深川江戸資料館に大興奮

週末、深川の友人のS弁護士宅にお邪魔。夜更けまで語り合い、日曜日には清澄庭園などを散歩したり、のんびりゆったりと過ごしました。色々と考えさせられる音楽談義もあったので、ぼちぼちとこの日記に書いていきますが、今日は、日曜日にみんなで行った、深川江戸資料館のことを書きます。

ここは絶対気に入ると思うんだ、と、S弁護士が案内してくれたのが、白河にある深川江戸資料館。入り口は普通の区の資料館で、1階には区の出張所もあります。建物の脇に取り付けてある出張所の看板が、和風の看板に歌舞伎調の字体で書かれているあたりが、さすが下町、という感じ。

入り口から、地下に降りると、地下から1階をぶち抜いた吹き抜けのスペースが、天保年間の深川の町並みを再現した広い展示室になっている。大きな火の見櫓が目を引くこの展示室が、とにかく無茶苦茶楽しかった。

天保年間の、長屋、表通りの大店、船着場と船宿、と、江戸の町並みの一角を完全に再現してある。長屋の部屋は全部で5部屋。大店が八百屋と米屋、船宿は2軒。それぞれに、当時の生活用品が全て再現されていて、火吹き竹やら柄杓やら、鏡台やら食器やら、全ての小物を手にとって眺めることができるんです。長屋のそれぞれの部屋に住んでいる人たちの職業なども決められていて、小唄の師匠の部屋、船頭さんの部屋、大店の米屋に勤める若夫婦の部屋から、貝を商う棒手振の若者の部屋、と、全てがきちんと設定されていて、その生活水準や職業にあった小物が並んでいる。子供のいる家や、女性の住む部屋には、季節に合わせて江戸の頃の雛人形が置いてある。大店の店頭には野菜が並び、米屋には当時の精米機であるシーソーみたいな形をした唐臼があって、子供でも操作できるようになっている。全体がそういう体験型の展示になっていて、まさに、江戸時代にタイムトリップした気分を味わえるようになっているんです。

藤沢周平宮部みゆき池波正太郎の世話物時代小説が好きで、読み込んでいても、そこに描かれた長屋の生活を、自分の肌身に感じる「空間」として実感することは中々難しい。TVの時代劇の映像を見るのと、実際に再現された長屋の畳の上に座ってみるのとでは、全然感覚が違う。女房も娘も大興奮で、全ての部屋に上がりこんで、「これが『へっつい』かぁ。」とか、「ほうろく」というお茶道具を手にとって、「これなんだろう?」などと歓声を上げていました。「へっつい」なんて、時代小説じゃ当たり前のように出てくるけど、実物をちゃんと確かめたのは初めて。今まで読んだ時代小説を、もう一度読み返してみたくなっちゃった。全然感じ方が変わっていると思う。

水茶屋には煙草盆が置いてあり(これも実物を手にするのは初めて)、ひときわ背の高い火の見櫓の脇には、夜鳴きそばの屋台(これが小さな空間に色んなものを収納してあって、実に楽しい!)や、天麩羅屋の屋台が、これも実際に調理用具を触れられる形で展示してある。屋根の上では、リアルに作られた猫が伸びをしたり、首を回したり、大きな声でニャーと鳴いたりする。場内は時折暗くなり、照明が、夜明けの明りから夕方の明りにゆっくりと変化していき、それに合わせて、物売りの声なども流れてくる。視覚や聴覚も含めて、すっかり江戸時代に囲まれた風情が味わえる。

さらに大笑いしたのが、この資料館のパンフレット。住民たちのプロフィールが全部細かく設定されていて、大家さんの米屋の源造さんが、自分の店子を紹介する、という体裁で編集されている。この設定や遊び心は、この資料館のHPにも引き継がれていて、http://www.kcf.or.jp/fukagawaedo-museum/で確認できます。小唄の師匠(ちなみに、名前は於し津(おしづ)さんというそうで、さっきの猫にも、実助(まめすけ)という名前がある。)が住む部屋では、実際に月1回、小唄の発表会が行われているんだとか。

「これだけきちんとした設定があって、こういう空間が整備されていると、この空間全体を舞台にしたお芝居とか、企画されないかなぁ」と、女房と言いあう。新幹線を舞台にしてキャラメルボックスがお芝居をやったりしてますけど、ああいう企画ですね。深川の町の一角で、色んな場所で色んなドラマが起こって、それが一つに収斂していく、なんていう舞台・・・脚本も大変ですし、役者も演出もものすごく苦労すると思うけど、この場所はそういう企画が実現できそうな場所だなぁ。

娘は、二階家になっている大店や船宿の階段に、「上がるべからず」と書いてあったのがまず面白かったんだって。「べからず」という言葉がなじみがなかったらしくて、「『上がらないでください』って書けばいいじゃない。」と言うんだけど、そこは江戸時代だからねぇ。帰宅してからも、「顔を洗うべからず」「宿題を忘れるべからず」なんて言いながら、ケラケラ笑っておりました。

「長屋の展示とか、楽しかった?」と聞くと、娘はうなずいて、
「ハンガーが面白かった」という。
竹と紐を組み合わせた簡単な作りの物干し用具があって、実際に手ぬぐいとかが干してあるんです。紐で吊るすと、今のハンガーそっくりに見えるんだけど、今のハンガーより風情があって、かつコンパクトで便利そうに見える。
「江戸時代の人たちって、貧乏だったんだよね?」と娘は言ってくる。
「そうだね。」
「貧乏だけどね、一生懸命働いていたんだよね。それが楽しそうで、いいと思った。」

長屋の狭い狭い部屋は本当に貧しくて、娘の周りに溢れている色んな便利なものは何もない。でもその代わり、立派な神棚や、子供のおもちゃ、様々な工夫を施した生活道具など、一つ一つのモノにこめられた精神世界の豊かさに圧倒される。確かに現代の我々は物質的には豊かになったけど、そうやって我々の周りに溢れる「モノ」たちに、どれだけ心がこもっているだろうか。作り手の、使い手の心のこもったモノたちに囲まれた生活の幸福と、現代の幸福を、否が応でも比べずにはいられない、実に豊穣な空間でした。パンフレットを読み込んで、設定を頭に入れて、また是非訪れてみたい、と思います。しかし、区の公共施設でここまでやるとは、江東区、侮るべからず。