「その日のまえに」〜死についてきちんと語ること〜

この夏休みに、実家に帰ったとき、母の本棚で見つけて借りてきた重松清さんの「その日のまえに」。重松清さん、という作家は、お名前しか存じ上げなかったのですが、お昼ごはん時にぼちぼちと読み進み、今日のお昼に読了しました。

あんまり書くとネタバレになるので、細かくは書きませんが、全編に共通しているのは、不治の病に冒された人とその周囲の人々の、近づいてくる「その日」に向けて揺れ動く心の有様、というテーマ。人の死をテーマにしているから、どう書いても泣ける物語になっちゃうわけで、そういう意味では、ある意味「あざとさ」のようなものを感じないでもない。でも逆に、本当に真っ直ぐに、素直に、「死別」ということについて描こうとする姿勢、というのは、一種の「挑戦」と受け止められなくもない。そう思えるような、心に沁みるシーンが沢山出てきます。

「死」について語ることって、意外と難しいんだと思うんですね。フィクションとして語られる「死」というのは、容易にお涙ちょうだい物語になってしまうし、そういう場面に触れた時に、読者の側に、かえって白けた気分が漂わなくもない。実際に肉親の死に直面した人間からすれば、「現実はこんなものじゃないよ」という気分だし、直面したことのない人間からすれば、「こんなことホントにあるわけないじゃんよ」という気分だったりする。そういう「危険性」をある意味承知しながら、相当挑戦的な形で、真っ直ぐに「死別」に向かおうとした短編集…という気がしました。

多少、そのあたりの挑戦が技巧的になっているところがないわけじゃない。独立していた短編が関連付けられていく過程とか、ちょっとあざとい感じがしないでもない。でもすごく細かい所で、実際に不治の病で肉親を亡くした身としては、結構胸に来るシーンがありました。ちゃんと裏は取れていないのだけど、重松清さんご自身が、親しい肉親を亡くしたご経験があるのじゃないのかなぁ。もしないとしたら、この作家のあまりにリアルな想像力に脱帽するしかないんだけど。歯ブラシのエピソードとか、残された手紙のエピソードとか、「こんなことホントにあるわけないじゃんよ」と思う人はいるだろうけど、あるんだよねぇ、こういうこと。すごくさりげない、何気ないことが、昨日まで生きていたはずの人の不在を、目の前にいきなり具体的な形として突きつけてくること。あるいは普段見過ごしていたことが、突然重要な意味を持って立ち現われてくること。

先日、私の母が、父の遺した手帳を見ていて、最後の年の8月のページ、お盆の前後に、「初盆の時にはこういう行事をする」という行事の詳細が事細かに書き付けてあるのを見つけた、という話をしてくれました。なんでもメモにつけるのが習慣になっていた父ですから、多分どこかで読んだか、ラジオで聞いたかした初盆の行事を、何も考えずにメモしたものだと思います。でもそれを見ながら、私の母は、「お父さんは、このお盆が自分の初盆になるという予感か、運命みたいなものに導かれてたのかもしれない」と思ったんだって。

他人から見れば、「そんなの単なる偶然でしょう」と思うかもしれません。でも、母がそう思う気持ち、そう思いたい気持ちってのは、同じ親族である私にはすごくよく分かるんです。遺されたものにとって、突然の病で親しい人を失う、という現実を、どこかで、「運命だったんだ」「仕方ないことだったんだ」と思いたいんです。神様の残酷さ、運命の不条理さに怒りながらも、どこかで理由を探そうとする。どんなに突拍子のない「理由」や「裏づけ」であったとしても、遺された人にとってみれば、れっきとした事実であり、「リアル」なんです。

「死別」というのはそういう、極めてプライベートな出来事であり、極めてリアルな出来事。誰にでも等しく訪れる一般的な出来事でありながら、なかなか、抽象化することが難しい、すごく重たい出来事。多くの「死別」を描いた作品のほとんどが、フィクションとしてというよりも、ノン・フィクションとして成立するか、あるいは私小説として成立しているのは、「死別」自体がそういう非常にプライベートな性格を持った経験だからじゃないかな、と思います。「死別」について書かれた文芸作品、ということで、私が真っ先に思い出すのは、寺田寅彦さんの「団栗」。あれも一種の私小説…というか、随筆ですよね。淡々とした筆致の中に、妻をなくした喪失感がものすごく深く深く刻み込まれていて、読み終わった後しばらく呆然とするほどに悲しかった。

その日のまえに」の中の登場人物たちは、「その日」に対してまっすぐにぶつからざるを得ない。「死別」ということは、脇によけるとか、目をつぶって見過ごす、なんてことができるようなイベントじゃない。遺された人の生き方そのもの、生ということに関する見方自体を変革せざるを得ない、ものすごく重たい「リアル」なんです。登場人物の一人が、「死ということについて考え続けることにこそ意味がある」という言葉を口にするシーンがありますけど、実にリアルなセリフとして受け止めました。

確かに、あざとさもないわけじゃないけれど、この本が、青少年向けの課題図書に選定されている、というのはとても正しいことだと思う。きちんと「死」ということに正面きって向き合うこと。それはまさしく、「いかに生きるか」という問いかけとつながってくる。生命というものの意味がどんどん軽くなっている現代だからこそ、若い人たちに、こういう、「死」に対する真っ直ぐな文章を読んでもらうことには、意味があるのかもしれない。そんな気がしました。