家庭菜園

先週、娘が、「家で野菜を作りたい」と言い出す。もともと我が家では、花壇にせよ庭木にせよ全然上手に世話ができていなくて、花壇の花も中々ちゃんと咲いてくれないし、裏庭に芝生を、と思っても雑草に負けてしまったり、と散々。土いじりにはゼッタイ的に自信がないのだけど、何事も経験かな、と、プランターを買ってきて、仕込んでみました、ニンジンと小松菜。

小松菜は、種をまくとすぐに芽が出る、とは聞いていたのだけど、先週末に撒いた種から、今朝早速芽が出ました。20日くらいで収穫可能、ということなので、今から楽しみ。娘は、「水やりが私の担当で、間引きはママの担当で、虫退治はパパの担当ね」と割り振って、毎朝毎晩、霧吹きで水をやっています。

私たちの家のある調布近辺では、今でもかなりの面積の畑が広がっています。我が家の近くにも、ブルーベリー園があって、夏場は一般の人でもブルーベリー摘みが楽しめる。近所には市民農園があって、大体3畳くらいの広さの区画がいくつも設定されていて、それぞれの区画を借りた人が、思い思いの作物を栽培している。3年くらいで総入れ替えして、また希望者に抽選で割り振る、というシステムみたいです。

品川通り沿いにはかなり大規模な農家が多くて、立派な梨園などもある。ちょっと前に来襲した台風の際には、突風(要するにミニ竜巻だよね)でビニールハウスが壊れるなどの被害も出たようですけど、そういう「現役」の立派な畑が多いです。

そういう現役の畑が活躍している一方で、広い農地のうち、実際に作物を植えてメンテナンスしている耕地が、4分の1くらいしかない・・・という、ちょっと寂しい畑も結構目に付きます。4分の3を占める休耕地は雑草ぼうぼうで、あきらかに税金対策と思われる枝豆の株が、雑草に覆われて立ち枯れていたりする。広い農地であればあるほど、逆にメンテナンスが大変みたいで、実際に耕地として生きている場所がどんどん狭くなる傾向があるみたいです。そして気がつくと、雑草ぼうぼうだった休耕地が更地になって、マンションが立ってしまったりする。むしろ、こじんまりした農地の方が、とうもろこしやかぼちゃなど、絶え間なく何かしら栽培されていて、きちんと管理されていることが多い気がする。時々、畑仕事をしている方を拝見するのですが、やっぱりお年寄りが多いです。高齢の方には、広い農地を維持するのは大変なんでしょうね。

農業の大規模化を目指す政府が、経済特区で株式会社による農業経営を認めた、なんて話がありましたけど、実際にはうまく回らない。なぜか、といえば、旧来からの農家が、いい土地を株式会社に貸そうとしないからだそうですね。株式会社に貸与されるのは、石ころだらけの痩せた土地ばっかり。自然、作物は貧弱になり、採算にあわず、会社は撤退していく。

私の西宮の実家では、母が庭先に自家菜園を作って、色んな作物を栽培して楽しんでいます。自家菜園というにはちょっと躊躇するくらいの本格的な畑で、シシトウ、トマト、キュウリ、ナス、オクラに、ダイコンやニンジン、ジャガイモやサツマイモ・・・およそ畑で作れそうなものはなんでも作っている。夏休みの帰省での娘の楽しみの一つが、この「おばあちゃんの畑」での野菜の収穫。娘が家庭菜園をやりたいと思ったのも、この「おばあちゃんの畑」の影響があったかも。

そんな母の自家菜園も、ただ普通の家の庭先を畑にしよう、と思い立っただけでは到底実現不可能でした。今の家に引越しをした直後に、知り合いの農家が、田んぼを一つつぶしてアパートを建てる、という話が持ち上がり、その田んぼの土を分けてもらったそうです。「畑をきちんとやろうと思っても、ちゃんとした土を作るのには何年もかかる。もともと出来上がっていた土をもらえたのはすごくラッキーだった」と母が言っていました。要するに、農業なんてのは、ちょっと思い立ってその辺の土地を畑にしてみました、なんてことでできるような、そんな生易しいものじゃないんだよね。

そういう長期的な視点に立った行政対応が全く機能していない日本において、農業を巡る環境は確かに絶望的ではある。でも、実は農業ほど、はっきり結果が目に見えて、達成感がある仕事ってのもないような気がする。我々サラリーマンの仕事なんてのは、関係する人や組織の数が多すぎて、自分の仕事と成果がなかなか直接に結びつかない。そのあたりが、サラリーマン仕事の中で、やりがいを見つけることが結構難しい理由だったりするのだけど、農業ははっきり「成果物」が見える。誰かが、「農業は3Kだ、なんてのは全然ウソで、スマートにやればこんなにスマートにできて、しかも儲かるやりがいのある仕事はない」っておっしゃてたけど、決して誇張じゃないと思う。出来上がったものに対する達成感、最近の色んな高度な技術。そういうものを考えると、「スマートで儲かってやりがいのある」農業ってのは必ずあるはずで、「生きる意味が見つからない」なんて言ってぼやっとしている若者たちには、是非農業の道に進んで欲しい、なんて思ったりする。

うちの娘にとっても、「何かを育てる」ということと、その成果を「食べる」ということ、つまるところ、「生き物」としての人間の営みを実感してもらう意味でも、家庭菜園というのはいい経験になるかもしれないね。といいつつ、いままで無数の花壇の花を枯らし続けているパパとしては、ちゃんとした収穫が可能かどうか、今から結構ドキドキなんだけど・・・