Crankybox十周年記念公演 第九回本公演「なんとかbox」~めざせ純烈~

最近、女房が関わっている舞台の中で、とにかく客席がすごく盛り上がるのが、シャンソン・フランセーズと、浅草オペラ。どちらにも共通しているのが、クラシックの歌い手が、クラシックナンバーだけではなくて、シャンソン昭和歌謡も交えた様々な歌曲を歌う舞台であること。そして両方に共通しているのが、そういったヴァラエティに富んだ歌曲たちを、破綻なく一つの舞台にまとめあげる構成力の素晴らしさ。聴衆は歌い手の歌唱技術だけではなくて、全く異なる楽曲が並んで演奏されることで生まれる相互作用や、巧みなMCや間奏曲によって結び付けられる関係性や、歌い手自身のキャラクターとの間の化学反応も楽しむことができる。さらにそこに、自分の耳になじんだ楽曲の歴史や記憶が生み出す多次元な意味が付け加わると、その舞台は聴衆一人一人にとって本当に特別な体験になる。

そういう多重的な意味空間を作り出すには、何より、楽曲の間の新たな関係性を生み出す構成のセンスと、それをやりきる歌い手の舞台センスが大事。ヘンに、「この楽曲とこの楽曲をこう並べたのにはこういう意図があって」みたいなアピールをだらだら並べて白けてしまったり、パフォーマンスに妙な力みやテレが加わった素人っぽい一瞬で、一気に空気が冷え込んでしまう舞台、なんてのは沢山ある。さて、前置きはこれくらい。今日は、17日にせんがわ劇場で開催された、Crankybox十周年記念公演「なんとかbox」の感想文だ。

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Crankyboxのマスコットキャラクター、くらんきうさぎ。ピアニストの桑原遥さんのオリジナルイラスト。まじカワイイ。

先日のシャンソン・フランセーズで女房が共演させていただいた植木稚花さんのキュートさと美声にやられたあと、女房から、「稚花ちゃんが参加しているCrankyboxは、本当にセンスがよくってとっても楽しいよ」と言われていて、一度伺ってみたかったんです。今回、週末の時間も合い、会場も、我が家の近所のせんがわ劇場、ということで、やっと伺うことができました。聴衆を上手に巻き込んでいく舞台の構成の妙と、4人のキャラの立った美女たちが本気で繰り出すギャグの数々。それが本当に心地よくて、笑いと音楽の癒し入浴剤がたっぷり入った適温のお湯にゆったり漬かった気分になりました。

前半、Crankyboxのboxにかけた、「ハコヤリゾート」という温泉旅館を舞台にした音楽コント(コント、と言い切ってしまうけど)の楽しいこと。なんか、クラシック音楽をネタにした品のいいスネークマンショウ、っていう感じ。揃いのオリジナル法被から、湯もみ板、座敷わらしまで、本気で作りこんでいる中で、演奏される音楽ががっつりプロ品質で、合間のコントのクオリティの高さも相まって、とにかく舞台に妥協がない。

そういう作り手の本気度、というか、自分たちはこういうものを作りたいんです、という妥協しない姿勢、というのが結構如実に見えるのって、裏方の頑張り度合いだったりするんです。今回の舞台で、一つ、すごいなぁ、と思ったのが、照明の作りこみだったんですね。プロの照明プランナーが作りこんだのか、劇場の照明スタッフがすごく頑張ってくれたのか、よく分からないんですが、温泉の湯気を表現したスモークから、温泉マークのネタ、後半、どの曲が演奏されるか分からない状態の中で、曲にあったホリゾントライトを出してきた臨機応変な対応、そしてミラーボールと、照明が本当にいい仕事をしていて、Crankyboxさんはせんがわ劇場にすごく愛されてるなぁ、と思った。劇場のスタッフさんって、本気の演者に優しいんですよね。

後半、お客様がレパートリーの中から希望曲を選んでステージをつくっていくジュークボックス(おお、このboxもcrankyboxにかけてあるのか。今気づいた!)式の舞台も、アドリブのMCが楽しくて全然飽きさせない。選曲のセンスの良さも本当に素敵。そして何より、歌い手の鈴木沙久良さんと植木稚花さんっていうのは、地声が綺麗なんです。だからMCの声を聴いていて心地よいし、特に後半、オンマイクでJPoPとか歌うと、本当に素敵に聞こえる。もちろん、お二人ともクラシック歌手なので、あまりオンマイクの歌唱に頼ってしまうのも善し悪しなんだろうな、とは思うんですけどね。

