今、そこにある危険

先日の朝の通勤電車の中。ちょっと早めの出勤だったので、ギューギュー詰めとまではいかないけれど、カバンを下におく隙間がないくらいのかなりの混みよう。そろそろ新宿駅に到着、というところで、急にブレーキがかかった。急停車、というほどのブレーキじゃなかったんだけど、私の後ろにいた一群の人たちが雪崩を打って倒れこんできて、一気に将棋倒しに。幸い、倒れたのは5・6人だったので、特に大きな怪我にはつながりませんでしたけど、満員電車ってのは怖いねぇ。

京王線でそんな目にあって、怖かったなぁ、と思いながら、JRに乗り換え。新宿から黄色い電車が発車した途端、今度は相当派手な急ブレーキ。総武線各駅停車はそれほど混んでいないので、将棋倒し、という状況ではなかったですけど、通学途中の小学生が数人、床に倒れこんでしまった。これまた幸い、怪我人までは出ず。ドアにカバンが挟まったために急停車したんだと。

日常生活の中で、本当に何気なく、安心しきって使っている交通機関や、道具や機械が、急にすごく危険な凶器になってしまう瞬間っていうのがありますよね。運転手さんが軽くブレーキをかけただけで、たくさんの人たちが大怪我をするかもしれない。ほんの冗談のつもりでやったことが、とりかえしのつかない悲劇につながってしまうかもしれない。徒然草仁和寺の法師(酔って釜かぶって抜けなくなって、耳も鼻も取れちゃったって話)の昔から、日常の中に危険は潜んでいる。自動車にしても自転車だけじゃなくって、日常の中で便利に使っている道具が、一瞬のうちに危険極まりない凶器になってしまうことがある。昔、コピー機で、ふざけて自分の赤ん坊の顔をコピーして、その子が失明しちゃった、なんて話がありましたっけ。ちょっとしたおふざけが、一生涯の後悔につながる。

最近、日々そんなことを考えてしまうようになったのは、やっぱり子供が出来て、その子供がある程度大きくなってきたからでしょうかね。子供が一人でそういう危険に直面しなければならない機会が増えてくるにつれて、街の中で何気ない顔して潜んでいる「危険」が、余計に目に付くようになってきた。年始あたりに必ずやってる「はじめてのおつかい」っていう番組がありますけど、やっぱりいまだに、子供を一人でお使いにやる気にはなれない。調布あたりでも、やっぱり、子供が一人で歩けるような街ではありませんし。

「見るからに危ない」場所っていうのは、結構意識するから、かえって大丈夫だったりするんじゃないかな、という気もする。JR四谷駅の電車とホームの間の隙間とか、子供一人くらい軽く転げ落ちそうなくらい広い隙間が開いているんだけど、毎朝通ってて、そこに人が落ちた、という話はあんまり聞かない。かえって、渋谷の駅で電車とホームの間の隙間に落っこちた、という話を聞いたことがある。渋谷駅なんか、電車とホームの間がそんなに開いてるイメージないのだけど、そういう中途半端な落とし穴の方が、かえって危ないんですかねぇ。

女房の実家は小児科ですから、女房は、「本当に普通に生活している中で、ちょっとしたはずみで大怪我をしたり、障害が残ったりする例を、子供の頃から一杯見てるんだ」とよく言います。何事もなく五体満足で大人になったこと自体、ほんとにありがたいことなんだよね。

週末、久しぶりの何もない日曜日に、娘と二人で、近所の公園でドッジボールごっこをする。子供用のやわらかいボールを投げっこしてたんだけど、娘が投げたボールを受け取った拍子に、右手と左手がぶつかって、左手の小指を突き指しちゃった。これも日常の危険の一種かしら。単に、私が運痴であるってだけって気もするな。