイベントでした。以下、ご来場くださった皆様にはMCでお話した内容もありますが、リサイタルに至る経緯や選曲の過程などで思ったことを、前半の歌曲を中心に、まとめておきます。

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こんな泥舟企画に同乗してくださった、心優しい、ソプラノの君島由美子さん、ピアニストの小澤佳奈さん、本当にありがとうございました。そんなに心優しいとね、振り込め詐欺にあいますよ。

 

Singspielersのさろん・こんさぁと、と銘打ったシリーズは、今回の会場にもなったマエストローラ音楽院を舞台に、何度か開催していて、前回は、昨年の6月、少し会場を広くして、渋谷のラトリエというサロンで、「わるいやつら」というお題で開催しました。そのあと、次はどんな企画のコンサートにしようかなぁ、と思っていた時に、ガレリア座の友達の一人に、

「北さんがやってきたオペレッタの役って、『わるいやつら』というより、『憎めないやつら』って感じですよね」

と言われて、そうか、「憎めないやつら」ってのもいいな、と思ったんですね。これまでやってきたオペレッタのレパートリーがそこそこ溜まっているから、何曲か披露すれば、お客様に楽しんでいただける舞台が作れるかも、と。だったら、思い切ってソロリサイタルにしてみようか。

でも、せっかくやるなら、今までやってきたレパートリーだけだとつまらない。何かしら、オペレッタだけじゃなくて、新しい曲に挑戦してみたい。とはいえ、全く知らない曲に挑む自信もないので、自分の知っている曲で、新しいレパートリーにできる歌曲とかないかな、と思っていた時に、女房が歌った、木下牧子先生の「夢みたものは...」を聞いて、自分のよく知っている合唱曲を歌曲にアレンジした曲を取り上げるといいな、と思いついた。オペレッタのステージと組み合わせれば、自分のやっている、合唱とオペレッタという、二つの音楽活動を包括したリサイタルに仕上げられるな、と決めて、そこから話がどんどん具体化してきました。

まずは、「憎めないやつら」のバランスで、合唱曲のステージのタイトルをどうしようかな、と考える。リサイタルや演奏会のタイトルはすごく大事だ、と思ってしまう夫婦なんですよ。女房がアメリカから帰国してきた時のソロリサイタル「ただいまの気持ち」というタイトルも、かなりこだわって、「ただ今帰りました」と「ただ今この瞬間の気持ち」という二つの意味をかけてつけたタイトルでしたし。私の企画のサロンコンサートのシリーズも、「わるいやつら」とか、「オペレッタの中の「ラ・ボエーム」」とか、お客様の目を引くキャッチフレーズにかなりこだわる。ということで、混声合唱団でなかなか主旋律を歌わせてもらえないベースの悲哀と、取り上げる予定の木下牧子先生の歌曲のタイトルを組み合わせて、「ロマンチストのベースが夢見たものは主旋律」というふざけたタイトルを思いついて、これでいこう、と。

木下先生の歌曲の中から、これとこれを歌いたい、とリストアップして、家で「こんな感じで歌いたいんだけどね」という話を女房に相談。そうしたら、女房が、

「どの曲も調性と曲調が似通っているよね。リサイタルの選曲をする時には、違った曲調や調性の曲を少し間に挟んだりしてみるものなんだよ。」

と言い出して、木下牧子先生の歌曲集を眺めながら、「これがよいと思う」と差し出してきたのが、「夕顔」。女声合唱曲「叙情小曲集『月の角笛』」の中の一曲なので、混声合唱で育ってきた私にとっては初見の曲だったのですけど、短い中に緊張感とドラマが詰まった素晴らしい曲で、よし、挑戦してみよう、ということになる。

他に、「鴎」は絶対やりたい、という話をする。合唱人ならかなりの人が歌ったことのある名曲なんですけど、混声合唱の「鴎」のベースは、ほとんどハミングで、この素晴らしい主旋律を歌うことができない。主旋律を歌いたい、というテーマにこんなにしっくりする曲はないからね、という話をしたら、またしても女房が、

