ピアノの音色〜世代の音楽

連休に入ってすぐ、「ウィーンオフ会」という会合に、ガレリア座公演の宣伝も兼ねて参加。ウィーン大好き、という発起人の方が、主にピアニストの方々に声をかけて、ウィーンのピアノメーカであるベーゼンドルファーのある会場に集って、ウィーンにゆかりの曲を演奏しまくりましょう、という会。こういう、ピアノの達者な方々が集まって一台のピアノを弾く、という会に行くと、同じピアノを弾いても人によって音色ががらりと変わってしまうことにいつも驚きます。柔らかなベルベットのような響きの方、マリンバのように、ピアノは打楽器であることを改めて認識させるように弾く方、体に染みついたウィーンのワルツのリズムで、絶妙の間で歌い上げる方、本当にさまざま。

ちょうどガレリア座でやっているのが、ウィーンの代名詞ともいえるヨハン・シュトラウスの「ヴェニスの一夜」ということもあって、この演目の抜粋をガレリア座メンバーで披露。お客様も喜んでくださったようで、演奏後の懇親会も楽しく、貴重な経験をさせていただきました。この会合、すでに11回開催されているそうで、まさに「継続は力なり」。発起人の方のバイタリティに感謝しつつ、さらにこの会が引き続いていくことをお祈りしています。

さて、ピアノという楽器の表現力の広さを実感したこのオフ会の後、昨日、女房と二人で、民音音楽博物館、というところに行ってきました。ここで開催されている「浅草オペラの時代展」という展示に興味があったので。信濃町にあるこの博物館、宗教団体の後援のおかげもあってか、館内の雰囲気もとてもよく、収蔵品も貴重なものばかりで、思った以上に堪能してしまいました。

収蔵されているオルゴールの試演、というのは、伊豆あたりのオルゴール博物館でも聞くことができるものではありますが、展示室がほどよく狭いので、本当に目の前で演奏してもらえるのが魅力。何より面白かったのが、古典ピアノの試演で、16世紀にピサで作られたチェンバロや、世界に4台しかない「演奏可能な」シュトローム、という18世紀末に作られたピアノなど、400年以上に渡るピアノの歴史を実演を交えながら紹介してくれます。この紹介してくれる館員さんたちが、みなさん美人で演奏も素敵で、固定ファンがつくんじゃないかな、なんて思ったのは中年オヤジの私だけか。

ベートーベンの時代のピアノ、というのも実演されたのですけど、その後で実演された、ショパンの時代のピアノ、というのと、年代的には20年くらいしか変わらないのに、音の豊かさが全然変わってくるんですね。楽器の音、というのも、技術水準によって全然変わっていくものなんだなぁ、というのを実感させてもらいました。

特別展の「浅草オペラの時代展」は、小さな展示室3室くらいのこじんまりした展示だったのですが、私や女房のように、オペレッタに興味があり、なおかつ、大正から昭和初期の日本の風俗にも興味がある人間からすると、どの展示資料も興趣が尽きない。一つ一つの展示物を食い入るように見て、読んで、とやっていると、時間がいくらあっても足りない感じ。二人して、2時間近く展示室にこもっておりました。ほんとに面白かったぁ。

凌雲閣を望む浅草六区にオペラ館・オペレッタ館が林立したのは、大正6年からたった6年間のことで、大正12年の関東大震災ですべてが灰になるまでのあまりに短い命だった、というのも初めて知りました。でもこの時期に、カルメンや椿姫、といった、現代でも人気のオペラが紹介され、今では埋もれてしまった数々のオペレッタが上演されていた。世紀末のパリに始まったデカダンスの空気が、ウィーンをオペレッタで染め、さらに遠く東洋の浅草で爛熟する。そこに当時の世界の一体感、というか、今の我々が思っているよりはるかに世界が狭かった、という事実も感じるのだけど、その一方で、浅草でのオペラ・オペレッタの受容形態、というのは、歌舞伎や小唄といった伝統芸能との混合や、欧米文化への強烈な憧れからくる熱狂も相まって、ものすごく面白い。

展示室の外にあった、竹久夢二が表紙を描いた「セノオ楽譜」の展示にも二人して釘付け。すでに当時、あの「風の中の 花のように」で始まる女心の歌の堀内敬三翻訳が定着していることに驚く。楽譜の解説の最後に、「この歌は高い声の持ち主が歌うものなので、3音下げた楽譜にして普通の人でも歌えるようにした」なんて書いてあったりするのもチェックポイント。

ガレリア座で全幕上演した、ミレッカーの「乞食学生」も、すでに浅草オペラで紹介されていて、冒頭の合唱に日本語の訳を付けた楽譜が展示されていました。浅草オペラの名曲の数々(「ベアトリ姐ちゃん」「コロッケの歌」「恋はやさし、野辺の花よ」)などを、藤原義江田谷力三の実演で視聴できるコーナーもあって、これも堪能。そこで聞いた、佐々紅華作曲「茶目子の一日」という「オペレッタ風童謡」という不思議な歌がものすごくインパクトがあり、帰宅後You Tubeで、当時製作されたアニメーションと合わせて聞いて、家族3人して刷り込まれてしまいました。娘までが、「夜が明けた、夜が明けた」と歌い続けております。ヘンな家族だ。

6年間なんて短い期間なのに、いまだに語り継がれるのか、なんて思うけど、考えてみると、ピンクレディーとかキャンディーズの全盛期を我々の世代が語るのと同じような感覚なのかも、とも思う。当時のように娯楽の少ない時代なら一層、一度聞いた楽音の印象というのは強烈で、たった6年間という期間よりもよほど強い力で、その時代の人の心に刷り込まれてしまっているんじゃないか、と思います。浅草オペラが解散した後、そこで活躍したエノケン喜劇王になり、その系譜がクレイジーキャッツドリフターズに引き継がれている、と思うと、オペレッタのファン層に、妙に「夢で逢いましょう」世代が多い、というのも納得できたりして。そういう世代に刷り込まれたものや、世代を超えた何かしらの共通項が、強烈なインパクトのあるオペレッタの楽音によって結ばれていく、そんな時代の音、世代を超えた音を感じた展示でした。