基礎になる知識

知識っていうのは、色んなモノを見る時に邪魔になることもある。虚心坦懐に物事を見る、という意味では、色んな知識からくる先入観は時に目を曇らせる。でも、知らないと分からない面白さや、知っているからこそ見えてくるもの、というのもある。

先日、夏休みで家族で行った神戸の異人館街では、「Kitano in 北野」というイベントが行われていました。北野たけしさんが、異人館の色んな部屋に、ちょっとしたいたずらを仕掛けていて、「この部屋に、ちょっとおかしなものがあります。それを見つけてください」という謎かけをしてくる。間違い探し、みたいなゲームで、結構楽しい。全部見つけたら景品がもらえるみたいなんだけど、そこまで本気に挑戦しないで、時々見つけては喜んでいました。ホッキョクグマの頭に角がついていたり、非常口の緑色の案内が五輪マークをつけてボイトのポーズをとっていたりする。

英国館のシャーロック・ホームズの部屋を再現した部屋でも、「間違い探し」のマークがついている。ただでさえごちゃごちゃと色んなものが並んでいる部屋だから、ほとんど、「ミッケ」状態になって、娘と二人で探す。パパが先に見つけました。「あれ、机の上に、十手が置いてあるよ」

ホームズが江戸の十手を持っているわけはないので、これは間違いなのだけど、娘は、「十手って何?」と聞いてくる。我々の世代には、銭形平次とか、遠山の金さんなんかの時代劇でおなじみだった十手を、娘は見たことがないんですね。そもそもテレビで時代劇をやらなくなったし、大河ドラマとかでも十手、というのはあまり出てこない。エンターテイメント系の時代劇でしか出てこない小物だから。

十手、というのがどういうものか知らないと、それがそこにあることの面白さ、というのが理解できない。五輪の閉会式で、エリック・アイドルが出てきて、「あ、モンティ・パイソンだ!」と私なんか大喜びだったのだけど、若いNHKのアナウンサーもカメラマンもモンティ・パイソンを知らなかったらしく、エリック・アイドルを「アーティスト」と紹介した上に、そのパフォーマンスの大半を日本選手を映すことに終始しちゃった。大砲から人が飛び出すパフォーマンスも、意味も理解できずはしゃいでいるだけ。モンティ・パイソンのフライングサーカスの再現だったのだけど、知らない人には何の面白味も感じられないんだよね。NHKにも同情する部分はあって、閉会式全体が、ブリティッシュロックを中心とする英国パフォーマンスへの愛情と知識がないと理解できない、「イギリスマニア」向けのパフォーマンスになっていたから、これを延々と流し続けるのは確かにしんどいだろうな、とは思った。

知識が理解を深めるだけじゃなく、自分なりの納得感を与えてくれる局面もある。先日、娘が部活の合宿に行っている間、夫婦で八重洲ブリジストン美術館に行きました。「ドビュッシー、音楽と美術」という展覧会が開かれていて、女房が今度のリサイタルでフランス歌曲を取り上げることもあり、ちょっと行こうか、という話になる。私の好きなロセッティやバーン・ジョーンズもあり、さりげなく大好きなモローの「化粧」も展示されていて嬉しくなる。個人的には、演奏会のチラシにもなっているルノアールはあまり好きじゃなくて、モーリス・ドニの絵がお気に入り。常設展にもいい絵がたくさんあり、非常に見ごたえがありました。

ドビュッシーを中心にした展覧会なのだけど、女房が、「音楽を『見せる』のは難しいよね」と感想を言う。展覧会のそこここに、ドビュッシーが浮世絵に影響を受けた、とか、誰かの絵に着想を得た、なんて書いているのだけど、まぁテーマを絵や風景からとってくる、という意味での刺激は得ていたとしても、音楽を創作する上でそれがどこまで影響したのか、というのはちょっと未知数な気がする。ドビュッシーの直筆の楽譜や手紙、というのも展示されていたのだけど、文字の底辺がきれいにそろったコマコマした文字から受ける印象は、「音楽オタク」。展覧会でも紹介されていたフォンテーヌ家のようなパトロンのサロンの隅で、ひたすら音と向き合っている青年の姿が立ち上がってくる。それは、彼の作った音楽や、その時代の芸術作品にいくつか触れてきた私なりのイメージで、今までそういうものに触れてこなければ、生まれてこなかったイメージだとは思うけど、自分なりに、非常に納得感のあるイメージでした。

そういう基礎の知識、というのは、脳みそが柔らかい頃にどれだけ蓄えるか、というのが一つの勝負になってくる。文化を受容する上での受容体をしっかり作るのに、今の娘くらいの年ごろ、というのは非常に大事な時期だと思います。色んなことを経験して吸収して、様々なものごとを自分なりに納得できる大人になってくれれば。