今日のテーマは例によってBABYMETAL中心ですけど、そこからむっちゃぶっ飛んでいきますよ。さてちゃんと着地できるかしら。
最近のツイッターで、「SU-METALは自分を性的にアピールしないのに支持されているのがいい」という英語圏の方のツイートが紹介されていて、そうなんだよなぁ、とすごく共感。BABYMETALは、デビュー当時は赤いミニスカートで多少肌の露出もあったのだけど、2014年くらいから黒タイツに変わり、最近はほとんど肌の露出もなく、身体の線を強調することもない。ダンスにしても、セクシーさを強調するダンスはほとんどなくて、どちらかというとバレエやモダンダンスを思わせる、ダンサーのシルエットの美しさと、アクションのキレの良さが前面に出ている感じがします。
じゃあ彼女達は「女性」であることを自分の魅力としていないのか、というとそんなことは全然ない。「カワイイ」を極限まで突き詰めているMOA-METALと、超人的なパワフルボイスを武器にしているSU-METALは、二人ともそろって間違いなく「美女」です。でもその美しさに、「性」を前面に出さない質の高いパフォーマンスが組み合わさると、性的アピールではなくて、むしろカリスマ性や神聖性が前に出てくる。SU-METALもMOA-METALも、「すぅ様」「もぁ様」とか、あるいは女神に例えられることが多くて、二人とも女性としての美しさから「性」をアピールするレベルを超えて、「聖」を商品化するレベルに達している感じがする。
ちょっと昔を振り返ってみると、ショウビジネスと「性」というのは結構根の深い関係性を保ってる気がするんだよね。私の子供の頃の記憶とか辿ってみると、経済成長が大きくなって世の中が浮かれてくると、ショウビジネスと「性」の関係が濃厚になるような気がする。高度成長期の日本映画が何かと売りにしていたのは、有名女優がその映画でヌードになるかどうか、という点だった気がするし、自分が高校生くらいの頃の「アイドル」と言われた薬師丸ひろ子さんや原田知世さんも、映画で初めてキスシーンに挑戦、なんてのがやたら煽り文句になってた。「アイドル」が露骨に性を商品にするようになったのは、秋元某が仕掛けた「オールナイトフジ」や「夕焼けニャンニャン」だったんじゃないかなぁと思うけど、あれもバブル経済の産物でしたよね。同じ秋元某が生み出したAKB系アイドルも、会いに行けるアイドル、という名目の下に、ファンとの接触や疑似恋愛という形で「性」を商品化しているような印象がすごくするんだけど、そんなことを言うとファンの方々には怒られるだろうか。
アメリカあたりのポップミュージックの世界でも、女性シンガーは自らをセックスシンボルとして売っているケースが多いですよね。男性アイドルを追いかける女性ファンの心理はよく分からないのだけど、ショウビジネスの中の一つの商品カテゴリーである「アイドル」という商品は、「性」という価値と、つかず離れずの微妙な関係性を維持しているものだと思います。
さぁ、ここから熱狂的なファンの妄想が時空を越えますよ。もともと日本のショウビジネスの原点にも、「性」をアピールする側面というのは強くあったと思います。日本の舞台芸術の祖とも言える世阿弥は、将軍義満さんのお稚児さんになったのが彼の立身のベースになっているし、彼以降も、阿国歌舞伎が一種のストリップであったように、舞台表現は「性」の商品化と一体的に営まれていた側面がある。
でもその世阿弥や阿国歌舞伎と同時代、中世日本において、「聖」を一種の商品として熱狂的な支持を受けた、一種の「アイドル」が存在していたと思うんです。その代表格が西行法師で、私はこの人は日本の男性アイドルの元祖じゃないかと思ってる。何を言い出すんだこいつ、と思われるだろうけど、ついてきてくださいよ。
西行法師が出家後、全国を行脚して、東大寺再建のための「勧進」を重ねた、という話がありますが、西行さんって、眉目端麗な若者ばかりを集めたという北面の武士の出身で、かつ、確か、御親族に今様の名手がいるんですよ。つまり、美男子で声もいいお坊様が、全国を回って綺麗な声でお経を唱えて寄付を集めた、ってことなんだけど、これってアイドル歌手の全国ツアーだよねぇ。集めたお金はお寺に寄進されるので、「ビジネス」とはいえないけど、でも間違いなく、「聖」的なレベルに到達した美しいパフォーマンスが、人を引き寄せ熱狂を生み出す核になったのでは、と想像できる。
同じような話は、鎌倉仏教の開祖である親鸞や法然さんの話にもあって、どうもこの辺のお坊さんたちは、今のジャニーズのスターみたいな感じで信徒さんたちを集めてたんじゃないかなっていう感じがする。つまり、中世の時代から、人を集めてお金を集める、という広い意味でのショウビジネスにおいて、「性」が主たる商品として取引されていた場だけではなく、「聖」が一種の商品として人を集め、熱狂させていた場があったのじゃないか、と思うんです。
容易に「性」が売り物になってしまうショウビジネスの世界において、パフォーマンスと自らのカリスマ性で「聖」を前面に出して戦っているBABYMETALは、中世宗教界に革命を起こした西行や法然、親鸞と同じレベルの「聖」なるパフォーマーなのだ、というのがこの文章の結論、ということになってしまうと、まさに狂信的なファンの妄言の極みってことになるんだけどさ。月一回ペースで通っている10BUDOKANステージ見てると、サポートダンサーの岡崎百々子さんも含めたBABYMETALのチームがどんどん神がかってきてる感じがするんだよね。巨大スクリーンに時々映し出される3姫の表情とか、もう女神にしか見えんもん。10BUDOKANが完遂されて、10音の鐘が鳴り終わった瞬間、この日本に何か奇跡的な救済がもたらされるんじゃないだろうかって、半分冗談、半分本気で思い始めている自分がいます。かなりヤバいやつになりつつありますね。だらだら書いたけど、結局BABYMETAL讃歌で終わっちゃったなぁ。