こういうセンスのいい本気の舞台をしっかり作り上げているから、10年間続いたんだと思うし、せんがわ劇場を満席にできるだけのリピーターも増えてくるんだと思うんです。私が座った席の後ろに座った男性二人が、「前回の舞台は見逃したんですがね、第x回からずっと見てるんです」「私は第y回は見逃したなぁ」なんて会話されていて、おお、沼にハマっている人がいる、と思う。お隣の席の上品なおばさま方が、開演前に、「あら、異邦人って、歌ってもらえるのかしら、いい曲よねぇ」なんて会話をされていたら、後半でリクエスト権を得て、嬉しそうに「異邦人」をリクエストされていました。それをまた、いいアレンジと美声で演奏されるから、おばさま方は本当に嬉しかったと思います。そういう特別な時間をくれる舞台って、そんなに沢山あるものじゃない。

コントも歌も本気でしっかり作って、お客様の求めるものをしっかり届ける、そういう姿勢を貫いていけば、次の十年もサポーターは増えていくと思います。Crankyboxの皆さん、本当に癒されました。ありがとうございました。稚花さん、お疲れさまでした。銭湯アイドルの純烈も紅白に出るんだから、Crankyboxも、行けるぜ紅白。

BABYMETAL World Tour 神戸参戦記

BABYMETALのWorld Tour、神戸の二日間公演に参戦してきました。家族にはアホと言われ、女房の大事な舞台も見ずに、朝も早くから新幹線で神戸入り。物販に並び、しんしんと冷えてくる夕刻のポートピアホテル広場で震えながら、モッシュピットで熱くなり、二日目は三宮の駅近辺で映画を見たりして時間をつぶし、再びモッシュピットで燃え上がり、帰りは深夜バス。三宮駅近辺では多数のメイトさんが分かりやすいベビメタTシャツでうろうろしており、同じホテルにもメイトの方々が宿泊していて、エレベーターの中で、「明日も頑張りましょう」なんて声をかけあったり、深夜バスの待合室にもベビメタパーカーなど多数。馬鹿ですね。はい。

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新幹線車内で食べる朝ご飯を、品川駅構内のコンビニで買ったら、合計金額が444円。これを見ただけで泣けてくるところがもう重症。もうBLACKMETALの「4の歌」は聞けないんだなぁ。物販の列でも、広場でも、やっぱり話題はYUIMETALの脱退と、今後の展開。古参のメイトさんが、「もし誰か新しいメンバーが参加するとしても、やっぱり由結ちゃんの場所は空けておいてほしいなぁ」とおっしゃっていて、みんな同じ思いだなぁ、と思った。

コンサート自体はとにかく無茶苦茶盛り上がって、前半のSABATONのパフォーマンスから、会場の温度がどんどん上がってくる。このSABATONが、ただでさえ男臭いメタルの世界の中でも、歴史に残る世界の戦いと、それに命を賭けた男たちの物語を歌いあげるWAR METALと言われるむっちゃ男性的なメタルなんだね。題材には、第二次大戦からローマ時代の戦争、彼らの出身地であるスウェーデンの戦争から、西南戦争の最後の戦いである城山の戦いまで出てくる。金属的な高音をカンカン響かせるメタルヴォーカルが多い中で、SABATONのヴォーカルのヨアキム・ブローデンさんは、バリトン系の男臭いヴォーカルで、メタルなのに多分私でも十分歌える音域。その男性的なMETALが、後半のBABYMETALとの対比になっていて、そういう意図なんだなぁ、と思った。

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BABYMETALのパフォーマンスについては、多分色んな人が色んなレポートをしていると思うけど、World Tourのプロセスで次第に構築されてきたCHOZON SEVENの全容ががっつり完成した達成感があった。あえて個性を殺したようなメイクのマッスル・シスターズのパフォーマンスにも、紅月のガチバトルパフォーマンスや、キレッキレのソロダンスなど、しっかり見せ場が用意されていたし、フォーメーションも、これがMIKIKO先生がやりたかったことか、というのがとても明確になった気がした。それが頂点に達したのが、新曲STARLIGHT。会場の天井をさらに突き抜けて天空を突き通していくようなSUMETALの高音。そして光とダンサーたちが作り上げるファンタジックな舞台。ものすごい高揚感。