「この『鴎』がどんな意味があるか、知ってるかね?」

と言ってくる。昭和21年に三好達治先生が書かれた詩、ということは知っていたので、終戦直後の解放感を歌った詩なんじゃないのか、と言ったら、

「鴎はね、海軍兵学校の学生さんの白い夏服を象徴しているんだよ」

と言われる。そうだったのか。ネットで調べてみると、第二次大戦中、戦意高揚の詩を沢山書かれていた三好先生が、学徒出陣の学生を前に、「なぜ前途ある君たちが死地に向かわねばならないのか」と号泣された、というエピソードとともに、歌詞の中には「彼ら」としか歌われていない、歌のタイトルの「鴎」が、戦地に散った学生の魂を象徴している、という話が載っていた。そんな歌だとは全然知らずに今まで、かっこいい歌だなぁ、と気持ちよく歌っていた自分を大変恥ずかしく思うと共に、ああ、これだけでも、このソロリサイタル企画してよかったなぁ、と思う。ソロリサイタルをやろうと思わなかったら、そして、この曲を取り上げようと思わなかったら、私はこれからもこの曲に込められた詩人の血を吐くような慨嘆の想いを知らないでいただろうな、と。

さて、曲が決まったら、次に調性です。原調で歌えればいいんですが、さすがにバスバリトンの自分には高い曲が多い。師匠の立花敏弘先生のところに持って行って、原調で歌ってみると、先生から、「うーむ、ちょっと高いよねぇ」といわれる。

「自分の持っている一番いい声でお客様に届けよう、ということをメインに考えるのが大事だよ。原調にこだわる人もいるけど、オペラやアンサンブルや試験じゃないんだから。自分の声の魅力が一番出る調性に変えればいいんです。その方がお客様にとっても自分にとっても心地よいのだから」

と言われて、「ロマンチストの豚」以外の曲は、全て原調から半音~全音移調して歌いました。それでもかなり高音だったのだけど、原調で歌うより無理なく表現できたと思います。移調楽譜は娘が、「一曲x千円ね」とアルバイトで作成してくれました。

こうやって振り返ってみれば、今回のソロリサイタル、ソロ、と言いながら、共演者のお二人、色んなアドバイスをくれた女房どの、師匠の立花先生、娘と、色んな人に支えられて本番の日を迎えられたんだな、と、改めて思います(ヘアメイクをお願いしたラルテの松本さんもね)。そういうプロセスの中で、自分の知らなかった曲、知らなかった物語、舞台を作る上での心構えなど、色んなことを学べました。一つの新しいことに挑戦すれば、必ず何かしら得られるものがある。50を過ぎて、もういい加減落ち着かないといけない年齢ではあるんですけど、こんなに新しい発見があるから、やっぱり挑戦することはやめられないと思った、そんな人生初のソロリサイタルでした。支えてくれた皆さん、そして何より、あの場に集まって下さった優しい笑顔のお客様方、本当にありがとうございました。まだまだ色々企ててまいります。これからも生温かい目で見守ってやってください。やっぱり舞台っていいなぁ。本当にいいなぁ。

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第二部、おなじみ、オッフェンバックの「天国と地獄」より、「ハエの二重唱」。これをレパートリーにして何度も歌っている自分って、何者なんでしょうって思うよね。

 

さくら学院 Road to graduation 2018 ~未完成だからいいんだ~

さくら学院2018年度最後のライブ、さくら学院Road to graduation2018に参戦してきました。今日、調布で見たライブビューイングで色々再確認して、まずはその速報的レポート。結局2018年度は、新谷さんと麻生さんがドラマを作り、日高さんに支えられた一年だったなぁ、というのが一番の感想なんだけど、さらに言えば、永遠に成長し続ける、常に未完成であり続けるこのグループの魅力を、色んな意味で再確認した現場でした。


