痛い思い

昨夜帰宅すると、娘が人差し指に包帯を巻いている。「どうしたの?」と聞くと、朝、学校でドッジボールをしていて、横から同級生が走ってきたのにぶつかって、突き指しちゃったんだって。

まだ7歳の娘にとって、擦り傷以外のケガは初めての経験。帰宅後はけろっとしていて、「初めて保健室に行きました!」と元気よく報告してくれたのだけど、1時間目の授業を全部パスしてしまった、というから、多分びっくりしてギャンギャン泣いちゃったんでしょう。親に似て小心者なので・・・

自分の子供の頃を思い出してみると、突き指ってのは結構しょっちゅうやっていた気がする。ボール遊びの宿命ですよね。でも、骨折っていう経験はないんだよなぁ。擦り傷や突き指はよくやっていたけど、骨折したことはない。

大きなケガといえば、鉄条網に頭を引っ掛けて血まみれになってしまったこと・・・くらいでした。頭ってのはとにかく無闇に血が出ますからね。あんまりよく覚えていないのだけど、後頭部から背中にかけて真っ赤になった状態で、ギャーギャー泣きながら、兄に手を引かれて家に帰ったのを覚えています。いまだに頭には傷跡が残っているんだけどね。それ以外の大きな怪我ってのは記憶にない。そんなに体育会系の子供じゃなかったから、いつもノタノタしていて、骨折するほど勢いのある動きをしなかったのでは、と想像。

高校生くらいの時、向かいの家の犬が、家人がご不在の間に、玄関の鉄製の門に首輪を引っ掛けて、宙ぶらりんになって苦しんでいたのを助けてやろうとして、思いっきり右手を噛まれた。恩知らずな犬じゃ。2針ほど縫いました。この怪我が治るまでの間に、鉛筆の持ち方がヘンになってしまって、いまだに直りません。でもこれが生涯で一番の大怪我かもしれないなぁ。

子供の頃の怪我っていうのは、身の回りの危険を認識する意味で、結構大事な経験。もちろん程度問題で、取り返しのつかない後遺症が残るような大怪我は困るんだけど、治ってしまう小さな怪我であれば、むしろある程度経験した方がいい。多少痛い目にあってみないと、リスクが分からない。その線引きは難しいけどね。

最近、製品事故に対して、マスコミが企業を糾弾するケースが増えている。シュレッダー、ガス器具、電子レンジ・・・先日あった、ベビーカーが電車の扉に挟まれた、という話は、ネット上でも、ユーザ側が気をつけるべき話でしょう、という論調が多かったけど、概ねマスコミの論調は、企業側の責任をことさら強調する。結果として、企業は、リスクに対して過敏になりすぎて、時に過剰なリスク回避に動き、個人は、自分の行動の結果もたらされた被害を、企業の責任にしたがる。誰もが責任を取ろうとしない総無責任国ニッポン・・・

そういう現象には、子供の頃からのリスク意識、というのも無関係じゃないと思える。安全すぎるほど安全な世の中で、自分のやったことに対する結果が自分にはね返ってくる・・・という危機意識、リスクへの備えを持たずに大きくなっていく子供たち。そうやって育ってきたリスク意識の低い大人は、自分が被った被害を、自分自身の行動の結果と認めたがらない。人のせい、企業のせい、環境のせい・・・自己責任、という言葉をきちんと認識させるためには、子供の頃から、自分の行動にどれほどのリスクがあり、それを回避するためにはどれだけの注意を払わないといけないか、ということを理解させないといけない。

だから、ちょっとした怪我は大歓迎、少しは痛い目を見たほうがいいんだよ・・・といいながら、ことはそんなに簡単じゃない。子供が大怪我をすればやっぱり、「誰が悪いんだ」と言いたくなるもの。自己責任と製造物責任の境界って、そんなにはっきり線が引けないから、企業は安全サイドに逃げ込みたがる。さらに言うと、最近の高度に機械化・自動化された社会では、ちょっとした不注意がもたらす結果が大きすぎて、個人では負いきれないリスクになっている、という側面もある。一方で、いくら注意をしていたって、リスクが目に見えないケースだってある。咳止め薬飲んだからって、まさか死ぬとは思わんよなぁ。さすが中国。

不二家の品質管理問題が事件になった直後、不二家製品を撤去するスーパーがほとんどだった中で、「問題はありましたが、お客様のご要望が強いので」という但し書きをつけて、不二家製品を店頭に並べたスーパーがあったそうです。これがバカ売れに売れたんだって。狂牛病問題で吉野家の牛丼が食べられなくなった時、「狂牛病になるリスクはあっても、牛丼食べたい」っていう人もいるんじゃないかなぁ、と思ったりしましたっけ。十分に情報開示がなされている中で、自分で判断して選択した行動であれば、責任は全て自分にある。「自己」という概念が未熟なままに、高度な機械化社会を築き上げてしまった日本という国では、なかなか「自己責任」という言葉は根付かないのかもしれないけれど。