インフラ投資を軽視しちゃだめだよ

世の中ではCS、とかいうイベントをやってるらしいけど、なんのスポーツの話ですかね。まぁよく知らないけど、どこかの関西球団が、またぞろストーブリーグをにぎわせているようで、本当にいい加減にせいよ、と思いますが、今日はそういう愚痴を書きたいわけじゃなく、もっとまじめな話を書きます。まじめな話。

就職協定を廃止する、というニュースがあって、それはそれで一つの方向性かな、と思うのだけど、その報道の中で、どこかの会社の経営者が、「入社後時間をかけて社員を育成するより、即戦力が欲しい」というコメントを出していて、そういうことを言ってる会社はダメだな、と思ってしまう。経営の合理性=経済合理性だけを追求すれば、優秀な社員に育つかどうか分からない新人教育にコストをかけるのはいかにも無駄、と思うかもしれないけどさ。じゃあ逆に聞くけど、その「即戦力」っていう人ってのは、誰がどこで教育してくれるんですかね?

お前のそういう考え方が古いんだよ、と言われるかもしれないけどね、この経営者のコメントを聞くと、人材教育、という企業のインフラ整備に当たる部分を他の人に押し付けて、その人が育ててくれた人材をかっさらおう、と言ってるようにしか聞こえないんです。もし本当に企業が人材教育を放棄して、即戦力ばっかり欲しがるとしたら、本気で人材教育に力を入れている企業は馬鹿を見ることになる。育てても育てても他の企業に人材をかっさわれるなら、教育自体無駄、と思う企業がどんどん増えてくる。そうして全ての企業が、人材教育を放棄して即戦力ばっかり欲しがったら、誰が新卒の学生を現場で鍛えてくれるんですかね。それは大学の役割だ、なんていう企業もいるかもしれんけど、大学の机上で学ぶ疑似体験が、現場で役に立たないなんてのは企業人の常識でしょうに。戦力になる社会人を育てられるのは、企業の現場しかないんだよ。

同じような議論が、私が属している通信業界で盛り上がった時期があって、いわゆる「ユニバーサルサービス」という議論です。日本全国津々浦々に通信網を張り巡らせて、その通信インフラを維持していくのは誰の責任なのか、という議論。当時のNTTが、かつての電話加入権資産によって構築した通信インフラを拡大維持していくには相当のコストがかかる。でも誰もそんなインフラの維持コストを負担したくない。人の作ったインフラをその都度借りて、最低限の設備投資で通信サービスを提供したい、と思う。

通信の世界では、そういうインフラ維持費用を、「ユニバーサルサービス費用」ということでみんなで負担しあいましょう、ということで議論は決着したのだけど、人材教育、というのも同じだと思うんだよね。誰かが、「この技術を支える人材を育てて、技術を継承するのがわが社の使命だ」と思って必死に頑張っているのに、そうやって育てた人材を「即戦力」の名のもとに高給エサにかっさらっていくのであれば、それは美味しいところどりの「クリームスキミング」のそしりをまぬかれない。そしてそういう会社が、自分だけが負担している技術維持コストに耐えられなくなってつぶれてしまったり、その技術を放棄してしまうと、困るのは産業界全体だったりするんです。

最近話題になりましたが、資生堂が、歌舞伎専用の化粧品の製造を中止する、というニュースがあった。経済合理性だけを追求すれば、その技術や伝統を維持するコストを一私企業が負担する、というのは非合理なこと。撤退する、というのは企業の経営判断としては非常に正しいのだけど、それでいいのか、と思うよね。同じように思った方々の声のおかげで、資生堂は、化粧品の製造を続ける、と方針転換したようだけど、もしそうなら、この資生堂の事業を何らかの形で支援してあげる仕組みを作ってあげないといけないと思う。少し前に大騒ぎになった同じようなニュースで、古美術の修繕に不可欠な和膠(にかわ)の製造会社が店を閉めて、もう古美術の修繕ができないかも、みたいな話がありましたよね。社会的使命感で、なんとか産業のインフラ技術を維持しようと頑張っているけど、もう無理、と悲鳴を上げている会社は沢山あるんじゃないか、と思う。そういう社会インフラをしっかり支援維持する仕組みとか、社会的使命感の共有、というのが必要な気がします。資本主義、という経済合理性だけで動く社会の仕組みの中では、軽視されがちなインフラ整備を、社会全体で何とか維持していかないといけないんじゃないのかな、と。人材教育っていうのも、社会のインフラを整備するのと同じくらい、日本企業全体で取りくまなきゃいけない大事な使命だと思うんだよ。人材を育てるのってホントに大変なんだぜ。若手が育たなくて、即戦力として期待した助っ人外人が大ゴケしたら、あっという間に最下位に沈んじゃうんだからさ。あれ、何の話だ。