考察ごっこ2題~フェイドアウトとお散歩ペットボトル~

今日は本当にどうでもよいお話を2題。

日常生活の色んなことがふと「引っかかる」ことがあって、これってなんでそうなってるのかな、なんて考えて、ちょっとそれっぽい考察が浮かぶと嬉しくなってしまったりします。その考察が的を射ているかどうかは別としてね。実際そういう、考察、というか、「仮説」を実証するには色んなデータ分析が必要なんだろうけど、そういう苦労はしたくない怠け者なので、ほんとに言いっぱなしですし、既に我が家の批評家(女房のことですが)に論破されていたりもしますが、まぁ単なるお遊び、「考察ごっこ」ということで。今日はそんな「考察」をしてみたお話を2つ。

一つ目の考察は、「フェイドアウト」。

最近、あんまり「フェイドアウト」する曲を聞かない気がするんですけど、気のせいですかね?どこかの音楽番組で、最近は「イントロ」のない曲が多くて、それはとにかく余裕のない時代だから、すぐに耳に残るサビに入らないといけないんだ、なんていう解説がされていたんですけど、アウトロでだんだん音が消えていく「フェイドアウト」の曲も、最近減ってる気がする。米津玄師さんの「Lemon」だって、Yoasobiさんの「夜に駆ける」だって、しっかりアウトロで終止して、終わりが明確にある。でも、私が高校生や大学生くらいの頃に流行ってた曲って、フェイドアウトがやたら多かった気がするんだよね。ずっと後奏が続いて段々音が小さくなっていく曲。最近あんまり聞かないなぁって。

色んな要素があると思うんだけど、一つには、音楽業界自体がCDやレコードといった記録媒体の販売から、リアルの音楽体験を売る「ライブ」という形態にシフトしていった結果なのかもしれないなって思ったり。ライブ演奏でフェイドアウトってできないですからねぇ。そういう「モノ」より「コト」を販売しよう、というトレンドが進んでいた所にコロナがやってきて出鼻をくじかれた感じになってしまったけど、でも今でもやっぱりフェイドアウトっていうのはちょっと古臭い表現になってしまったのかもな、と。

もう一つの考察は、かなりこじつけ感が強いんだけど、まぁ「考察遊び」なのでお付き合いください。フェイドアウトが一般的だった私の高校時代・大学時代というのは、なんのかんの言いながら現状がずるずるとこれからも続いていくんだろうな、という楽観が世の中の根底にあった気がするんですよね。日本沈没だのノストラダムスの大予言だの、終末論が語られることは多かったけど、逆に言えばそれをフィクションの世界でエンターテイメントとして楽しむ余裕があるくらいに、「まぁそんなこと言ったって世界は簡単に終わらんわな」という楽観。

でも、阪神淡路大震災や、サリン事件、911や311を経て、今の我々は、当たり前に繰り返されていく日常、というものがどれだけ儚いものか、ということを実感してしまった。同じメロディーを繰り返しながらずっと先の未来まで続いていく「フェイドアウト」という表現自体が、現在の自分達の実感から少し乖離してきてしまったのかもしれない。もしこの考察が少しでも正しいとしたらちょっと悲しい話だけど。

 

二つ目の考察は、「お散歩ペットボトル」です。

最近街で犬の散歩をしている方が、ペットボトルの水をワンちゃんのオシッコのあとに振りかけているのをよく目にしますよね。でも、ちょっと考えてみた。「あれって意味あるんかな?」

大量の水をオシッコの後にかけて、水流ごと排水溝に流してしまうのであれば意味がある気がするんですが、そんなに大量の水を持ち歩いている人はいなくて、せいぜいオシッコより少し多い水をかけているくらいです。結果的に、オシッコは水で薄められているだけで、道路の上に広く広がって流れていくわけではない。むしろ水分を沢山含んで、乾燥する時間が長くなってるだけじゃない?オシッコが広がる分、ふんづけちゃうリスクも増えちゃうし。

で、ここでまたしても「考察遊び」。あんまり意味ないんじゃないか、と思われるこのペットボトルの水が一般化しているのには、日本人が根強く持っている「水」に対する「浄化信仰」があるんじゃないかな、と。

日本神話に現れる禊の儀式もそうですし、ひょっとしたらキリスト教の「洗礼」なんかもそうかもしれないけど、水には色んな「穢れ」を浄める、というイメージ、というか、一種の信仰がある気がする。トイレに入ったら手を洗いなさい、というのも一種の「ケガレ」の浄化の儀式的な側面がある気がするんだけど、それに近い感覚で、オシッコに水をかけて「浄めている」のじゃないかなぁ、と。

そういう話をうちの女房にしたらですね、「それも面白いけど、実際に水にはある程度の消毒機能があるんだよ」と言われました。「お寿司屋さんがまな板をずっと水で洗っていることで雑菌の繁殖を抑えている、なんてこともあるから。」

そうなんだ、とも思ったんですが、「ケガレ」の浄化=浄め、のために水を使っている、っていうのも自分的には魅力的な考察だったりします。日常の中で時々、「あれ?」って引っかかるものの背景をあれこれ考えてみるこの「考察ごっこ」、また何かネタがあったら、このブログで紹介できればと思います。