色んな道を見せてあげるのが年寄りの仕事、道を決めるのは若い人の仕事

12月に入って、娘の所属しているクレド交響楽団の演奏会が18日にあり、そしてその翌週の25日には、女房が所属していた東京大学柏葉会合唱団の演奏会がありました。大学生なりの未完成の技術を、それぞれの個性で補って、音楽の高みにピュアに挑戦している姿に、こういう若者たちに自分達みたいな年寄りができること、しちゃいけないこと、みたいなことをちょっと考えてしまった。特に18日に開催されたクレド交響楽団の演奏会では、前半に、御年83歳の巨匠、ジェラール・プーレさんがソリストとして参加された、ベートーベンのバイオリン協奏曲があったので、余計に、そういう「世代の責任」みたいなことを考えてしまったんですよね。

クレド交響楽団というのはワグネル・ソサイアティ・オーケストラの学生奏者を中心としたオーケストラで、指揮者も含めて大変若いオーケストラ。なので、いい意味でも悪い意味でも、使える技術の引き出しが少ない感じがある。もちろん、日本のアマチュアオーケストラのトップレベルの奏者たちですから、技術力も大変高いのだけど、それでもやっぱり出す音のダイナミックレンジとか奏法のバリエーションには限界があって、それは前回聞いた演奏会での戸澤采紀さんとの共演の時にも感じたんだよね。様々な武具で襲い掛かってくる並みいる敵を、バイオリン一本で一陣の風のようになぎ倒していく武芸者のような、戸澤さんの切れ味鋭い演奏には、若い演者達の音のはるか高みを駆け抜けていく修験者みたいな突き抜けた感じがあった。でも、今回のプーレさんのベートーベンには全然違う深みがあって、それがまたすごく胸に迫ってきた。

ベートーベンっていうのは、ある意味どこか偏執的に同じ動機のバリエーションを重ねていくしつこさというか、パズルをくみ上げるような職人的な作業で曲を作り上げていく側面があると思うんですけど、プーレさんの演奏は、「いや、ベートーベンって、もっと歌うんだよ」「もっと楽しいんだよ」とでも言いたげな、本当に自由自在な演奏でした。バイオリンという楽器には、「こんな音も出せるんだよ」「大きな音出さなくてもこうやれば響くんだよ」「こんな色の音も出るんだよ」と、若い演者の前で次から次へと自分の持つ技術を惜しげもなく見せていって、それがベートーベンの音楽の持つ享楽性というか、ベートーベンってこんなに楽しい音楽なんだ、というのを改めて発見させてくれる。戸澤さんの求道者みたいな清廉な風のような演奏に比べて、プーレさんの演奏は神仙の遊戯のような遊び心と挑戦に溢れていて、「ここをこうしてみたらもっと楽しいかもしれん」「ちょっとやってみるかな」みたいな独白まで聞こえてくるような、そんな楽しさに充ちていました。

でもねぇ、そのプーレさんの自由自在な音を聞いた後、後半に演奏されたブラームスの4番が、まぁ無骨というか、本当に球速150キロのストレートしか投げられない高校球児みたいな演奏で、一緒に聞いていた女房が、「こんなでっかい音で始まるブラ4初めて聞いたわ」と呟いたくらいのパワフルな演奏。指揮者が演奏会のパンフレットに書いていた「端正な絶望」なんてなんのその、どちらかというと、「コロナのばかやろー」「ふざけんなー」と叫び続けているような荒々しいパッションがあって、これはこれでブラームスの俗人的な側面を示したような、老年に至っても生々しい現世の塵芥に足を取られて苛立っているような、そんなブラームスだったような気もしました。

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25日に聞いた東京大学柏葉会合唱団の演奏会では、発声、という技術がまだまだ発展途上の歌い手さん達が、声の色合いと和声をひたすら揃えることを追求して、一つの音楽の高みに到達している感があって、ある意味日本の合唱が目指している一つの形だなぁ、と思って聞きました。三善晃の「五つの願い」などのアカペラ曲や、「A Little Jazz Mass」のAgnus Deiなどで、決まるべき和音が全てガッツリ決まる感じがあって、何度も鳥肌が立ちました。

一方で、やっぱり声がガツンと出る合唱団ではないし、ラテン語を含めて言葉の発語の技術が成熟しきれていない感じがあって、曲のメッセージをパッションで表現していく部分ではちょっと物足りなさが残るんだよね。千原英喜の「明日へ続く道」とかも、千原さんらしい美しい和声感が見事に表現できているんだけど、フレーズの中で湧き上がってくる言葉の力を表現する所でちょっと消化不良な感じも残る。

それでも、会場に何度も響いた美しい完璧な和音には、何度も胸詰まる思いになりました。このコロナ禍の一年の中で、ここまでしっかり声の色と和声を合わせてきた団員さん達の努力を考えると、本当に頭が下がります。最後に歌われた「地球へのピクニック」は、この合唱団の30周年に委嘱初演された、団員さん達の心のふるさとのような曲とのことで、2年ぶりに会場に響いたこの曲に、客席にいたOBOGの多くが(女房も含めて)目頭をぬぐっていました。

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こういう若い音楽家たちの思いのこもった演奏に触れると、やっぱりこの人たちが未来を担っていくんだよなぁって、頼もしい思いにもなります。でも、まだまだ未熟な若者たちの技術に対して、自在な楽器の可能性を示してくれたプーレさんの演奏なんかを見ていると、我々年寄りの役割って、「君の音楽にはまだこんな可能性があるんじゃないかな」「こんな音も出せるんじゃないかな」「こんな声も持ってると思うよ」と、若者たちの可能性を引き出してあげることなんじゃないかなって思ったりする。若い人たちに、「君の前にはこんなにたくさんの道があるし、君にはその道を進む力もあるんだよ」というのを見せてあげるのが僕ら年寄りの役目。でも、実際に進む道を決めるのは若い人の仕事。「お前はこっちに行かないとダメ」「なんでこっちに行かないんだ」なんてことを無責任に言う年寄りになっちゃダメなんだよなぁ。まぁその前に自分がプーレさんみたいな達人の域には全然達してない凡人だから、黙って若い人の言うことに従っているのが一番いいのかもしれんけどね。