開演前の中三ずのアナウンスから、3人がとてもリラックスしている感じが伝わってきて、とにかく何事もなく無事にこの日を迎えられたことにまずはホッとする。実は結構奇跡的なことだと思うんですよ。毎年の卒業式に、誰一人欠席者がいないというのは。それだけ、職員室の先生方や生徒さんのリアル父兄さん達含めた学院全体が、この日に向けて、メンバーの体調管理含めてしっかり準備してきている成果だと思う。


一曲目の「目指せスーパーレディー」では、メンバーの一人一人が本当に楽しそうで、この曲は自己紹介ソング、という意味づけだけじゃなくて、メンバーの個性を解放するための呪文のような役割を果たしてるんだな、という気がしました。途中の出席を取るシーンで森先生が後半、白鳥さんのところで噛んじゃったのはメンバーもびっくりしてたみたいだけど、でもそれを笑顔で乗り越えてしまうメンバーの楽しそうな雰囲気に癒されてしまう。


「Hello! Ivy」も本当にのびのびしたパフォーマンスで、これが卒業公演だということを忘れてしまうような楽しい雰囲気。多分こういう温かい空気感が、2018年度の空気感なんだね。リラックスした雰囲気のMCの後の「Fly Away」、「Fairy tale」も、いつも通りの全力のパフォーマンスと完璧なフォーメーションダンスで、このグループのポテンシャルの高さを見せつけられる感じ。


続いて、今年の歩みの映像が流れて、この辺りから、今日が特別な日だ、ということを示す演出が徐々に加わってくる。美術部の「C’est la vie」の、新谷さんの桜の胸章や卒業生の名前を映し出した映像。そしてその後、帰宅部sleepiecesの「すいみん不足」「めだかの兄妹」がパフォーマンスされたのは本当に興奮しました。麻生さんが参加した唯一の部活動、最後にパフォーマンスさせてあげたい、という職員室の思いも伝わったし、日高さんを参加させてあげた配慮も素敵だったし、それにしっかり答える日高さんのパフォーマンス力の高さにも感動。8年間の歴史の中で、12人でしかできない名曲がたくさん積み上がってきて、部活動に割く時間がなかなか確保できないのじゃないか、とは思うのだけど、少人数のユニットだからこそ学べることもたくさんあると思うので、やっぱり部活動という試みは続けて欲しいなぁと思います。購買部のコントでは、吉田さんがちょっとだけテンパった瞬間があったけど、それでも笑えるってのはこのコンビの安定感だねぇ。「ピースde Check」も本当にかっこよかった。


中三3人のMCに続いての中三曲、「clover」は、初めて舞台で観たんですけど、曲調の昭和っぽさから想像していたのとちょっと違って、perfumeを思わせるかなり現代的な振り付けが付いていて、そのギャップも面白かった。この辺りから、もう麻生さんの感情は決壊寸前だったみたい。


「未完成シルエット」のパフォーマンス中に、麻生さんが決壊してしまったのは、ご本人としては悔しい事かもしれないけど、見ていた側としてはそれが胸をぎゅっと掴まれてしまった瞬間で、私の周囲の父兄さんもこの辺りから目頭を押さえる人たち続出でした。涙のせいで一瞬音程が狂ってしまった麻生さんが、その後の「Jump up」でも何度か咳き込んでいて、それを気遣う仲間たちとのアイコンタクトでまた涙。そのJump upの途中で、野中ここなさんが途中退場するトラブルもあり、この辺りから、みんな最後まで顔笑れ、というドキドキも重なって、見る側の感情ミルフィーユがどんどん重なっていく。(と言いつつ、野中さんの退場は、本当にいつ退場しただろうと思わせるほど自然で、昨年の新谷さんの退場のような見事な所作でしたが。)その後の「My graduation toss」で、麻生さんが見事に立ち直った伸びやかなソロを聴かせてくれてホッとして、麻生さんのチェシャ猫が見れた「スリープワンダー」で、ああ、これも麻生さんへのプレゼント選曲だなぁ、と思う。


