「チェネレントラ」~音楽が全部ぶっ飛ばしちゃうんだよなぁ~

外出に飢えていた女房が、久しぶりにオペラを見に行きたい!と叫びだして、夫婦して見に行くことにしました、新国立劇場の「チェネレントラ」。女房の師匠である高橋薫子先生も出演されるし、タイトルロールの脇園彩さんも評判がいいし、METでも楽しませてくれたコルベッリのドン・マニフィコ、すっかり中堅歌手となった上江隼人さん、と、とにかくソリストの顔ぶれが素晴らしい、ということで、期待度MAXで初台へ。その期待をはるかに超えてくる歌のパワーを全身に浴びて、引きこもり生活で体中にたまった毒が抜けるような感覚を味わえた、素晴らしい舞台でした。

 

【指 揮】城谷正博
【演 出】粟國 淳
【美術・衣裳】アレッサンドロ・チャンマルーギ
【ドン・ラミーロ】ルネ・バルベラ
ダンディーニ】上江隼人
【ドン・マニフィコ】アレッサンドロ・コルベッリ
【アンジェリーナ】脇園 彩
【アリドーロ】ガブリエーレ・サゴーナ
【クロリンダ】高橋薫
ティーズベ】齊藤純子
【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

という布陣。

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天候にも恵まれて、ハレの雰囲気たっぷり。新国立劇場は4月の「イオランタ」以来半年ぶりだったんですけど、やっぱりこの空間っていいなぁって思います。

自分が「チェネレントラ」というオペラに初めて触れたのは、バルトリがタイトルロールをやったライブ映像でした。絵本のような色彩鮮やかな舞台と、なによりドン・マニフィコをやったエンツォ・ダーラが最高にキュートで、なんて素敵なオペラだろうって思った。今ネットで調べてみたら、その時ダンディーニをやってたのがコルベッリだったんですね。その後、フォン・シュターデがタイトルロールをやった映画版をテレビで見た時に、フォン・シュターデが美人過ぎるのに衝撃を受けたりしたんだけど、この「チェネレントラ」の意思の強さ、というか、自分で運命を勝ち取っていこうとする感じが、いわゆるよくある「シンデレラ」のイメージと随分違うなぁ、と思ったのを記憶しています。

その後、女房がマスネの「サンドリオン」のタイトルロールを歌う機会をもらって、こちらのオペラも大好きになったのですけど、こちらは妖精さんが出てきたり夢の森の中で再会したり、と、ディズニーの「シンデレラ」よりロマンティック度増し増しです。同じ「シンデレラ」という題材を扱いながら、ロッシーニの「チェネレントラ」は、そのリアリズムや強い女性像など、やはりちょっと特別な作品のような気がしていました。

今回の新国立の演出も、ロッシーニ版の持つリアルな人間ドラマの側面をしっかり表現しよう、という意図をベースに、舞台を映画産業に読み替えての新演出でした。(ここから後は未見の方にはネタバレの記述も含みますのでご注意ください)

演出の粟國さんと美術・衣装のアレッサンドロ・チャンマルーギさんがYouTubeの配信プログラムで対談されているのを拝見したのですけど、映画、というキーワードが浮かんだ時に、イタリアの映画産業の中心だったチネチッタの感じと重ねてみた、という話をされていて、なるほどなぁ、と思った。序曲のパントマイムがサイレント映画の一場面のように演出されていて、そこから冒頭のオーディションのシーンになる感じとか、まさにフェリーニの映画みたい。確かに、フェリーニの映画ってオペラへのオマージュに満ちてるし、そもそもイタリア映画の群像劇とか見ていると、ロッシーニの入り組んだ人間ドラマと共通する感覚ありますよね。というより、粟國さんとアレッサンドロさんもおっしゃってたけど、草創期の映画ってオペラなどの舞台作品から色んな表現を持ち込んだものだったんだよなぁ。

そういう意味では、オペラ演出で時折感じる無理な読み替えによる違和感は少なくて、むしろ映画スタジオの中のわちゃわちゃの中で場面がカリカチュアライズされてしまう感覚が結構面白かった。一幕のラミーロとアンジェリーナの二重唱とか、映画の大道具として現れた月のオブジェやメリーゴーラウンドの馬とかが曲のロマンティックな雰囲気を盛り上げたり、変身したアンジェリーナの登場シーンがほとんどハリウッドMGMミュージカルを思わせたり。

でもねぇ、そういう演出の小道具や様々なギミックを全部ぶっ飛ばしてしまうのが音楽の説得力と、それを完璧に客席に伝えてくる歌い手さん達の高いパフォーマンスなんだよねぇ。とにかくキャストに全く隙がない。前評判通りの素晴らしい技術とビロードのような柔らかな触感の脇園さん、ノーチェックだったのだけど安定感抜群のルネ・バルベラさん、キャラクターバリトンなのにしっかり端正に嫌味なく仕上げてくる上江さん、存在感あるガブリエーレ・サゴーナさん。そして人間の欲や嫉妬などの醜い部分を極端な笑いに昇華しながらもリアリティ持って表現できるコルベッリさん、高橋薫子先生、齊藤純子さんのトリオ。チェネレントラのラストの赦しの音楽でさえ、脇園さんの人間味溢れる柔らかな声でしみじみと歌われると、彼女が踏み越えてきた苦難の中で培われた人間に対する絶望感や諦観まで見えてくるような気がする。永竹由幸さんが、「モーツァルトというのはオペラ・ブッファで人間を描くというとんでもないことをやってのけた人」みたいなことをおっしゃってたけど、ロッシーニももうやってたんだなぁって思ったり。

オーケストラは若干安全運転だった気もするんですが、歌い手さんたちがむしろ音楽をぐいぐい前に引っ張っていく感じで、特に第二幕あたりの全体の推進力が素晴らしかったです。やっと戻ってきた舞台を楽しめる日常だけど、これもいつ雲散霧消するか分からない。シャンパンの泡みたいにキラキラと弾けるロッシーニの音楽に浸っていると、今を、人生を楽しまないと、人間またいつどうなるか分からないよねぇ、なんて気分になってきちゃう。ロッシーニが37歳という若さで筆を折ってしまって、後はひたすら美食に生きたってのも、若いうちに人間や人生の色々見過ぎちゃったってこともあったのかもしれないねぇ。