どうも私の耳が悪いのか、1日目はバックの音響のピッチが合わない感覚があって、これは去年の巨大キツネ祭りの1日目にも感じた違和感だったのだけど、そんな中でも、SUMETALのピッチが全く揺るがない。イアモニを使っているとはいえ、自分自身の声と音程に対する鉄壁の自信。2日目にはバックとの違和感も消えて、純粋にSUMETALの声の貫通力を楽しむことができました。このSUMETALの声を浴びることができただけで、このツアーに参戦してよかった。

今後の展開、という点で言えば、SUMETALの絶対的な声を柱としたファンタジー世界を作り上げていく中で、CHOZEN SEVENというのはやはり一つのプロセスに過ぎない、とも思いました。CHOZEN SEVENの中では、やはりMOAMETALの存在感が薄れてしまう、というのもそうだし、YUIMETALとMOAMETALのBLACKMETALの楽曲と、SUMETALのソロ曲を交えることによって、三人の負荷を分散させていたコンサートの構成が保てない、という問題も感じた。実際、今回はSUMETETALメインボーカルの曲がノンストップでガンガン連続して、すぅさん大丈夫か、と心配になる。もちろん、そんな心配を吹き飛ばすパワーだったんだけど、二日目のラストのTHE ONEで少しすぅさんの声がかすれる瞬間があって、やっぱりかなり無理しているのかも、と思ってしまいました。そもそも、SABATONとBABYMETALのダブルキャスト、という構成自体、この体制ではワンマンライブは厳しい、という運営側の判断だったのかも、と思ったりします。

両日のラストに歌われたTHE ONE、二日目のすぅさんの歌唱を聞いていて、突然、「You are the one, forever, you are only one」という歌詞が、逝ってしまった藤岡幹大さんやYUIMETALへの歌いかけに聞こえてしまって、なんだか涙が止まらなくなる。このあと、BABYMETALがどんな挑戦をしていくのか、そこにどんなピースが加わっていくのか、それが楽しみではあるけれど、LEGEND Sから始まったBABYMETALの新章が、間違いなくかつてのBABYMETALを葬ったんだな、という感慨もありました。中元すず香さんと菊池最愛さんが、今後どんな道を切り拓いていくのか、これからもずっと見守っていきたいと思いながら、やっぱりオレにとってのBABYMETALは、三姫だったなぁ、と、なんだか胸アツで深夜バスに揺られる53歳であった。ゆいちゃん、本当にありがとう。

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会場の隣にある神戸ポートピアホテルの窓に、一日目はYUIの文字があって、みんなで写真を撮ってました。分かりにくいけど、この写真の下の方にあります。二日目にはこの窓には、ONEの文字がありました。この部屋に泊まったメイトさん、みんなも同じ気持ちだよ。

シャンソン・フランセーズ 7 ”La Vie ~人生~” ~やっぱり続けないと~

BABYMETALのYUIMETAL脱退のショックがまだ抜けてないんですが、身近な友人の中で、この手の話にシンパシー持ってくれる人が二人いるんです。一人はガレリア座で、先日の「小鳥売り」でスタニスラウスをやったS藤さんで、彼はハロプロの沼にはまっている。先日彼と、YUIMETALが脱退した喪失感について、「やっぱり推しが脱退するのは沁みますよねぇ」「でも、沼はハマったらとことんハマった方が楽しいですよねぇ」なんて話でしみじみしてしまった。

で、もう一人が、シャンソン・フランセーズの仕掛け人、ピアニストの田中知子さん。知子さんは私のBABYMETALやらさくら学院なんかよりはるかにキャリアの長いモノノフ(ももクロのファン)で、今年の1月に有安杏果さんが卒業宣言した時にかなり落ち込んでらっしゃって、ああ、YUIMETALが卒業したらオレもこんな感情ミルフィーユ状態になるんだろうなぁ、と、あの頃から予感はあったなぁ。

でもね、BABYMETALも新体制宣言したしさ。ももクロは、百田さんが、「スマップとかTOKIOとかの男性アイドルさんみたいに、40代になっても50代になってもアイドルとして頑張ってる女性アイドルの先駆けになりたい」みたいなことを言っていて、やっぱり続けることって大事だと思うんですよ。安室さんだって、あのクオリティでここまで続けたことで生まれるオーラとか、発信力とかあるわけだし、松田聖子という怪物もいる。続けていくこと、守り続けていくことで、生まれてくるパワーとか感動とかって、あると思う。

