最近のインプット振り返り~知ってる方が見える世界は面白いと思うんだよなぁ~

自分の舞台活動は停滞中ですが、色んな所で文化活動が再開している流れの中で、最近結構濃いインプットがあったので、メモしておきます。色んな意味で知識ってやっぱり人の視界を広げるなぁっていうのが共通の感想だったりします。

 

1. 9月19日 江東オペラ ガラコンサート

女房が2019年春の「ドン・カルロ」公演でお世話になってからご縁ができたこのオペラ団体。ティアラこうとうで開催された「ドン・カルロ」や「トゥーランドット」、江東文化センターで開催された「ラ・ボエーム」を拝見したことがあります。がっつり声量があって安心して聴ける合唱団の方々と、安定感のあるオーケストラ、そしてベテランから若手まで粒ぞろいのソリストさん達をそろえて、毎回満足度の高いパフォーマンスを楽しめるオペラ団体。二日間開催されたガラ・コンサートの二日目に伺いました。

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自分もアマチュアオペラ団体で活動してましたから、こういう市民オペラ団体の活動を継続する大変さはある程度想像がつくんですけど、この江東オペラの活動ってなんだか好感度が高いんですよね。代表の土師雅人さんのお人柄なのかもしれないんだけど、活動の柱になる合唱団の方々やオーケストラのコアメンバーの方々のオペラへの情熱や愛着が、活動の推進力になっている感じが凄くする。市民オペラ団体の中には、二期会や藤原といった全国区で活動しているオペラ団体に対する敵愾心や、地元自治体から資金を引っ張ってくる政治への色気みたいな、パフォーマンスそのものとは別のベクトルを感じる団体もないわけじゃない。でもこの団体は、地元の江東文化センターやティアラこうとうのような、お客様と緊密な空気感を共有できる場所で、文字通り「地に足ついた」オペラ愛好活動を続けている感じがするんだよね。そういう熱意ってパフォーマンスに対する姿勢に真っ直ぐ現れていて、出演した女房も感心していたのだけど、二日間のガラ・コンサートで、オーケストラの方々は、前日含め、当日の早朝まで、一体いつ休んでるのかと思うほど返し練習を重ねていたそうです。

そういうオペラへの愛情や熱意って、確実にパフォーマンスに現れるんだけど、特に合唱団の方々のパフォーマンスに感心しました。「カヴァレリア・ルスティカーナ」や「トゥーランドット」の合唱を聴くと、単純にこの合唱団は、このオペラを通しで演奏したことがあるんだなぁ、オペラのことをよく知ってるんだなあってなんとなく分かるんだよね。ソリストなんかにもよくあることだけど、オペラの有名なアリアや合唱を単独で歌ったことはあっても、そのオペラを通しで演奏したことがない人って結構いるもの。そうすると、その歌そのものは上手に歌えても、その歌を演じている感じがしない演奏って結構ある気がする。江東オペラって、オーケストラのメンバー含めて、演奏するオペラ全体に対する知識や愛情が凄く深い感じがして、そういう上滑りな感じがしない。

本当は、この日程で江東オペラは「カルメン」を演奏する計画で、女房はその舞台で、以前から歌いたがっていたフラスキータを歌うはずでした。コロナの影響で、江東文化センターでは十分なソーシャルディスタンスが取れず、急遽ガラ・コンサートに変更。結構がっかりしていた女房でしたけど、自分のキャラにぴったりの「パパパの二重唱」や「ムゼッタのワルツ」をオーケストラ伴奏で歌う、という滅多にない機会を与えてもらえて、それぞれの役柄を楽しそうに演じておりました。音楽への愛情を何よりのエネルギーとして皆さんが集っているこのカンパニーにご縁が出来たことに、ただただ感謝です。関係者の皆さん、女房がお世話になりました。改めて、音楽が結びつける人の絆と、その温かさや居心地の良さを再確認した時間でした。

 

2. 9月20日 三鷹市美術ギャラリーへ、諸星大二郎展を見に行く

諸星大二郎さんがデビュー50周年を迎えられた、ということで開催されている諸星大二郎展に行って参りました。「暗黒神話」でひっくり返り、「マッドメンシリーズ」で地底に引きずり込まれ、「妖怪ハンターシリーズ」で世界を見る目が歪み、「栞と紙魚子シリーズ」でムルムルの佃煮と化した自分としては、これはやはり見に行かねば、と。「不安の立像」のあの黒ベタとスクリーントーンをほとんど使ってない執念感じる網掛けだらけの原画を間近で見られた時にはホントに鳥肌立ちました。

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展覧会の公式図録。生原稿のホワイトとか修正まで忠実に印刷した図版に感動。

 