その「スリープワンダー」で、「足についた泥を見つけて」の箇所で麻生さんのソロが飛んでしまう、というトラブルがありました。でもそんなミスが出るのも無理のないことで、今年のフォーメーションになって今回が初披露なんですよね。昨年やっているとしても、歌割りは全然違う。こういうトラブルというのは、パフォーマンスとしての完成度、という意味では明らかな瑕疵で、完璧なパフォーマンスを届けたい、という目標を掲げる生徒さんたちからすれば、ものすごく悔しい事だとは思います。前述の野中さんの途中退場もそうだし、美術部の「C’est la vie」の途中で、下手側、森さんに当たるはずのスポットが点灯しなくて、一瞬森さんの周囲が真っ暗になってしまった、という機材トラブルも含めて、今回の舞台に悔しい思いはたくさんあると思う。でもね、それが一期一会の舞台というものだから。常に未完成であるからこそ前進できるし、常に最高であり続けることができるのだから。2012年度の卒業式DVDがあれだけ感動的なのは、あのパフォーマンスが完璧だからではなくて、中元すず香さんが、込み上げてくるものを必死にこらえながら振り絞っているギリギリの感情表現が、時に破綻しながらも見る者の心をガンガン揺さぶってくるから。そういう意味では、今回の舞台は、2012年度のあの感じに匹敵する一期一会の感動をくれた、最高の舞台だったと思います。それを産み出した1つの大きな要因は、間違いなく麻生さんだったと思う。一階席の前から7列目、という良席で見ていると、麻生さんの実声がマイクを抜けて、ずん、と客席に届いてきて、PAを通した声とハウリングを起こすような瞬間が何度かあって、そんな感覚は他のメンバーの歌唱では感じることはできなかった。BABYMETALのライブで、すぅさんの声にそういう感覚を感じたことがある。やっぱり麻生さんは、中元すず香の後継者だったのかも、と思ったり。


気迫を込めて立て直した「約束の未来」、そして、ラストの「Carry on」は、麻生さんの感動的な曲振りMCと、さくら学院のライブでは珍しいスモークを使った透明感ある照明含め、深化したさくら学院の表現ステージを見た気がしました。なんか、BABYMETALの「starlight」の舞台を見たときのような浮遊感があった。


卒業証書授与式でもそうだったけど、全体を通して、感情が溢れ出してしまう麻生さんと新谷さんが、パフォーマンスの不安定要因になるところを、日高さんが常にしっかりと歌とダンスを支えている姿があって、日高さんがこの年度を支えていたんだな、と改めて思う。観客の心を揺さぶるのは、むしろ抑えきれない感情が漏れ出してしまう麻生さんや新谷さんの表情なのだけど、それでパフォーマンスが破綻しなかったのは、日高さんや中二の支えがあったおかげだと思う。そんな中二に対して、答辞の中で、新谷さんが森さんにかけた、「自分だけで抱えないで人をもっと頼って」という言葉が本当に素敵で、そこまで顔笑ってた森さんがそこで号泣してしまった姿にもらい泣き。他の在校生にかけた言葉も、1つ1つが的確で、この人はメンバーのことを本当によく見てたんだなぁ、と思った。


そして、倉本校長と森先生の答辞に、さくら学院はやっぱり教育の場なんだな、と再確認。「君たちはスーパーレディになれる。なぜなら君たちは、さくら学院で学んだのだから」という倉本校長の言葉、「さくら学院は成長期限定ユニットだけど、僕自身が学院祭の脚本で成長させてもらえたし、こんなおじさんでも成長できる、人間は生きている限り成長期、だから君たちはずっと、さくら学院生なんだ」という森先生の言葉が、胸にガツンと刺さりました。


