Respectということ

先週一週間、夏休みで帰省しておりました。私の実家のある兵庫県三田。三田肉でバーベキューして、実家の庭で採れた新鮮な野菜食べて、スイカ食べて、ビール飲んで、と飲んで食ってして、今週は胃腸がボロボロ。節度と言うものをわきまえないと。

娘は、この夏休み、家の近所の市民プールに通って、女房仕込のクロールや平泳ぎで、25メートル泳げるようになりました。私は中学生くらいになるまで25メートルも泳げなかったというのに、すげぇ。継続は力だよなぁ。三田で行ったフルーツフラワーパークのプールでも平気でプハプハ泳いでおりました。

てなわけで、日中は楽しく遊びほうけておったのですが、夜は何をしておったか、というと、これが仕事をしておったのです。あうう。

最近のIT化というのも良し悪しで、人が休んでいようがなんだろうが仕事はメールでバンバカ飛んで来る。このメールというのはよくないね。休み明けに、サーバに溜まりまくったメールをまとめて読まないといけない、と思っただけで気分が憂鬱になる。そうなると、休み中でもなんとか仕事メールに目を通しておかないと、という気分に追い込まれていってしまう。

また我が社というのが、創設者が、夜昼なく働くのが美徳、というおじさんだったこともあり、上司連中が土日も深夜も関係なしに働くことが素晴らしい、みたいな前時代的なオッサンばっかりなので、「日曜日に連絡してすぐ返事しないとは何事だ」なんてわけのわからないことをわめきだしたりするのです。当然のように、携帯電話の番号は上司に通知されており、いつでも連絡が取れるようになっている。とほほ。

ということで、休暇直前に、秋葉原に行って買ってしまいました、最近流行りのミニPC。工人舎のやつです。ほんとに小さいねぇ。会社でPCに詳しい方や、AU ONE NETの親切なヘルプデスクのお姉さんたちに助けてもらいながら、ネット接続の環境を整えて、カバンにミニPC放り込んで帰省。帰省先の実家には使えるパソコンはないので、仕事用にも大活躍しておりましたが、女房ともども楽しんでいたのが、「ほぼ日刊イトイ新聞」の「観たぞ!北京オリンピック」のコーナー。これが異様に面白い。北京オリンピックの感想メールをコメント付きで並べている、というコーナーなんだけど、編集者の永田さんのセンスがいいのか、2ちゃんねる的な不快なコメントもなく、かといって優等生的なものばかりでもなく、適度に下世話で適度にミーハーで、時々思わず涙してしまうような感動的なコメントがあったりする。

女房と言い合っていたのだけど、このコーナーが面白い、というのは、集められているコメントが、選手や関係者の皆さんに対する「Respect」にあふれている、という点なんだな、と。最近、この「Respect」ということが色んな局面で失われている気がして、それが非常に不愉快なんだね。

自分の都合ばかり主張して、他人の状況を思いやることがない。「Respect」と言う言葉は、尊敬、とか、尊重、なんていう訳語が当てられるけど、私が一番しっくりくるのは、「思いやり」という言葉だと思う。孔子の言う所の「恕」というヤツですね。「己の欲せざることを人に施すなかれ」ってやつ。

銀メダルを誇らしげに語る伊調千春さん。何もいえないとインタビューを打ち切った塚田真希さん。二大会連続二冠に、「ありがとう」という言葉を何度も口にした北島さん。一人ひとりのアスリートの言葉の重み、そして何より、そのパフォーマンスの美しさ。目指したものに到達した者、到達できなかった者。全ての人々が、全力を出し切った充実感や、一瞬の重い判断への後悔や、その一瞬に向けて積み重ねてきた日々への思いを込めて語る言葉。凝縮された時間。

1観客である我々ができることは、そういう一人ひとりのプレイヤーの後ろにある、ぎっしりとした濃密な思いへの「Respect」を持つことだけ、という気がする。今回の北京のプレイヤーたちは、アテネ大会の余力で戦っている、一種百戦錬磨のベテラン勢が多いのだけど、その分、コメントの一つ一つが実に味わい深い。「ほぼ日刊イトイ新聞」には、そのあたりの背景について語る「教えて刈屋さん」というコーナーがあって、長年五輪の実況を続けてきた練達のアナウンサーである刈屋富士雄さん(例の、「栄光への架け橋だ!」のヒト)の、まさに「Respect」に充ちた北京五輪の楽しみ方が書かれていて、これも必読。

やっぱ、「Respect」だよなぁ、と思いながら、夏休み中もがんがんメールを送ってくる人々って、Respectが足りないよなぁ、と改めて思うのでした。みんなヒトに優しくしようねぇ。夜遅くに仕事メール送るのはやめようねぇ。