スミレの気持ち〜自分にできることは何かを考え続けること〜

「モンマルトルのすみれ」の出演者の興奮はまだ続いていて、ガレリア座のMLでは、出演者の感想メールや、感謝のメールが飛び交っています。本当にたくさんの人たちが、この舞台にかかわり、そして、この舞台から、たくさんのエネルギーをもらったんだなぁ、と思います。そのエネルギーをくれたのは、出演者やスタッフみんなであり、そして何よりも、客席のお客様たちでした。

以前の日記にも書きましたが、今回の舞台ほど、「自分が何ができるだろうか」ということを考えさせてくれた舞台はなかったような気がします。舞台に立つ、ということは、我々素人にとって、とかく、「私にはこれはできない」という主張をする場になりがち。「こんな歌歌えない」「こんなセリフ覚えられない」「こんなステップできない」…舞台上で求められる様々なハードルに対して、「できない」というアウトプットを出すことは簡単ですし、素人は、「所詮我々は素人なんだから、できなくて当たり前じゃん」という言い訳に流れがちなんです。

そこで言い訳しない。舞台という制約された条件下で、自分が何ができるだろうか、ということ、どうすれば、この舞台をよくできるだろうか、ということを考え続ける。できないからしない、という逃避ではなく、できないから誰かが助けてくれるだろう、という依存でもなく、「自分にできること、自分がみんなにしてあげられることは何か」と考え続けること。それも、「私のために」という自己主張のためではなく、純粋に、「舞台のために」「みんなのために」自分ができることを、ひたすらに考えること。

今回、私がもらったのは脇役で、正直言えば、舞台を自分が支配する瞬間というのはほとんどなかったんです。前回の「乞食学生」では、私一人で舞台を支配する局面というのがたくさんあったので、その中で好き放題できたんですが、今回はそれができない。舞台を支配している主役の演技を、ただ見ているしかない。ある意味、すごくストレスが溜まるポジションだったのは、正直、事実。

でも、その中で、自分に出来ることはなんだろう、ということを考えなければいけない、と、随分自分に言い聞かせました。主役の人たちの演技を支え、空気を作り、客席から見て、自分が目立つのではなくて、周りがきちんとお芝居ができるような環境を作るために、自分ができることは何だろう、ということ。なるべくさりげなく、舞台上のあちこちに気を配ること。主役の演技の邪魔にならずに、でも、主役の自然な演技を引き出すために、自分の立ち位置や振る舞いを計算すること。ただ、本番では、やっぱり目立ちたくなってしまって、かなり破綻しちゃいましたけどね。

そう思っていたら、ガレリア座のML上に、今回、タイトルロールの「すみれ」を演じた私の女房が書いていた感想文が、まさに、私のそういう思いを凝縮した文章だったので、女房の許可を得て、ここに転載しておきます。私は女房ほど歌が歌えるわけじゃないので、多少自分が得意な芝居や演技の側面から、自分のできることを考えてきましたけど、女房は女房で、同じようなき持ちで舞台に臨んでいたんだなぁ。こういう気持ちを共有できる相棒と一緒に舞台を作っていけるっていうのは、舞台活動を続けていく上で、ほんとにありがたいことだと思う。

結局のところ、舞台の上では、「自分ができないこと」を積み上げても何一つ生まれない。当たり前のことですよね。一人一人が、「自分のできること」を精一杯、舞台の上や舞台の裏で、一つ一つ積み上げていくことでしか、いい舞台は出来上がっていかないんです。今回の「モンマルトルのすみれ」に、お客様があんなに温かい拍手を下さったのは、参加した人たち一人ひとりの、「自分ができる精一杯のこと」が積みあがった結果じゃないかな、そんな気が今、しています。
 
以下、スミレの気持ち(部分)引用------------------------------

スミレの歌やセリフの中に、幾度となく「あなたたちを助けたいの」という言葉が出てきました。
一見すると、なんとまあ、おこがましいこと…とも思えますが、そうではないんですね。
「助けたい」というのは、決して見下ろしての言葉ではなく、自分ではない誰かのためを思って行動したいということ。
「援助」ではなく、「奉仕」。
「Service & Sacrifice」。
#これは、私の大学のモットーでもありました(^^;)。
 
