「ヘンゼルとグレーテル」〜多幸感と重層性と〜

8月11日、たましんRISURUホールで、東京シティオペラ協会のオペラ公演、フンパーディンク作曲「ヘンゼルとグレーテル」(ノーカット版)を鑑賞。うちの女房がグレーテルを演じた舞台。多幸感に満ちた音楽と、幾重にも重なったモチーフの重層感溢れる豊饒な音楽と、そして同じく、シンプルな中に複雑な歴史と背景を感じさせる物語の深みに、語りたいことが溢れてきて大変。今日はその感想を。


全編のクライマックス、子供たちを現実から夢の世界に誘う天使たち。もう泣けて泣けて。
 
指揮:竹内聡
演出:川村敬一

ヘンゼル:末広 貴美子
グレーテル:大津 佐知子
ペーター(父):櫛田 豊
ゲルトルート(母):上木 由理江
魔女:伊藤 潤
眠りの精:堀江 恵美子
露の精:田中 彰子

合唱:東京シティオペラ協会合唱団
子供たち:KEI音楽学院の生徒たち
演奏:赤塚 博美(エレクトーン) 大杉 祥子(ピアノ)

という布陣でした。
 
まずは音楽の話ですが、女房がこのオペラに出演する、という話をあるオペラ歌手にしたら、まず言われたのが、「この演目はね、オーケストラがものすごく分厚いから、声のない歌い手の声は全然聞こえなくなるんだよ」という話でした。さすがワーグナーの弟子、とにかくオーケストラが分厚くて、声で対抗するのは大変なのだそうです。「子供向けのオペラだ、と思って、子供に演じさせたり、若手の声のない歌い手に演じさせる舞台が多いけど、なめたら大けがする演目だからね」と。

今回は、その重層的なオーケストラを、音量コントロールの自由度の高い赤塚先生のエレクトーン伴奏で聴けた、という点でも、作品の輪郭がくっきりして逆に良かったのかもしれない、と思ったりします。おそらく生楽器の演奏よりも、登場人物のモチーフがすごくくっきりと際立って聞こえて、フンパーディンクの音楽がまさにワーグナーの影響をそのまま受けているんだな、というのがとても分かりやすかった。

個人的にはワーグナーってのがどうにもダメな人間で、心地よくなる直前で出したり引っ込めたりするあの勿体ぶった感じが我慢ならないんだけど、フンパーディンクの音楽はまっすぐ心地よいし、子供向けのSingspielを発展させてオペラに仕上げた、という製作プロセスのせいもあってか、個々のモチーフはドイツ民謡のシンプルで美しいメロディーが中心なので、何より分かりやすくて耳に優しい。「ライトモチーフ」を勉強するにはこのオペラから入るのが、私みたいな初心者にはいいのかもね、と思ったり。

歌った女房に言わせると、聴衆に届いている音楽に比べて実際の楽譜は難度が非常に高いそうで、そういう意味でも一筋縄ではいかない演目なのだそうです。ライトモチーフは決してこれみよがしに飛び出してくるわけではなく、でも常に登場人物に寄り添って、さりげなく何気なく自分を主張している。そんなモチーフが美しい背景の音楽の中で溶け合っている、まさにドイツの森の中で登場人物たちだけがふっと浮き上がって見えてくるような多層的な音楽がたまらなく心地よい。

次に物語について。プログラムに指揮者の竹内先生が書かれていた文章を読むと、子供たちを森に追いやる残酷な義母は、人間的な弱さを抱えた優しいお母さんになっていたり、全体に、グリム童話にある、親と子の対決と、その親のたくらみを出し抜く子供の小賢しさ、みたいな、ちょっと汚い部分がずいぶんきれいに処理されている。グリム童話が実は残酷、というのはよく言われる話で、この物語だって、自分を殺そうとする親と子供の戦い、みたいな部分があるし、極めつけは魔女を焼き殺してお菓子にして食べちゃう、というクライマックスだよね。要するにこれって、人食いの話じゃん。

実際、METで見た最新演出の「ヘンゼルとグレーテル」は、この物語のカニバリズムの側面を前面に押し出していて、幕間にはゾンビみたいな断末魔の人間の顔のイラストが映し出されたり、最後に子供たちみんなでむしゃむしゃ食べるのは、こんがり焼けた魔女の丸焼き(そのまんま人間の形をしている)でした。クリスマスより、街中がスプラッタに染まるハロウィンに上演した方がいいような演出。

多分この物語のルーツをたどれば、30年戦争で荒廃したドイツで、飢えに苦しんだ人たちが実際に体験したカニバリズムが基になっていることは容易に想像できる。飢えに苦しんだ家族が、食い扶持を減らすために子供を森に捨てる。森の中には、戦争で荒廃した村を尻目に、自給自足で豊かに暮らしている老婆がいて、子供はその老婆のたくわえを奪い、老婆も殺して食べてしまう。なんて陰惨な話。

そういう物語の陰惨さを、明るいハッピーエンドのファンタジーに転換する仕掛けがこのオペラにはいくつもあって、親子の関係を改善したのもその一つなんだけど、やっぱり極めつけは、眠りの精と露の精、という魔法の精霊たちの登場によって、悲惨な現実から子供たちが魔法の異世界にジャンプするシーン。カッコウの声が響く森の中で、天使たちの祈りの歌が聞こえてくると、もうそれだけで泣けてきちゃう。そこまでの物語は、森でイチゴをお腹一杯になった子供が、道に迷ってそのまま森の中で幸せな死を迎える、という、アンデルセンの泣ける童話になりそうな物語で、子供たちがどんどん追い詰められていくのに、それでも「神様が守ってくれる」と祈りの歌を捧げるところなんか、続く最悪の悲劇を想像させて涙なしに聞けない。そうやって「ああ、もうこの子たちはこのまま天に召されるんだな」と思ったところに、異世界への扉が開き、お菓子の家という最大の救済が姿を現す。


なんといってもお菓子の家だよね〜

長い歴史や様々な改訂を経て、純粋な子供の祈りが救済をもたらす、という、きわめてシンプルな物語がそこにはあって、やっぱりMETの演出はちょっとグリムの原作に影響されすぎてるよなーと思う。もっとシンプルに楽しく作れば、こんなに素敵なお話なのに。

原作のなかで、親子の対決部分を担うのがヘンゼル(親の企みの裏をかいて、石を落として帰り道を見つけたりする)で、後半の魔女との対決部分を担うのがグレーテルなのだけど、親子が和解してしまっているオペラ版では、純粋な子供と邪悪な魔女の対決が主軸になる。なので、このオペラの推進役になるのはやはりグレーテルで、例によって手前味噌になるかもしれませんが、女房はこの物語の軸になる役をうまくやり切っていたと思います。8歳の子供に見せるためには、胸を開いて肘を後ろに持っていくといいんだ、などと、子供になるための姿勢からしっかり研究して取り組んでおりました。日本語歌唱の安定感も抜群。

どこかで耳にしたことのある分かりやすいドイツ民謡のメロディーたちが、複数のライトモチーフになって絡み合い、ドイツの黒い森のような深い深い色合いを生み出す、その中でキラキラと輝くピュアな子供の夢のような歌声。こんなに多幸感に満ちたオペラって、なかなかないよね。東京シティオペラ協会のみなさま、本当に幸せな時間をありがとうございました。共演者の皆様、スタッフの皆様、女房が大変お世話になりました。またどこかで、こんな素敵な時間をご一緒出来たら嬉しいです。