香港行き機内で見た映画

香港・日本間は、アメリカ行の飛行機と違って飛行時間が4時間超と短いので、2本の映画を見るのにはちょっと足りない。てなわけで、行きの飛行機では、「英国王のスピーチ」と、「アーティスト」を途中まで、帰りの飛行機で、「アーティスト」の残りと、短編映画の「ヤギのお散歩」と、「瞬くほど曖昧な夕暮れに」を見て、時間が足りるだろうと思って見始めた「はやぶさ 遥かなる帰還」が途中で終わってしまいました。「はやぶさ」をどうしようか。結構骨太のいい映画だったんで、DVDでも借りてこようかなぁ。

英国王のスピーチ」は、評判通りの、本当にいい映画でした。今度舞台にもなるそうですね。確かに、ジョージ6世と言語聴覚士のローグとの対話が軸になっているドラマだから、舞台劇としても十分成り立ちそう。先日機内で見た、「The Queen」と同様、エリザベス女王在位60周年に向けた、英国王室プロパガンダ映画の一作、というヒネた見方もできるんだけど、その文脈であったとしても、決して王室の人たちを理想化していない所が好感。コンプレックスや周囲の期待に押しつぶされそうになりながらも、自分の血筋と義務に対して忠実であろうとする一人の人間が、絶え間ない努力によって品格と威厳を身に着けていく、まさに「ノブリス・オブリッジ」の映画。その成長を支えるのが、恵まれない境遇にある異邦人の言語聴覚士との友情である、という構造も、史実に裏打ちされたリアリティと、ローグ役のジェフリー・ラッシュの名演で、心から納得。後半、望んでいたわけではない王位を前に、救いを求めて苦闘するジョージ6世の姿に、思わず「がんばれー」と涙ながらの声援を送りたくなる。王族としての義務を果たそうと今も絶え間なく努力している英国王室の人たちへの尊敬をかきたてる、という意味では、プロパガンダ色はないとは言えないですけどね、でもやっぱり、自分の立場や義務に対して忠実であろうとする人の姿って、必ず周囲を感動させると思うんだよなぁ。震災の後の皇室の精力的な活動のおかげで、どれだけの心が癒されたか、なんてことも思い返してしまうし、自分の責任を逃げ続けて言い訳ばかりする民主党の政治家たちのことも苦々しく思ってしまったり。それにしても、ヘレナ・ボナム・カーターは、ついに王妃の座に上り詰めたか。貴族のお嬢様をやらせたらこの人の右に出る女優はいないと思っていたが。

「アーティスト」は、映画に対するオマージュ、という意味で、これを今撮った、という歴史上の価値はあるかもしれないけど、もっと素晴らしい無声映画は世の中にゴマンとあるだろう、という点で、何となく納得いかず。確かに、犬は素晴らしかったけどね。文句なしに素晴らしい犬だった。トーキーの登場で無声映画のスターが没落していく、というのは、「雨に唄えば」なんかでも取り上げられていた設定だけど、世界恐慌の前の輝かしい時代からその後の暗澹たる時代への転換点と重なっていた、という意味で、ある意味象徴的な出来事なんでしょうね。それにしても、割とよくあるストーリーだし、落ちも安易に思えちゃう。犬はよかったよ。本当によかった。犬で泣けたけど、犬でしか泣けなかったなぁ。それにしても、運転手役で出ているジェームズ・クロムウェルという人は、「ベイブ」の牧場主さんをやっていたかと思えば、「The Queen」では女王の旦那さんにまで上り詰めて、今度はフランス映画で運転手か。この人も幅の広い役者さんだよねぇ。そう考えると、「英国王のスピーチ」のジェフリー・ラッシュって、パイレーツ・オブ・カリビアンの片足の船長(ヘクター・バルボッサ)やってた人なんだね。いい役者さんってのは無限の引き出しを持ってるんだなぁ。

香港から帰りの便で見た「やぎのお散歩」と「瞬くほど曖昧な夕暮れに」は、それぞれ舞台を、沖縄、北九州に設定した短編映画。香港帰りだったこともあって、日本と東南アジアの連続性、というか、日本っていうのはアジアの一部なんだなぁ、というのを改めて感じさせる組み合わせになりました。「やぎのお散歩」に出てくる沖縄の村の風景は、香港の市街地や、先日行ったミャンマーの街並みなんかに共通する部分がすごくあるし、「瞬くほど・・・」に出てくる九州の観光名所の数々にも、香港に残る植民地時代の洋風建築なんかとの連続性が見えてくる。北上を続ける飛行機の中で、アジアの色に染まった絵筆でさあっと日本まで一筆描いているような、そんな感覚があって面白かったです。「瞬くほど・・・」に出てきた門司港近辺の風景とか、先日出張で訪れたばっかりだったので、そういう意味でも面白く見ました。「瞬くほど・・・」は、どことなく押井守風だったけど、音楽の使い方とか、以前見てすごく泣けた短編アニメの、「岸辺のふたり」とちょっと雰囲気が似ている気がしました。