それって多分、グループとしての成長、だったり、企画としての変遷、という、時間とか歴史が生み出す、多層的な意味空間だと思うんだね。同じ楽曲でも、あの人とこの人が歌うことで違う意味が生まれたり、新しくこの人があの歌を歌うのか、という感慨とか、新しい発見があったり。これまでここにハマっていたピースが、別のピースに入れ替わった時に生まれる化学変化とかさ。というわけで、今日のテーマに戻ってくるぞ。アイドル論じゃないぞ。先日、10月24日に渋谷の伝承ホールで開催されたシャンソン・フランセーズの感想だ。

モノノフの田中知子さんの仕掛けるシャンソン・フランセーズも、今回が七回目。うちの女房が出ている、ということで、過去の公演を何回か拝見しているんだけど、今回は、かなり新しいメンバーが加わって、それが、結構多層的な意味空間を生み出していた気がする。私が見てきたシャンソン・フランセーズの一貫したテーマ、というのが、時間、ということで、時間の流れに枯れ葉のように弄ばれる人の人生の儚さや、そんな流れに抗いながら大切なものを頑なに守ろうとする人の意地。それが、今回、新しいメンバーの参加で、別の意味でふわっと浮かび上がってきたような気がした。

象徴的だな、と思うのが、三橋千鶴・大津佐知子・植木稚花、という3人の歌い手の扱いで、シャンソン・フランセーズの重鎮、ともいえる三橋さんが、今回はトリを歌っていない。むしろ全体の物語の語り部という立ち位置で、確かな歌唱と存在感で全体の柱になっている。そこに、植木稚花、という若々しい歌い手が、その三橋さん演じる老いた歌い手の若い頃、という立ち位置で現れる。その対比の中に、大津佐知子がトリの「私の神様」を歌う、という構成が、すごく面白かった。歌い手としてまだ発展途上で、ギリギリの表現の限界を見極めようとするような大津の歌唱自体が、シャンソン・フランセーズ、というシリーズ自体が、化学実験のように、まだまだ様々な個性や可能性を実験しつつ成長していこうとしていることを象徴しているような。その成長の原点には植木さんの溌剌とした若さがあり、その成長の頂点には三橋さんの円熟の芸がある。そして、その道の過程の一つとして、大津の挑戦する表現がある。大津自身が、最初にシャンソン・フランセーズに参加した時に、ちょっと色物の「キャラメル・ムー」から飛び込んで、「私の神様」を歌うまでになった成長物語と、その「キャラメル・ムー」の時に大津が着た同じ衣装を着て、今回初参加となった植木稚花の今後の成長物語とか、なんかアイドルの成長物語っぽくないかい?

もう一つ、新たな血を感じさせたのが、バイオリンの西田史朗さん。とにかく自在。浅草オペラで山田武彦先生の自由さに触れた時にも思ったけど、自由な人が自由な人と出会った時の化学変化って、本当にすごいね。山田武彦さんと浅草オペラ、西田史朗さんと田中知子さん。こういう幸福な出会いの場に居合わせる興奮っていうのも、長く続いたシリーズの醍醐味かもしれない。えびさわなおきさんのアコーディオンもかっこよかったけど、西田さんのバイオリンもむっちゃいいなぁ、みたいな。

そういう中で、シャンソン・フランセーズのぶれない軸、というか、決して変わらない基盤、みたいな部分を、常連の和田ひできさんや、三橋さん、中島佳代子さんなんかが支えている気がしたんだよね。今回、伝承ホールの上手側の桟敷席、という、客席と舞台を横から眺めることができる席に座ったんですけど、この席は、正面を向くと、自分の右耳から舞台の声が聞こえて、左耳から、ホールに響いて戻ってくる声が聞こえる。そういう意味で、会場自体を圧倒的に鳴らすことができる、和田さん、三橋さん、中島さんの安定感には感動しました。会場から戻ってくる音の豊かさが素晴らしい。ホール全体がガンガン鳴る、といえば、関定子さんがとにかくすごかったけど、今回はちょっとゲスト歌手感が強かったかな。久利生悦子さんが歌った「思い出のサントロペ」は、以前大津が歌ったコール・ポーターの「ミス・オーティスの嘆き」にシチュエーションが似ている、ということで、一度ちゃんと聞きたかったんだけど、ゴージャス感の半端ない久利生さんの歌唱で聴けてよかった。