スミレは、「私が何をしてもらえるか」ではなくて、「あなたたちのために何かしたい」と考える娘でした。
「もう劇場(=歌)には関わらない」と言いつつ、最後に舞台に立って侯爵夫人を演じたのだって、
フロリモンとアンリの成功のためでした。
 
スミレだけではありませんね。
ユーゲント三人組も、スミレのために、三千フランを投げ打った。
ニノンも、ラウルとスミレの幸せのために、舞台に戻った。
ピスも、ユーゲント達のために、燕尾服を貸してくれた。
パリーギだって、スミレのためを思って、スミレを殴った…ん?
…もとい、スミレの才能を育て、スミレに歌う場を与えていた。
 
「モンマルトル〜」と同じ原作を持つオペラ「ラ・ボエーム」でも
主人公ミミの死に際に、仲間達が「俺たちにできることをそれぞれにやろうじゃないか」って言うシーンがありますね。
#で、有名な「外套の歌」になるわけだ。
 
その「あなたたちのため」「仲間のため」っていう感覚って、ボヘミアン達の心の根底に流れてるんだなーと。
 
「自分たちのできることを少しずつ持ち寄ろう」というボヘミアン魂って、まさにガレリアン魂かもなーって、最近少し思うのです。(こじつけ?)
みんながそれぞれ、できることを、精一杯やりきる。
そうして、私たちは満たされる。
 
………
 
私は、本番の舞台はもちろんのこと、
毎回の稽古場で精一杯の「スミレの歌」をお届けすることこそ、
「私が、皆のためにできること」だと思っていました。
皆さんは、私にとって「仲間」であると同時に「毎週のお客様」でもあったのです。
…ははは、何かやっぱり思い上がってるかしら(^^;)。
でもやっぱり、タイトルロールとしての使命もあったのよね。
 
もちろん、自分の歌が、まだまだ未熟であることは重々承知です。所作も演技もダンスも反省だらけです。
 
それでも、
どこまでも妥協しない演出家と指揮者、
汗を流して必死に踊り歌う合唱陣、
沢山の道具や衣装や日程表に埋もれてるスタッフ、
いつでも根気よく付き合ってくれるピアニスト、
どんなふうに歌ってもスス〜っと寄り添ってくる弦、
超絶な装飾を弾きこなしている木管
じつに繊細な気配りをしてくれる金管
ファンタスティックな特殊楽器さまざま、
とにかく盛り上げてくれる打楽器(笑)、
そして、悩み苦しみつつも常に前向きに、
明るく楽しく頑張り続けたキャスト陣、
 
そんなふうに、皆から受取る膨大なエネルギーを
私も「歌」できちんとお返ししたいと、切実に思いました。
スミレの歌も、皆にエネルギーを運んでくれますように。
その歌を受取った皆が、「よし、この公演いけるぞ!」と
元気百倍で次の稽古に臨めますように。
 
そんな思いで歌い続けました。
 
 
とはいえ、その気概が空回りすることもありました。
もしかしたら、皆さんに上手く届かないかもしれない。
私の単なる思い込みかもしれない。
そんな不安を抱えながら、
楽譜と対峙し続け、自分の技量を磨く地道な作業は、毎度のことながら、本当にしんどかった。
 
でも、そうして「誰かのために歌い続けた」ことが、「スミレ」を演じきる力を産み出してくれたと思います。
 
………
 
何もかも、皆がいてくれたおかげです。
心から、そう思います。
素敵な仲間に囲まれて、スミレとして存在できた日々。
そして、その空気と熱を、確実にお客様に届けられたこと。
 
またひとつ、忘れがたい公演ができました。
本当に本当に、
本当にありがとうございました。
 
 
これからも、私は歌い続けていきます。
まさに、「Ich sing mein Lied im Regen und Schnee」
『雨の日も雪の日も、私は歌う』
…私の大切なレパートリーとなった「すみれ・2番」の原題です。
 
これからも、どうぞ、よろしくお願いします。

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