パフォーマンスを作るのはパフォーマーだけじゃない

日記の更新サボってるんですが、どちらかというとインプットが多すぎて消化しきれず溜まってる感じ。先日、集中的なインプットがあったので、ちょっと一気に吐き出してみます。「劇場版推しが武道館に行ったら死ぬ」の応援上映と、BABYMETAL BEGINS -THE OTHER ONE-のディレイ・ビューイングに、先週の土曜日に連続で参戦したので、その感想をまとめて。

「推しが武道館に行ったら死ぬ」は、自分の推しのonefiveが、岡山の地方アイドルCham Jamのメンバーとして出演する、ということで、ドラマ版からずっと見てきたコンテンツ。ドラマから入って、漫画原作からアニメまで制覇して、漫画の絵柄の繊細な美しさ、アニメに描かれる岡山の街並みの美しさ、そして実写版ドラマのアイドルさん達とヲタさん達の絆に涙。この劇場版が公開される、ということで、公開直後に劇場に見に行きました。満足度の無茶苦茶高かったドラマ版をさらに凌駕するホントに素敵な映画。原作の世界観を深く理解した上で、それをさらに掘り下げるオリジナルストーリーも加えながら、きちんと伏線を張ってきちんと回収していく丁寧な脚本。ドラマ版でも感じた絵作りの丁寧さも相変わらずだったけど、今回は舞菜を中心としたChamJamの子達のドラマに深みが加わっていて、そこがさらに、アイドルとヲタの関係性というテーマを感動的なものにしていた気がしました。市井舞菜役の伊礼姫奈さんの陰影のある演技はドラマでも存在感あったけど、劇場版では五十嵐れお役の中村里帆さんが本当によかった。過去の自分の挫折も、グループの試練も夢も、かつての盟友との絆も、全てを一身に抱えて、それを未来ある舞菜に託す、という物語の大きな軸を、中村さんが微妙に震える表情や声の変化で繊細かつ美しく表現していて、だからこそラストシーンで、れおが舞菜にかける言葉が物語の全ての重量を支える重いセリフになる。ラストのライブシーンが、音楽映画によくある取ってつけたようなサービスシーンじゃなくて、Cham Jamという、本当にそこに存在しているグループと、メンバー一人一人の成長と夢を表現する希望の舞台になって、画面のこちら側の客席にも確かなリアリティを持って迫ってくる。Twitterにも書いたけどなんか京都アニメーションの佳作を見てるような気がした。

そんなリアリティあるライブシーン、自分ももっと没入したいなぁ、と思ってたら、「応援上映」企画のニュースが出て、これは行かないと、と思ったんですよ。同じ土曜日に予定を入れていたBABYMETAL BEGINSのディレイビューイングの時間に間に合わせるために、池袋で開催された応援上映に参戦。Cham Jamメンバーを演じた推しのonefiveのTシャツ着て、サイリウムも持って、しっかり準備して行ったんですよ。

だけど、映画館の客席の前方は空席が多くて、自分の周囲の方々は皆さん地蔵状態だったんだよね。冒頭からラストのライブシーンまで会場はシーンとしてて、自分も、ラストのライブシーン前にサイリウムをつけるのが精いっぱい。後席の方はライブシーンでは結構盛り上がってたみたいで、「舞菜がんばれ!」なんて女ヲタさんの声が飛んだ時は結構胸熱になったりしたんだけど、正直すごく不完全燃焼に終わってしまった。

一方で、同じ日の少し遅い時間にスタートした新宿会場は満席状態で、映画冒頭から応援(というかヤジ)で無茶苦茶盛り上がったみたい。その新宿会場のレポートとかが回ってくると、自分が切込隊長になって声上げる勇気出せなかったことを本当に後悔。Cham Jamの子達に声かけられるのはこれが最初で最後だったのになぁ。冒頭に舞奈がアップになるシーンで、オレが一言、「舞菜〜」って声出すだけで劇場の空気変わっただろうに、それができなかった小心者の自分が悔しい。「三崎さん、田中だけはやめとけ〜」って言ってあげたかったのになぁ(それかよ)。

応援上映なんて凄く分かりやすい例なんだけど、要するにパフォーマンスを作るのって、パフォーマーや作品だけじゃなくて、オーディエンスがどんな空気感を作るかってことが大きく影響するんだよね。自分や女房が関わってるオペラとかクラシック演奏会の世界では、200人の会場にお客様が20人くらい、なんていう、絵にかいたような「閑古鳥」が鳴いているコンサートもたまにあります。それでもビジネスとして成り立ってしまうのがクラシック業界の別の問題だったりするんだけどね。でもそういう冷え切った会場では、パフォーマー自身が自分から熱を発していかないといけなくて、疲労感半端ないし、いいパフォーマンスにするのは至難の業です。