田中さんは、「もうネタ切れ」と言い続けているみたいなんですけど、いいと思うんですよ、同じネタ繰り返していても。同じネタをやったとしても、それは決して以前のままではない。歌い手が変わり、伴奏者も変わり、同じ歌い手でも声の表現が変わり、同じ表現は二度とない。聴衆はその変化の中に、時間の残酷さと、時間の豊饒さを感じ取るんです。だから、続けることには意味がある。知子さん、本当にお疲れさまでした。シャンソン・フランセーズ、知子さんのライフワークとして、ずっと続けてください。老人ホーム舞台にした黄昏のシャンソン・フランセーズ、みたいなネタでもいいから。

YUIMETALがBABYMETALをアイドルにしていたんだよ

YUIMETALが水野由結さんに戻る、と言う報道が出て、一夜明けました。昨夜、この日記にこのニュースについて書こうかな、と思ったんだけど、全然頭の整理がつかなくて何も書けなくなっちゃった。一夜明けて、ちょっと整理できてきた気もするので、書いてみますけど、まだぐちゃぐちゃな部分もあると思う。でも何かしら書いてみます。東京ドーム公演あたりから現場に行きだした私ですらそうなんだから、8年間追いかけてきたメイトの人たちは本当に悲しいだろうなぁ。

YUIMETALが、「カワイイメタル」「アイドルとメタルの融合」といわれるBABYMETALの、「カワイイ」「アイドル」の部分を受け持つ柱になっていた、というのは、多分誰もが認めることだと思う。SUMETALのパワフルなボーカルと美しさ、最近とみにダンスにパワーが増し、かつ美貌に磨きがかかってきたMOAMETALの二人が、アイドルからMETAL QUEENへ変貌していくのに比べて、YUIMETALのダンスは、パワーではなくむしろ、最小限の動きで最大限の表現をするキレ味の鋭さと、一つ一つの動きが無駄なくつながっていく流れのよさが持ち味だった。さらにその少女らしさの抜けない可憐な顔立ちと、3人の中でも際立っているボケっぷりで、YMY(ゆいちゃんまじゆいちゃん)、という、実にアイドルっぽいニックネームがつくくらいに、YUIMETALはBABYMETALの「カワイイ要素」の象徴だったと思う。

もう一つ、YUIMETALをアイドルとしてのカリスマにしていた要素が、彼女自身が持っている「物語」の力。多分どんなアイドルでも、下積みの苦労だったり、メンバー同士の絆だったり、大きな苦難を乗り越える力だったり、そういう何かしら奇跡のような感動の物語を持っているもので、アイドルを応援する人たちはみんな、そんな物語にのめりこんでしまう。BABYMETAL自体が、ソニスフィアの奇跡、と呼ばれる伝説の舞台を経て世界のメタルバンドに成長していく物語の中で、常に語られるのが、武道館で巨大なセットから落下したYUIMETALの挿話。終盤の「ヘドバンギャー!」のパフォーマンスの途中で、YUIMETALが、セットの隙間から、数メートル下に落下。残る二人でパフォーマンスをやりきり、続く「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で、笑顔でステージ上に戻ってきたYUIMETALが全力のパフォーマンスで会場を圧倒したエピソード。BABYMETALという物語の中で、YUIMETALという人は、何かしらの苦難を自分の努力とその真面目さで乗り越える、という役回りを与えられた人だった。

そういう意味でも、YUIMETALという人は、BABYMETALの中の「アイドル」のコアになっていたんだと思う。SUMETALのお姉さんで、元乃木坂だった中元日芽香さんが、卒業にあたって、「アイドルとは」という持論を語っていて、引用すると、

 

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アイドルの一番のウリは
素のキャラクターと
仕事への"姿勢"なんだと思います。
 
シンガーには敵わないし
ダンサーには敵わないし
芸人には敵わない。
 
パフォーマンスが完全でない分
いかに目の前のことに真摯に取り組むかが求められている職業

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と言っていて、YUIMETALは、優れたダンスパフォーマンス能力を持ちながら、さらに「目の前のことに真摯に取り組む」姿勢を崩さない、真っ直ぐで真面目な努力家で、日芽香さんのいう、アイドルとしての仕事の姿勢を持った人だった。

