「ボイス」〜良質なホラー映画〜

ホラー映画、というのは映画のジャンルの中で一つの大きな柱だと思います。でも、かなり危ういジャンルでもある。いいホラー映画、良質のホラー映画っていうものには、なかなか出会えないものです。

なんでかなぁ、と考えてみると、いろいろな要因がある。まず出発点で、「ホラー映画」というのは、文芸作品なんかと比べるとキワモノっぽい扱いを受けやすい。製作する側のモチベーションがまず下がっちゃう。さらに、恐怖という感情を観客から引き出さないといけない、という使命感みたいなものが、作品の本質を見失わせてしまいがち。ひたすらショックシーンを重ねることで、なんとか観客の恐怖をあおろうとするのだけど、そのあげくに何が描きたいのか分からなくなっちゃう映画がなんと多いことか。

良質のホラー映画には、謎解きの要素が必ず含まれているように思います。かつて、夢野久作さんが、「全ての小説は推理小説である」とぶちあげた、という話を聞いたことがありますけど、ホラー映画にも必ずそういう要素がある。その謎解きの部分の重たさこそが、ホラー映画の質を決めているんじゃないか、という気がします。

そんな大上段な「テーマ」性なんてのをぶっとばして、ひたすらにショックシーンを描くホラー映画、というのも確かにあって、それはそれで成り立っていると思うのだけど、私はあんまり認めたくない。ショックシーンを描きたい、というパッションだけで成り立っている映画って、映画じゃないだろう。血しぶきだの内臓だのが飛び散るシーンが見たいのなら、「プライベートライアン」の戦闘シーンが一番リアルだぞ。スピルバーグは悪趣味だから、思いっきり本気でやってるぞ。リアリティじゃなくて、作り物だからいいんだ、という人もいますけどね。それって、恐怖という感情をコントロールする映画として定義される「ホラー映画」のジャンルとは違う世界だと思う。いわゆる「スプラッタ映画」と「ホラー映画」というのは違う。「スプラッタ映画」にも傑作はあるんですけどね。

前置きが長くてすみません。韓国映画の「ボイス」、先日WowWowで放送されたのを録画していたのを、土曜日の朝にやっと見たんです。評判になっていたのは知っていたのですが、非常に良質のホラー映画だ、と思いました。怪奇現象のショックシーンと、謎解きの展開の緊張感、さらに、解かれた謎の重さ、全体のバランスがとてもいい。

和製ホラーが世界的に評判を取っている、という話がありますけど、個人的にはあんまり好きじゃない。黒沢清さんは、「CURE」「降霊」とかを見てるけど、エンターテイメントとしてのホラー映画と、自分の中の描きたいテーマの薄っぺらさのバランスがイマイチ取れていない気がする。テーマが薄っぺらいから、解決部分を無茶苦茶難解にして誤魔化したり、「スウィートホーム」みたいにハリウッド風のメデタシメデタシになっちゃったり、どうもバランスが悪い。映像感覚とかはすごく好きなんだけど。そういうアンバランス感って、「ドレミファ娘」の頃からあるよなぁ。

そういう意味では、「ボイス」のバランスはとても好き。色んなところに、「リング」とか、「呪怨」などの和製ホラー映画の場面を思わせるような箇所がありましたけど、そういうものをきっちり消化した上で、モンスーン気候らしいじっとりした情念の世界をうまく描いている気がしました。

このあたり、フィルムの発色や、照明技術の問題もある気がする。ハリウッド映画は、どこまでも明るいし、闇を描くときでも、ぼんやりした闇ではない。光と影のコントラストが際立っている。日本映画や、「ボイス」を見ると、光と影がぼんやりと溶け合う中間の部分に現れるものに対する感覚が違う気がするんです。

呪怨」や「リング」が、ハリウッドでリメイクされて、全然怖くない、というのは、そのあたりのコントラストへの感覚にあるのかもしれない。光と闇の溶け合う部分にぼんやりと立ち現れる姿。そういうものを描くのが、日本映画や韓国映画の得意分野だとすれば、ホラー映画というのはその有力なコンテンツだと思います。まだまだ良質なホラー映画が、日本や韓国からは産まれてくると思います。とはいえ、娘や女房と一緒には見られないから、深夜だの早朝に一人でごそごそ起き出して見るしかないんだが。寂しい。