逆の意味で、オーディエンスがパフォーマンスを伝説のレベルにまで引き上げることもあって、それを実感したのが、同じ日に行ったBABYMETALのディレイビューイングだったんですよね。まだ2ヶ月しか経ってないんだなぁ。なんか神話の世界に転移していたような、夢でも見ていたのか、というような記憶しかない、4月1日のぴあアリーナMMでのパフォーマンスを記録したディレイビューイングに、応援上映の不完全燃焼感を抱えて参戦。こちらは一言も声を出さずに食い入るように画面を見ていたんだけど、ラストには涙止まらなくなって、Cham Jamメンバータオルで流れる涙を拭っておりました。横から見たらマジ気色悪い。ちなみにタオルは優香タオル。

面白いのは、この公演も決してオーディエンスは最初から無条件に盛り上がってたわけじゃなかったこと。幕張で三つ目の棺が登場し、3人目の新メンバーが暗示された後のこの公演、冒頭の「LEGEND」こそその物語を引き継いでいたし、メギツネから始まったその後の一連のセットリストは、大人の雰囲気を持った新曲の初披露も交えてそれなりに盛り上がってはいたけど、どこかで、初めてのコラボとなる西の神バンドと新曲のセッションを試しているような、その音を聴衆側も確認しているような、「睨み合い」みたいな時間がしばらく流れていた気がします。ここで何かが起こるんじゃないのか、幕張で予告された「The Other BABYMETAL」がここで生まれるんじゃないのか。オレたちはそれを見に来たのに、新曲のセッション聴かされてもなぁ、という空気がなかったとはいえない。

その空気感が一気に変化したのが、戸高美湖、木村咲愛、加藤ここなの3名による「新生命体」(私は「ちびメタ」と呼んでるけど、「ぐんぐん隊」という呼称もある)のKARATEのパフォーマンスからでした。新生命体の3人が、BABYMETALがこれから進もうとする新しい挑戦とその物語への期待感、METALVERSEというコンセプトを目に見える形で示してくれた。その後の新曲、「Believing」と「METALIZM」は、前半の新曲披露とは少し色合いを変えていて、「この後絶対に何かが起こる、俺たちは歴史の証人になる」という期待感がギリギリ増大していった気がします。特に「METALIZM」は、コンセプトアルバムの中でも、インド民族音楽的なバーバリッシュな空気感が溢れる名曲で、これが披露された後、鉄板の「Distortion」「PaPaYa」での熱狂は、鉄板曲としての狂騒を超えていて、これは何かの終わりなのだ、何かの終わりを祝う祝祭なのだ、という意識がどんどん高まっていった。そこで投下された「Road of Resistance」でもう、私の涙腺は完全に崩壊してたと思います。

そういう空気感、というのは、舞台上の三姫や西の神バンド、ちびメタの3人が作り上げたものではあるけど、決して彼らパフォーマーだけで作り上げたものじゃない。これまでBABYMETALが歩いてきた歴史を見届けてきたメイトたちの間で共有されていた期待感(そこには多分に不安も含まれていたと思うけど)があったからこその空気感だと思う。2015年に「最も献身的なファンを持っているグループ」という賞まで取ったBABYMETALだからこそ、会場の空気がまさに一つになって、かつてのエンブレムの昇天とYUIMETALのLEGEND化、そしてMOMOMETAL爆誕というラストシーンを、号泣しながら見守る瞬間へと昇華していったんだと思います。

そんなプロセスを劇場で号泣しながら反芻しつつ、やっぱりパフォーマンスを作るのはパフォーマーだけじゃないんだよなぁ、というのをすごく実感しておりました。応援上映を盛り上げるのもオーディエンスだし、別の要素としては、そのイベントの運営が稚拙でパフォーマンスへの熱が一気に冷めちゃう、なんてことだってよくあること。オペラは音楽と舞台美術、衣装や演出が結合した総合芸術です、という人がいるけど、どんなパフォーマンスだって、パフォーマーとオーディエンスの間のコミュニケーションで成り立つ総合芸術なのだし、だからこそ双方向のコミュニケーションが味わえるライブ空間こそが、パフォーマンスには絶対必要なものなんだよなぁって、改めて思ったりしました。