今回の展覧会でいいなぁって思ったのは、作品のアイデアの源泉になっていると思われる縄文土器とか、ニューギニアの仮面とか、ダリやマグリットやボスの絵画なども併せて展示することで、諸星世界の重層性をしっかり見せていること。諸星さんの作品って、その作品世界そのものが既に多層的な意味世界を持っているんだけど、その構造の背景にある歴史・民俗・文化的な背景まで知ってから見ると、その世界の中にさらに複雑な入れ子構造が内包されているのが垣間見られて、あまりの沼の深さにおののいてしまう感じがたまらない。そういう予備知識を知らなくても十分面白いんだけど、知ってると全然違うものが見えてくるのが諸星世界の迷宮なんだよなぁ。

諸星さんご自身は、非常に普通の感覚を持った常識人だという話を色んな所で伺うのだけど、そういう常識人の視点を持っているからこそ、膨大な知識と興味から生まれるアイデアと日常世界の間の違和感や距離感を見事に描き出すことができるんだろうなって思います。今度、青島広志先生が、諸星作品を原作にしたオペラ「瓜子姫の夜」を書き下ろされる、という話もあり、自分の中でにわかに諸星ブームが再燃し始めちゃって、まだ入手してなかった作品などをネットでぼちぼち買いあさり始めてしまいました。枕元に置いてると家族が気持ち悪いって言うんだけど、マジ面白いんだぞぉ。

 

3. 9月23日 こまつ座公演「雨」

以前ガレリア座でご一緒したことがある元田牧子さんが出演される、ということでお誘いを受けて、久しぶりにしっかりした商業演劇を見てみたいなぁ、と思い、行ってきました、初めての世田谷パブリックシアターでの初めてのこまつ座公演。これまた暗喩に満ちた迷宮的な物語で、考えれば考えるほど多層的な意味の深みにはまるお芝居で、心底興奮しました。

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以下の記述にはお話のネタバレも含みますので、未見の方はご注意ください。

井上ひさしさんのお芝居をしっかり見るのは初めてで、「父と暮らせば」の台本を読んだことがあるくらいでしたから、色んな意味で真っ白な状態で見たお話だったのですけど、それでも色んな読み解きができる物語。山形をモデルにした舞台設定とこだわり抜いた方言の生活臭のリアルさ、紅花という地域の特産品、生命力溢れる合唱や群舞と、土の匂いがむせかえるような日本的な土俗の物語なのだけど、自我の喪失というテーマや階級を含めた「上」と「下」の垂直構造など、非常に知的に構成された物語世界で、どこか西洋的な演劇文法も感じさせる。徳の喜左衛門殺しのシーンとか、垂直の線と光と闇のコントラストを強調する栗山民也演出も相まって、どこか「マクベス」の暗殺シーンを思わせたりもした。

パンフレットの栗山先生の文章では、これが一種の天皇制批判の物語なのだ、というような解釈が述べられていて、演出の現場でもそういう言葉があったらしいのだけど、個人的にはもう少し普遍的な話のようにも思ったんだよね。それこそ諸星大二郎の作品にはよく出てくる「人身御供」の話として見た方が面白い気がした。犠牲になる人間が、自分を捨てた別人となるために目を潰されたり神様としてあがめられたりする、という「人身御供」の伝統が、犠牲となる徳が自分を捨てて喜左衛門になりきって歓待を受けている様子と重なったりするし、さらに言えば、彼が犠牲になって守る「イエ」というのが、母系の家系だっていうのも神話的だなぁって思うんですよね。「イエ」という日本的な価値(その頂点にあるのが天皇制なわけだけど)によって圧殺される個の悲劇、という近代的な価値観でこの物語を見てしまうだけだと、物語の土俗性、神話性が少しそがれてしまうような感じがしてしまう。

ラストシーン、舞台後方を埋める血の色のような明るい紅花畑に突き立つように、舞台装置の中央の巨大な歪んだ柱が浮かび上がると、それは徳の心臓を貫いた五寸釘のようにも見えるし、真っ逆さまに転落した徳の運命を示す巨大な矢印のようにも、あるいは落ちていく雨の水滴の軌跡のようにも見える。さらに物語の神話性を思えば、人間の原罪を示す十字架や世界樹のような運命そのものの象徴のようにも見えてくる。一本の柱がそれだけの重層的な意味を感じさせるのが、この台本の魅力でもあり、それを引き出した栗山演出の妙だなぁ、と思いながら、黒々と浮かび上がる柱を、肌に粟立つような思いで眺めていました。

若干手前味噌になるかもしれないけど、柱の形にそういう象徴的な意味を読み取るのっていうのは、舞台の演出の裏側を経験したり聞きかじったりしたことがあるおかげなのかもって思うんですよね。ラストシーンで柱をわざわざ照明で浮かび上がらせたり、普通の真っ直ぐな柱じゃなくて、少し曲がったような歪んだ柱の形にしている、ということを見て、「この形には何かしら意味があるな」と思えるかどうか。栗山先生の意図は全然違う所にあったかもしれなくて、ひょっとしたら私の勝手な深読みに過ぎないのかもしれないけど、少なくともあの柱の形にそういう重層的な意味を感じられた方が、間違いなく舞台は楽しいと思うんだよね。やっぱり知らないよりは知っている方が、世界って絶対広くなると思うし、すごく豊穣なものに見えてくると思うんだよなぁ。