行ってきました「レミゼラブル」。

今日は土曜日で、娘は学校。私も女房も舞台稽古のない土曜日、ということで、夫婦で行ってきました、「レミゼラブル」。とにかく音楽の力が半端ない、という評判なので、女房が見たい、と言い出したのです。府中の「くるる」のTOHOシネマに出かける。

まぁとにかく立派な映画で、全編素晴らしい音楽と歌唱と映像で圧倒されっぱなしだったのですが、ここでも、ビクトルユーゴーの原作の持つ力がやっぱりすごいのじゃないかなーと思った。フランス革命からナポレオン帝政、王政復古、とめまぐるしい変革の時代にあって、ある意味大映ドラマか東海TVのような波瀾万丈の物語も決して嘘くさくないし、CGの力を借りながらも悪臭ただようパリの雑踏を描き出した映像も、原作の持つ力をどうリアルに表現するか、ということに注力していたように思います。映画版のために書き下ろされ、今回のアカデミー賞にノミネートされている「Suddenly」という曲は、原作にはあって舞台にはなかった場面を描いた歌、ということで、今回の映画が、原作からインスパイアされた部分がかなりあったことを象徴している。

そういう目で見ると、フォンテーヌという「墜ちた女」が、以前この日記にも書いた、ファウストにおけるマルガレーテからマグダラのマリア、あるいはそれこそ、「罪と罰」のソーニャ、「椿姫」のヴィオレッタに通じる、「聖なる娼婦」あるいは道を踏み外した聖女たちの序列に連なる存在として見えてくる。だからこそ彼女は満ち足りた思いで死を迎えるジャン・バルジャンを天国へ導く聖女として立ち現れてくるんだね。それにしても、アン・ハサウェイの「夢破れて」は素晴らしかった。俳優が、その演技に合わせて伴奏してくれるピアノ伴奏を、耳の穴に仕込んだ超小型スピーカーで聞きながら、実際に歌いながら演技した、ということで話題になっているこの映画、随所でその音楽と演技の同時性の持つリアリズムと説得力に圧倒されました。個人的には、エポニーヌの「オン・マイ・オウン」が泣けた。「Suddenly」はちょっと自分でも歌ってみたい曲だったなー。楽譜が出てないかしらん。

ヒュー・ジャックマンが市長になって出てきた時に、あれ、どこかで見た人だなーと思ってたら、「Xメン」のウルヴァリンの人だったんですね。もともとミュージカル出身、というのも知らなかったけど、ラッセル・クロウにしても、ハリウッドの一線で頑張っている人たちって、歌とかダンスとかはできて当たり前、そのさらに上のプラスアルファのところで勝負している人たちばっかりなんだな。

ラッセル・クロウが非常に誠実な人物に見えて、むしろジャンバルジャンよりもジャベールの方がいい人に見えるよね、という話を女房にしたら、「レミゼラブルの舞台版では、ジャンバルジャン役とジャベール役が入れ替わって交互に舞台を務めることもあるんだよ」と教えてくれました。ある意味、一枚のコインの表裏みたいな存在なんですね。ここでも、ラスコリーニコフとスヴィドリガイロフの姿が見え隠れする。

色々なインプットがありましたけど、総じて、古典の持っている永遠性とか、神話性とか、相互に共通する構造やエネルギーみたいなものを感じた最近のインプットでした。まだまだ読み切れていない古典がいっぱいある気がするので、青空文庫さんをしばらく漁ってみたいと思います。