自分が知らないことだらけだっていう謙虚さって全ての基礎じゃないかと

舞台パフォーマンスにしてもそうだし、仕事にしてもそうですけど、時々、オレは何でも知ってる、ここにいる誰よりもオレは全部が見えている、だからオレの言うことを聞け、みたいな上から目線でその場を仕切ろうとする人っていますよね。もちろんそれだけのことを言える人なんで、発言にはある程度の根拠や知識の集積があったりするんだけど、舞台パフォーマンスみたいに色んな総合的な視点が必要な創作物だと、本当に全部が見える、なんて正直無理な話で、「誰よりオレが上」って言った瞬間に胡散臭くなっちゃうし、実際、ある面では非常に卓見だなぁ、と思っても、別の面から見れば非常に浅はかな発言だったりして、一瞬で底が割れちゃう、なんてこともよくあります。

ものすごく該博な知識や経験を持っている人ほど、「オレは誰よりも物を分かってる」「だからオレの言うことを聞け」とは言わないですよね。自分の主張を通す時に、自分の知識の優越を根拠にする人ってのは、それだけで既に自分の底の浅さを露呈している気がする。ソクラテスが、「自分は自分が無知であるということを知っている」と言ったように、知識を追究すればするほど分からないことが増えてくる、というのがこの世の常で、一流の人ほど、「いや、ボクが知っていることなんてまだまだです」という謙虚さと、自分が知らないことに対する貪欲さを持ち続けているもの。

そういう謙虚な人は必ず周囲の人の発言に耳を傾けるし、その発言の中から何かしら自分の知らない知識や持っていなかった視点を見つけようとする。自分の周りに壁を立てずに、アンテナを広く張って、色んな知見の中から自分が選択するべき選択肢を選びだすことができる。「オレは誰より物が見えている」と言った瞬間に、自分の知見以外のものに対して壁が立ってしまって、そこから何も発展がなくなってしまう。

なんでこんなことを今書いているかっていうとね、舞台パフォーマンスの世界でもしょっちゅう耳にするこの「オレは知ってる」「おれが正しい」式の傲慢さっていうのが、色んな場面で垣間見えてきて、なんか世の中がどんどん狭量になってきている気がしていやーな感じがするんですよ。独裁者が「オレが正しい」って国全体を一色に染めようとする国とかはちょっと別にして、最近よく聞くいわゆる陰謀論とか、色んなデマが流れる背景に、どこかで「オレはあんたの知らないことを知っている」っていう優越感を根拠にして、「だからオレの言うことを聞け」「オレの言うことを聞かないあんたは物知らずのバカだ」みたいなマウンティング志向がある気がして仕方ない。

陰謀論やデマを支持してしまう心理には、現状への不満や不安があるし、謙虚さを持っている人は、そういう自分の不満や不安に対しても心を開いて受け入れた上で真実を見極めようとする。でも思考パターンの中に「オレは他の人より物を知っている」という優位性を保ちたい傲慢さがある人ほど、自分の持っている不満や不安ではなくて、「世の中の主流の人はみんなバカで物が見えていない」「私は世間が知らないこんなことを知っている」というポジションに飛びついてしまうのじゃないかなぁ。

イヤだなぁ、と思うのは、ナチスドイツだって、そういう陰謀論を国民に植え付けて民族としての優位性を実感させることで成立した政権だったし、あのオウム真理教だって様々な陰謀論を積み重ねて自分の正当性を維持しようとしたっていう歴史が想起されるからなんだよね。オウムの信者達はいまだに、地下鉄サリン事件はオウムを潰そうとした国家的陰謀だった、と信じているっていうし、トランプ大統領の支持者が「ディープステート」という陰謀論を強く信じている、なんていう話を聞くと、オウムの記憶が生々しい自分なんかは本当に背筋が寒くなるんですよ。

世の中の大きな流れに対して反論することを否定するのはそれこそ傲慢だし、陰謀論とかデマを信じてしまう人の意見を頭から否定するのじゃなくて、それを生み出す背景や時代も含めて冷静に謙虚に分析することこそ大事とは思うのだけど、時々ぞっとするのは、そういう陰謀論やデマを信じている人が口にする、「あなたは何も分かってない」という言葉なんだよなぁ。そういう主張が国の半数近くを占めてしまうアメリカの状況なんかを見ると、謙虚さを失ってしまった民主主義っていうのは政体としていかがなものなのだろう、と思ってしまう。

アフガニスタンタリバンが政権を取った背景にあるのが、「何が正しいか正しくないかを決めるのは神であって人ではない」というタリバンの姿勢が、人が政治を左右する民主主義を否定しながらも、汚職にまみれた現政権に比べてタリバン政権の「清廉さ」をアピールできたのだ、という話を聞いて、なるほどなぁって思ってしまった。タリバンは根拠にしているイスラム教の解釈においてそれこそ謙虚さと寛容さを欠いているように思うので、これもある意味論外な存在なのだけど、寛容さと謙虚さを失った民主主義に対する一つのアンチテーゼとしてしっかり向き合った方がいいのじゃないかな、という気もする。

自分の中にも、どこかで周囲の色んな意見や視点に対して、謙虚に学ぼうとするのではなくて、なんとか自分の優位を保とうとする傲慢さがあることは否定できないと思います。でもそういう傲慢さって、いつか人類そのものの存続すら脅かすくらいの人の中にある脅威なのかもしれないなって思ったりする。少なくとも、「政府の言うことを信じるあんたは頭がおかしい」みたいな、相手の意見や発言に対して最初から壁を立てるような発言はしたくないなぁ。