御宿かわせみ〜見てから読む〜

高島礼子さん、という俳優さんには、ちょっとキワモノっぽい雰囲気が漂っている気がしています。レースクイーンという出自、極妻シリーズの常連、高知東生さんとの夫婦生活、どれを取り上げても、どこか「和服の似合う極道系の姐御」というオーラが滲み出ている。二昔くらい前に、梶芽衣子さんが、どうやっても女囚さそりのイメージをまとっていたのと同じような、ダークなイメージ。

NHKの「御宿かわせみ」のシリーズ、高島さんがるいさんをやる、ということよりも、橋之助さんが東吾役をやる、というので、シリーズ当初からちらちらと見ているのですが、最近、「高島るい」の魅力に改めて注目しています。この方は何よりも、和服がしっかり身についている。この日記でよく書いている、「和服が身につかない今時の女優」とは別格。極妻シリーズで鍛えられた、ということもあるのかもしれませんが、るいの、武家育ちの品のよさと凛としたたたずまいに、実にしっくりくる。

このTVシリーズをいくつか見ているうちに、なんだか原作が読みたくなって、「御宿かわせみ」の文庫本第一巻を、図書館で借りて読む。このシリーズがこれだけの人気を保っている理由、というのが分かった気がしました。捕物帖形式の短編集というとっつきやすさ、一つ一つの物語の人情物語の温かさ。そして何より、るいと東吾という二人の関係の設定が、実に見事ですねぇ。二人が、お互いを思いやっているからこそ、夫婦同然の仲でありながら、真の夫婦として振舞えない。ある意味モラトリアムの状態にあるからこそ、逆にこの二人には倦怠期というものがありえない。常に緊張関係にあるから余計に、まことの情が際立ってくる。

その二人の関係の中でも、女流作家の手になるせいか、やはり、庄司るい、というキャラクターが実に魅力的。ある意味自分から、夫婦という安定した関係を拒み、日陰の身ながらこの男を愛し続けるのだと決意しながら、自分から選んだ緊張関係の中で揺れ動く心情。そういう、とても女性的な苦悩を背負わされているにも関わらず、武家の出という品格と、江戸の下町の娘のおきゃんさ、そして何より、シリーズの冒頭、ということもあり、このるいの実に初々しいこと。

「高島るい」が魅力的なのは、その凛としたたたずまいだけでなく、女性的なたおやかさ、弱さのようなものも、高島さんが表現できる人だから、という点もあると思います。「女系家族」の長女役という悪女役を演じる時にも、米倉涼子に向ける、まさしく悪女の凄みある一瞥と、だます男の手のひらの上で転がされてしまう女の性とを共存させることができる、幅の広さ。

こういうシリーズになると、「庄司るい」を誰が演じるか、というのが、原作愛好家にとっては大きな問題になるんでしょうね。原作愛好家とは決していえない私ですが、シリーズ冒頭の一冊を読んだ範囲だけで言うと、「高島るい」は少し、おきゃんさや初々しさが足りない感じもします。でも、少しとうが立った年増女が、東吾で初めて男を知った、という設定には、ちょうどいいのかもね。もうシリーズも第三シリーズだもんなぁ。考えてみるとこの金曜時代劇の時間枠、大河ドラマにならないような良質な人情時代劇などを放送する、貴重な時間枠になりましたねぇ。これからも続いていってほしいなぁ。

ちなみに、今までに映像化された「御宿かわせみ」のシリーズの出演者をまとめてあるHPもあって、それを見ると、若尾文子真野響子古手川祐子沢口靖子・高島 礼子、という方々が、るいを演じてきたようですね。 真野響子さんのるい、というのは結構ファンが多い気がするが、こう並べた中では、「高島るい」というのはかなりいい感じなんじゃないかなぁ、と思います。東吾役の橋之助さんを初め、神林通之進の草刈正雄さん、嘉助役の小野武彦さん、お吉役の鷲尾真知子さんなど、どの方もはまり役、という感じがする。原作本を読んでいても、嘉助・お吉は小野・鷲尾のコンビにしか読めないもんなぁ。

ちなみに、歴代の神林東吾役は、仲谷昇小野寺昭橋爪淳村上弘明中村橋之助、という顔ぶれ。昔、角川映画のコピーで、「読んでから見るか、見てから読むか」なんてコピーがあったけど、映像から入って原作を読む、ってのも、なかなか面白いもんですねぇ。