大正シック〜せめぎあいの面白さ〜

大正から昭和初期の風俗、というものにすごく興味があるのですけど、ちょうど、結婚記念日で行った白金台の美術館で、おあつらえ向きの展覧会をやっていました。東京都庭園美術館の「大正シック」という展覧会。大正から昭和初期にかけての「日本画」や、当時の着物、様々な風俗を紹介する展覧会。これが日本人のコレクションじゃなくて、ホノルル美術館のコレクションを中心にしている、というところが、また面白い。日本では美術的価値を与えられなかったものが、海外で高く評価されるっていうのは、浮世絵以降の基本的な流れなんですかねぇ。なので、この展覧会も、まさに、「大正モダンガールの里帰り」といった趣です。

圧倒的なのは、なんといっても、中村大三郎の「婦女」。この展覧会のチラシを飾っている絵で、先日の日曜美術館でも紹介されていました。西洋風のソファに横たわる洋風短髪の和服美女。そのなまめかしい姿勢と挑発的な視線に比べて、17歳というモデルの健康的な若さと、和服の持つストイシズムのアンバランスさ。モデルがデビュー直後の入江たか子さんだ、というのにものすごく納得。ほんとにきれいなおバアさんだったもんなぁ。若い頃はまさに、この絵の通りだっただろうなぁ。

面白いなぁ、と思った点はいくつもありました。一つは、江戸から明治にかけて営々と受け継がれていた浮世絵や日本画の伝統技法が、大正モダンガールを描き出すのに使われているギャップ。伝統的な日本画の技法で、カメラを持った和服の美女や、でっかい洋車と和服の美女の組み合わせが描かれる。琵琶の演奏をしているパーマネント髪の和服女性の前に、録音用のマイクロホンが描かれる。そういう、急速に近代化する時代を、どうやって伝統的な技法で切り取るか、というせめぎあい、画家の葛藤のようなものがすごく面白い。

もう一つ面白かったのは、「カフェの女給」という存在について書かれた解説。モダンガール、という存在の一つの典型的なスタイルとして、男性がもてはやしたのが「カフェの女給」。家庭の中から外に飛び出してきた女性が、男性の膝の上に座って酒をおごってもらいながら嬌声を上げる。多くの女給は和服にエプロン姿だったりしたようですけど、なんだかそういう様子って、最近のアキバのメイド・カフェとかを思わせるよねぇ。

社会の近代化と共に、自らの収入源を確保することのできた女性たちが、その存在をどうやって社会の中に定着させていくか、という戦いが始まったばかりの時代。その意味で、「女性を描くこと」はすなわち、「社会を描くこと」だったのだ、という展覧会の解説に、すごく納得。モダンガールを描くことは、この時代そのものを描くこと。そう思いながら見ると、展覧会に出品されている魅力的な作品の多くが、女性画家によるものであることもまた面白い。画面に描かれる女性は、どれも自分らしさを表現しようと戦っているのだけど、その戦いは画家自身の戦いでもある。

江戸のモラルの色濃く残る時代に、急速な近代化がもたらした自由の風。二つの時代がぶつかりあって大きな渦を巻いている時代の混沌。現代みたいに、あまりにも価値観が多様化してしまって、完全にカオス化してしまうと、かえって定常状態というか、一つの安定状態になってしまって面白くない。でも、大正期のように明確な対立軸があって、それがせめぎあっていると、これは実に面白いダイナミズムを生む。そんな大きなうねりの中から生まれてくる芸術作品や風俗にみなぎる緊張感やエネルギー。やっぱり大正・昭和は面白いねぇ。