旅立ちの日に」から「See You」という流れは卒業公演のラストの鉄板なんだけど、鉄板の流れだからこそ、それを揺らがせる不安定要因としてのメンバーの感情がはっきり見えて、それが胸アツ要因になるんだね。ここでも麻生さんと新谷さんが感極まっている中で、日高さんの安定感が際立つ。その日高さんが、唯一言葉を詰まらせるように感情を見せたのが、最後のあいさつで、「何度もさくら学院を辞めようと思った」という日高さんの言葉には、我々の知らない様々な葛藤や感情がこもっていた。日高さんというのは、色んな意味で自分がマイノリティであることの居心地の悪さ、みたいなものに悩んでいる感じがあって、それを乗り越えようとする、人には見せない葛藤があったのかもしれない、と思います。自分が15歳の時に、これだけの自我との会話と決断を迫られるような瞬間があったかなぁ、と反省してしまう。


2018年度の三人の魅力は、こういう感情の揺らぎを人にさらけ出しながら、それでもパフォーマンスの質を維持できる意志の強さで、それは日高さんだけでなく、感情が噴き出してしまう新谷さんや麻生さんも、その感情の奔流に必死に耐えながら、高いパフォーマンスを維持するだけの心の強さと高い能力を持っている。今の中二ーずには、自分をさらけ出すことへの躊躇があったり、さらけ出してしまった自分をコントロールする器用さが欠けている感じがあって、そこを是非突破して欲しいんだよね。厳しい言い方だけど、去年の卒業式時点の新谷、麻生、日高の方が、今の中二ーず四人より総合力が上回っているのは間違いない。でも、中二ーずの強みは、一人一人の総合力は弱いかもしれないけど、一人一人がそれぞれの得意分野を持っていること。森さんの企画力や毒舌、有友さんの美しさとお笑い、吉田さんの地方組をまとめる温かさ、藤平さんのパフォーマンス力。新谷さんが森さんに告げた、「自分で抱え込まないで人に頼りなさい」という言葉は、中二ーずの四人みんなに送った言葉かもしれない、なんて思います。


正直、一番推しの麻生さんの卒業で、このまま2019年度もさくら学院の現場通いを続けるか、ちょっと迷いがあるのも事実です。一番推しの卒業と共に現場を離れる父兄さんも多いと聞くけど、見ていてちょっと不安な感じの抜けない中二ーずの四人の成長物語を一年間見守るのも面白いかもな、とは思う。なんかね、ここでしばらく離れてしまったら、成長のプロセスを同時体験する、という、このグループのくれる宝物を逃してしまうような気もするんだよね。もうしばらく、沼の中で様子を見ていたい気がします。何より、中二ーずには、多分2019年度の鍵を握る、有友さんという推しがいるからなぁ。

麻生真彩さんが歌手を目指すために必要なことは

2018年度のさくら学院も残りわずかで、先日のラストのオールスタンディングライブで中3三人の進路発表があり、三人とも厳しい道ながらパフォーマーとしての道を進む、との発表。正直、少し前から、三人ともしっかり将来を見据えた発言が多かった事もあり、予想通りの発表ではあったのだけど、一番推しの麻生さんが歌手を目指す、というのが、一番推しだけに一番心配。そもそもここまでさくら学院にハマってしまった一因が、麻生さんのパワフルな歌声なので、本当に嬉しい反面、その道筋が厳しいことも分かっているから、すごく心配にもなる。末恐ろしい逸材と言われた武藤彩未さんですら、地道なステージ活動をまだ積み上げている最中で、いきなり脚光を浴びることはまず望めない世界。だからこそ逆に、麻生さんにはじっくり地力を蓄えてほしいと思うし、厳しい言い方をすれば、麻生真彩はまだまだ発展途上だと思う。その伸びしろを充分伸ばすために、麻生さんに必要なことは何か、素人のくせに本当に偉そうな文章で申し訳ないのだけど、ちょっと思ったことを書き留めておきたいと思います。もし万が一、麻生さんご自身がこの駄文を見ることがあったとしても、全然無視してもらって結構で、それくらい素人の戯言です。

