共有フォルダーを見てください、なんて言われたってさ。

会社では色んな文書が共有化できるようになっていて、イントラの共有サーバにグループごとのフォルダーがあり、大事な書類や基本情報が格納されています。秋に異動してきたばかりで、「これってどういうことかな?」と部下に聞くと、よく、共有フォルダーに格納されている文書をメールで送ってくれる。ショートカットで送ってくれるから、メールサーバへの負荷も小さい。いいことづくめのようなんだけど、意外とこれが疲れたりする。

何が疲れるって、そういう文書というのは、過去の色んな会合とか大事な経営会議といった一定の目的のために作られた資料なので、私が聞きたいこと、というのと微妙にずれていたりする。資料自体はとても参考になるんだけど、これを全部読み通すのが結構大変で、読み通してみれば、核心の情報はその資料のほんの一部分だったりする。まぁ新任管理者なんてのは、山積みされた資料を必死に読み通さないといけないものだ、というのは普通のことなんだけど、意外と、担当者に10分くらい時間をとってもらって、簡単にブリーフィングしてもらった方がよっぽど頭に入ったりするんだよね。

同じことで、もっと深刻なのが社内イントラに公開されている色んなマニュアルとかツール。他の部の担当者に電話して、「あれってどういう手続きなんでしょう」なんて聞くと、「イントラのこのサイトを見てもらえれば、マニュアルがあります」と言われる。「これ以上聞くな」と言わんばかりの態度なので、しょうがないからこのマニュアルを一から読むんだけど、色んなニーズや問い合わせの最大公倍数で書かれたマニュアルの中から、自分の知りたい情報を拾い上げるのが巨大な迷路の旅だったりする。担当者に5分時間もらって、ちょっと説明してもらえればすむことなんじゃないかな、なんて思ったりする。

似たような話で、私みたいな気の弱い人間が陥りやすい状況が、人にいろいろ聞く前に、ネットで情報確認してからにしようかな、なんて思って、ネットの中をいろいろ探し回るんだけど、全然情報がなく、ただ時間だけが浪費されて焦りが募る、なんて状況。だからといって気軽に人に「あれなんだっけ?」なんて聞くのも、忙しい人の時間を無駄にするようで申し訳ない、なんて思っちゃうんだよね。

ここで無理やり話を一般化してしまいます。色んな情報を公開し、共有する仕組みがどんどん発達するにつれて、自分の知りたい情報をそこから取り出すことがどんどん難しくなっているんじゃないかな、という気がする。大量の情報は逆に混沌を生み、混沌を整理するはずの構造も複雑化し、迷路化し、結果的に情報価値自体の低減化を生んでしまうんじゃないか。複雑怪奇な社内イントラの迷路で迷子になっている社員たちも、放射能の問題に関する百家争鳴の大量の情報の中で立ち尽くしている人々の姿も、ひょっとしたらスケールの違う同じ構造の中にあるのかもしれない。情報を隠すな、嘘をつくな、と、情報公開と情報共有の仕組みを発達させることで、逆にコミュニケーションが疎外され、正しい情報が伝わらなくなっているんじゃないか。

情報が人の頭に入るには、「理解」のレベルと「納得」のレベルがあると思うんだけど、ネット上の大量の情報をひたすら検索する行為でなんとか「理解」できたとしても、「納得」というのはなかなか得られないんじゃないかな、と思います。「納得」を生むにはやっぱり、人と人との信頼とか、誠実といった、もっと情緒的な要素が情報本体に加わる必要があるんじゃないかしら。

そう思って、「あれってどうだっけ?」と気軽に尋ねると、「あんた、それ私に聞くのx回目だよ」とよく女房に怒られます。「いい加減私に頼るのやめてよね」とプンスカされるわが身を省みれば、問題は情報の過剰さではなくて、自分の老化による痴呆症なのか、とはたと「納得」したりして。だめじゃん。