シグマフォースシリーズ「マギの聖骨」「ナチの亡霊」〜ナチも大忙しだねぇ〜

なんとなく立ち寄った書店で、手に取った「ナチの亡霊」が結構面白かったので、シリーズ第一巻の「マギの聖骨」も一気に読んでしまいました、ジェームズ・ロリンズ作、「シグマフォースシリーズ」。本の帯にも、「ダ・ヴィンチ・コード」×インディー・ジョーンズの面白さ、と書かれていたけど、量子力学やm状態、マイスナー磁場などの最新科学も取り込んで実に盛りだくさん。でも、ナチスドイツの描き方とか、キリスト教の歴史の扱い方とか、すごくインディー・ジョーンズっぽいなぁ、と思ったら、ロリンズさんってインディー・ジョーンズの「クリスタルスカルの王国」のノベライズも担当した方なんですね。共鳴する部分があるんだろうなぁ。というか、考えてみれば、インディー・ジョーンズって、「ダ・ヴィンチ・コード」の先駆けみたいな部分もあったよね。ローマのカタコンベでの冒険とか、色んな古文書の謎解きとか。やっぱりジョージ・ルーカスってただものじゃないんだなぁ。

そのインディー・ジョーンズの最大の宿敵だったナチス・ドイツ、このシグマフォースシリーズでも敵の後ろに常に影のように存在している。最近の映画では月まで逃げて帝国を作ってまた地球征服にやってくるらしいっすね。いまだに大活躍なんだけど、それだけ欧米人にとって、ナチズムという存在は大きなものなんだろうなと思う。怪獣とか宇宙人のような外からやってくる異質な敵、ということではなくて、自分たち自身がそれを生み出した、自分たちの心の中の闇を覗くような恐怖感があるのかもしれない。

ナチスというのは政治活動ではなくて、カルト集団だったのだ、という言葉があって、非常に納得。我々日本人にあてはめれば、オウム真理教が国民に熱狂的に受け入れられた状態を想像するのが一番近いんだ、と思う。オウム真理教にしても、意外なくらいに身近な人や普通の市民が巻き込まれていく感覚があって、自分自身もそういうカルトなものに知らず知らず染まっていくかもしれない、という恐怖感がある。オウム事件の時以来普通に使われるようになった「洗脳」という言葉は、自分の中にある邪悪なものがいつの間にか思考を支配しているかもしれない恐怖感と裏表だった気がする。ナチスオウム真理教の間に共通しているのがオカルトへの傾倒なんだけど、オカルト嗜好っていうのは誰の日常生活の中にもふつうに存在しているものですからね。オカルトにせよ選民思想にせよ、普通の人の心の中に普通に存在しているものが肥大化していくことって、やっぱり怖い。つい先日までニコニコと仲の良い隣人だったはずの人々が、突然集団になって「日本人を殺せ」と襲いかかってくる恐怖に通じる。日常の底に隠れていたものが、集団意識や政府の扇動によって解放された途端に、巨大な悪意や敵意になって噴出してくる怖さ。

シグマフォースシリーズにおいてナチスは悪役の一つにすぎなくて、ナチスの恐怖をひたすら煽ることもなく、ただただ楽しい娯楽小説です。個人的には「ダ・ヴィンチ・コード」よりも面白かった。「ダ・ヴィンチ・コード」は、キリストの生涯を組換えるという挑戦が中心主題で、それをめぐる数々の謎解きが大きな主題だったけど、シグマフォースシリーズはアクションの占める割合が大きくて、常に絶対絶命のところまで追いつめられる主人公たちがその危機をどう乗り切っていくか、という興味でぐいぐい読ませてしまう。歴史学や科学知識も大きなウェイトを占めているのだけど、それらの道具立てとアクションのバランスがいい。昔、ワシントンDCの映画館で、「ミッション・インポッシブル2」を見た時に、観客の一人が何度も、「Dying!Dying!」(死んじまうよ!死んじまうよ!)と叫んでいたのを思い出しました。非常にハリウッド映画的な小説で、文句なしに楽しめる。それぞれの家庭の事情や組織のしがらみに縛られて悩む主人公たちの人間臭さも素敵。このシリーズ、まだ続編が書かれているようなので、新刊が出たら読んでみたいなぁ、と思います。