最近のインプット、四連発でいきますが、とりあえず二つ。

 例によって更新が滞っておりまして、申し訳ございません。さぼっている間にそれなりにインプットはあったので、ここでまとめて。ということで、四連発です。

 

北とぴあ合唱フェスティバルで、清泉女学院のユニゾンに圧倒される

・映画「さよならくちびる」、セリフに頼らない文法が心地よいのよ

・調布フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会ホルストがオシャレ

・METライブビューイング「カルメル会修道女の会話」で号泣

と四本でーす(サザエさん風)。書ききれるのかなぁ、と思って書きだしたらやっぱり書ききれそうにないので、まずは前半二つのみ。

 

北とぴあ合唱フェスティバルで、清泉女学院のユニゾンに圧倒される

所属している合唱団「麗鳴」で参加した北とぴあ合唱フェスティバルクロージングコンサート、テーマは信長貴富作品、ということで、信長先生ご自身に指揮していただいたり、その他の合唱団の素晴らしいパフォーマンスに触れたり、実に稀有の体験をさせていただきました。

中でも圧倒されたのが、清泉女学院の演奏で、リハーサルの最中とか、舞台裏でスタンバイしている時には本当に普通のわちゃわちゃした感じのお嬢さんたちなのに、いったん演奏が始まった途端に会場全体が底鳴りするような凄い音が鳴るんです。同じような圧倒的な響きを持っていたお江戸コラリアーずに比べて、全体の声量が勝っているわけではないのに、本当に会場全体がぐわんぐわん鳴るんですよ。この圧倒的なパワーはなんだろう、と思ったら、本番を指揮してくれたTさんが、

「ユニゾンの力ですね」

とぼそっと呟いていて、そういうことか、と思った。複数の人の声が完ぺきにシンクロした時に生まれる倍音の層の厚さが、会場全体を共鳴させるんですね。パワーじゃなくて、ピッチの正確さとシンクロ率の高さなんです。清泉女学院は「新入団員を中心としたまだ若いメンバーで臨みました」というコメントがあって、それでこのシンクロ率っていったいなんなの、と口あんぐり。日本のトップレベルの部活って、本当に世界レベルなんだなぁ、と改めて思いました。

 

・映画「さよならくちびる」、セリフに頼らない文法が心地よいのよ

この映画のことを知ったのは、さくら学院卒業生の新谷ゆづみさんと日髙麻鈴さんの映画デビュー作、ということがきっかけだったので、まぁ裏口から入ったようなものなんですが、聞けば、以前見て号泣した「黄泉がえり」の塩田明彦監督の作品だという。これは見なければ、と思っていたところに、日比谷で新谷さんと日髙さんの舞台挨拶付きの上映回がある、というので、申し込んだら当選。喜び勇んで見てきました。

映画というのは表現のためのツールなので、これをどう使って何を語るか、という語り口に、監督の作家性が出るわけですけど、「黄泉がえり」で感じた塩田監督の語り口は、役者の口から発せられる言葉だけに頼らずに、どれだけ物語を語れるか、ということを突き詰めるタイプの監督さんだ、という印象でした。特に、伊東美咲さんが演じる聾学校の教師が、よみがえった聾者だった母親と手話を交えて会話するシーンについて、その感動を以前のこの日記にも書いています。

塩田監督の代表作とも言われる「月光の囁き」を見ていないので、実に浅薄な感想になってしまうのだけど、「さよならくちびる」も、言葉にならない互いへの想いを伝える術を知らなくて、音楽という儚い絆にすがる3人の男女を描いていて、本当に切ないいい映画でした。音楽は時間芸術なので、その時間をライブ会場で共有した高揚感は、その時間が過ぎれば消えてしまう。そんな儚い絆が、三人だけではなくて、その音楽に触れた人々をつないでいく。でもそれはあまりに儚くて、だからこそリアルな人間同士のぶつかり合いを支えきれずに、三人は互いに傷つき、別れを決意するところまでこじれてしまう。

主役の二人の演じるギターデュオ「ハルレオ」のファン、という役柄だった日髙さんが、自分を周囲の人々、あるいは世界そのものとつなぎとめてくれた「ハルレオ」の音楽をくちずさみながら、感極まって泣き出し、それを優しい笑顔で新谷さんが受け止める、というシーンは、音楽が人と人をつなぐ力を持っているのだ、ここにも、音楽の絆で結ばれた人たちがいるんだ、ということを象徴する名シーンでした。(ちなみにこの日髙さんが歌いだした、というのは日髙さんのアドリブだった、というのも、さくら学院のファンの間では大変話題になっていたんですが)

言葉に頼らずにドラマを描こう、とする塩田監督の指向は、主役三人が頻繁に口にする煙草にも表現されていて、要するに言葉に詰まった時に胸にたまった想いを煙にして吐き出すための道具なんだよね。最近、映画で喫煙シーンが多いと文句を言われる、なんていう風潮に対する、塩田監督の反骨精神も現れているようで面白かった。

ロードムービー、というのは、旅の初めと旅の終わりで、主人公たちがいかに変化するか、というのが物語のキモで、あのラストシーンには賛否あるかもしれないけど、あの三人の関係性がこの旅を経て確実に変化した、という納得感があって、私的には嬉しいラストシーンでしたね。

人が口にする言葉にあまり信頼を置いていない塩田監督なのだけど、逆に信頼しているのが、音楽の力と、詩の力。すごく印象的に現れるのが、ところどころに挿入されるハルの書いた詩で、美しい風景を背景に白抜きの飾らない文字で画面に現れる詩が、言葉にならない、音楽に乗せた歌詞としてしか表出できないハルの想いを綴っていて胸に迫る。映画の宣伝にも使われていたレオがハルに強引にキスをするシーンで、すっかり「百合映画」という印象を持たれている人も多いかもしれないけど、ハルはレオのことが好きなのに、その想いに答えようとするハルを拒絶するので、百合の関係すらこの二人の間には成立しない。この三人の関係の中で一番複雑なのはハルの気持ちで、多分ハルの気持ちはどこにも行き場がなくて、ただひたすらに音楽に向かっていく。そうやって空に放たれたハルの音楽や歌詞の力が、レオやシマをハルにどうしようもなく惹きつけてしまう、そのゴールのない関係性が切なくて愛しくて。

こういう「音楽映画」で、挿入される音楽がショボいと、なんとも残念な結果になるんですけど、主題歌の「さよならくちびる」にせよ、挿入歌の「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」も、どちらもとてもいい曲だった。楽曲の完成度の高さが、この映画をさらに佳作に仕上げていたと思います。考えてみたら、「黄泉がえり」もクライマックスはライブシーンだったなぁ。

 

さて、今日のところはこんなところで。またすぐ、残りの二つのインプットについても書きますね。来週も、見てくださいね~(サザエさん風)