弘前に脱出した親戚からの連絡

震災の日、たまたま大船渡の女房の実家に、女房の姉が帰省していました。老人二人と、野戦病院のようになった大船渡病院に缶詰になっている兄の3人ではどうなっていることか、と案じていたのですが、一人でも体力のある人間が加わっていたことに安堵。その姉が、嫁ぎ先の弘前に、大船渡の老人二人を連れて脱出。老人の一人(女房の父親)は、定期的に透析が必要なので、大船渡では対応できない、とのことで、県外移送となりました。

震災が来た瞬間は、ちょうど自宅から病院に向かう途中だった、とのことで、「もしあと5分、家を出るのが遅れていたら、津波に巻き込まれていただろう」と。姉がたまたま帰省していたこと、津波が本宅のすぐ側をかすめるようにして引いていったこと、色んな偶然が重なって、本当にたまたま、家族全員が助かったのだな、と、今更のように天の配剤に感謝する。

本宅は無事、とはいえ、地震の揺れで色んな物がぐしゃぐしゃになっている中、電気のない生活は相当不自由だったようで、電気がないと本当に何もできない、と実感したそうです。トイレも暖房も通信手段の携帯も、電気がないと全く動かない。ただ、この実感は、きっと計画停電下にある東京近辺でも皆さん身に沁みて感じていると思うけれど。

東京でも物資の買占めや物流の混乱で、色んな物が不足している、と聞いていますが、弘前でも物不足、特にガソリンは3時間待ちだとか。世界に誇る日本の物流網が正常に戻るまで、まだしばらくかかるだろうけど、阪神淡路大震災の時に世界を驚嘆させたインフラ復興能力はきっと健在です。しばらくの我慢です。


義姉が自分の携帯から撮った津波の写真。大船渡病院の四階から撮った映像だそうです。