 

技術的なポイントをまず言えば、麻生真彩さんの歌唱の最大の弱点は、音程が安定しないことだと思う。これさえ克服できたら、麻生さんの歌唱はどこに出しても恥ずかしくないものになる。音程がハマっている時の声の伸びと、上手くハメ切れていない時の声の伸びが全然違う。音程を安定させるのは、がっちりした下半身に支えられたブレスコントロールなので、さくら学院を卒業した後も、歌うための身体作りをしっかり研究して、地道に鍛え続けてほしい。下半身が安定して、いいポジションをフレーズの流れの中で安定してキープすることができたら、必ず音程はよくなる。これは、クラシック歌手も含めた全ての歌い手が一生苦しみ続ける課題だから、逆に言えば色んな解決方法やトレーニング方法があるはず。

 

気持ちの問題で言えば、自分の耳に入ってくる声を信じないこと。録音した自分の声を聞いたら、まるで別人のようでびっくりすると思うけど、それくらい、歌っている時に自分の耳に入ってくる声と、人の耳に届く自分の声は違う。要するに、自分の判断や評価だけに頼ってちゃダメだよ、ということで、歌ほど、トレーナーさんや周りの意見をしっかり聴くことが大事なパフォーマンスもないと思う。レッスンの時に自分の声を録音して、いい感じの声が出ている時の身体のポジションや言葉のさばき方を愚直に覚えていくとか、そういう客観的な視線で自己分析を重ねる地道な努力を続けないと歌は上達しないし、麻生さんはさくら学院の日々の中で、人の意見をきちんと聞くことや、その中で自分なりに納得できる答えを見つけていくことの大切さをがっちり学んでいるはず。

 

と、こう書いているのは、実は歌を学んでいる自分自身にまさに当てはまることばかりなんだよね。私も、歌を学んでいて、しょっちゅう、今の声は違う、今の身体の使い方はなってない、音程が悪い、と怒られてばかり。そしてそういう外からの意見に対して、なかなか素直になれない自分もいる。オレの耳にはちゃんと上手に聞こえてるのに、何がいけないっていうんだ、と逆ギレすることもよくある。でも、人の意見に耳を傾けながら、その中で、自分の納得できる自分自身のあるべき姿を見つけていくことを重ねていかないと、いい歌は歌えないんだよね。麻生さんに言ってるのか、自分に言い聞かせてるのか分からなくなってきたけど。

 

あと、麻生さんには、田野アサミさんが2017年度の卒業生に言っていた、「他人と自分を比べない」という言葉も送りたい気がする。他の卒業生や同世代の歌い手と比べられることも多いだろうし、負けん気の強い麻生さんは、他人の様子が気になってしまう時期もあるかもしれないけど、歌は他人と競い合うものじゃないから。自分の中からしか出てこないものだから。他人を押しのけて自分を押し出そうとする歌は、なんとなく押し付けがましくなってしまって、人の心に響かなくなるものだから。

 

2018年度のさくら学院のエースは間違いなく麻生真彩だったと思う。新谷ゆづみさんや日高麻鈴さんという素晴らしい仲間に支えられたおかげで、歌もダンスもバラエティも、麻生さんの表現の幅は一年前より段違いにスケールアップしているのは間違いない。でもまだまだ上に行ける。さくら学院で学んだ、周りの声に謙虚に耳を傾けながら、自分に足りないものを貪欲に克服していこうと足掻き続ける姿勢を忘れなければ、そしてただひたすらに歌が好き、という純粋な気持ちさえ忘れなければ、きっとあなたの歌声は聞く人の心を変える力になると思う。麻生さん、いい歌い手になってください。あなたならきっとなれるから。