YUIMETALが水野由結さんに戻った後、どんな人生を歩もうとするのか、それは彼女自身が決めることなんだけど、別にまた無理して芸能活動に戻ってこなくても全然いいと思う。自分の選んだ道が正しい道。いっぱい寄り道をすればいい。日芽香さんは、メンタルを患った自分の経験をもとにして、心理カウンセラーとして活動されているらしいけど、弱い人に寄り添う日芽香さんらしい、本当に素敵な選択だと思うし、さくら学院の先輩には、日本一ファンの多い茨城の看護師さんもいる。さくら学院の担任の森ハヤシさんが、最近のトークイベントで、「さくら学院の父兄さん(ファン)は、誰もさくら学院の生徒が有名になってほしい、なんて思ってなくて、生徒が幸せになってほしい、と思っているんです」と言っていて、水野さんのファンも、みんなそう思っていると思います。水野さんが、さくら学院のイベントにOGとして遊びに来てくれて、楽屋でみんなと一緒に笑顔で映っている写真を、1年に1回見られたら、もうそれ以上の幸せはないんです。水野さん、YUIMETALとしての8年間、本当にお疲れ様。最高の時間をありがとう。これからあなたが歩む道が幸せでありますように。

インフラ投資を軽視しちゃだめだよ

世の中ではCS、とかいうイベントをやってるらしいけど、なんのスポーツの話ですかね。まぁよく知らないけど、どこかの関西球団が、またぞろストーブリーグをにぎわせているようで、本当にいい加減にせいよ、と思いますが、今日はそういう愚痴を書きたいわけじゃなく、もっとまじめな話を書きます。まじめな話。

就職協定を廃止する、というニュースがあって、それはそれで一つの方向性かな、と思うのだけど、その報道の中で、どこかの会社の経営者が、「入社後時間をかけて社員を育成するより、即戦力が欲しい」というコメントを出していて、そういうことを言ってる会社はダメだな、と思ってしまう。経営の合理性=経済合理性だけを追求すれば、優秀な社員に育つかどうか分からない新人教育にコストをかけるのはいかにも無駄、と思うかもしれないけどさ。じゃあ逆に聞くけど、その「即戦力」っていう人ってのは、誰がどこで教育してくれるんですかね?

お前のそういう考え方が古いんだよ、と言われるかもしれないけどね、この経営者のコメントを聞くと、人材教育、という企業のインフラ整備に当たる部分を他の人に押し付けて、その人が育ててくれた人材をかっさらおう、と言ってるようにしか聞こえないんです。もし本当に企業が人材教育を放棄して、即戦力ばっかり欲しがるとしたら、本気で人材教育に力を入れている企業は馬鹿を見ることになる。育てても育てても他の企業に人材をかっさわれるなら、教育自体無駄、と思う企業がどんどん増えてくる。そうして全ての企業が、人材教育を放棄して即戦力ばっかり欲しがったら、誰が新卒の学生を現場で鍛えてくれるんですかね。それは大学の役割だ、なんていう企業もいるかもしれんけど、大学の机上で学ぶ疑似体験が、現場で役に立たないなんてのは企業人の常識でしょうに。戦力になる社会人を育てられるのは、企業の現場しかないんだよ。

同じような議論が、私が属している通信業界で盛り上がった時期があって、いわゆる「ユニバーサルサービス」という議論です。日本全国津々浦々に通信網を張り巡らせて、その通信インフラを維持していくのは誰の責任なのか、という議論。当時のNTTが、かつての電話加入権資産によって構築した通信インフラを拡大維持していくには相当のコストがかかる。でも誰もそんなインフラの維持コストを負担したくない。人の作ったインフラをその都度借りて、最低限の設備投資で通信サービスを提供したい、と思う。

通信の世界では、そういうインフラ維持費用を、「ユニバーサルサービス費用」ということでみんなで負担しあいましょう、ということで議論は決着したのだけど、人材教育、というのも同じだと思うんだよね。誰かが、「この技術を支える人材を育てて、技術を継承するのがわが社の使命だ」と思って必死に頑張っているのに、そうやって育てた人材を「即戦力」の名のもとに高給エサにかっさらっていくのであれば、それは美味しいところどりの「クリームスキミング」のそしりをまぬかれない。そしてそういう会社が、自分だけが負担している技術維持コストに耐えられなくなってつぶれてしまったり、その技術を放棄してしまうと、困るのは産業界全体だったりするんです。

最近話題になりましたが、資生堂が、歌舞伎専用の化粧品の製造を中止する、というニュースがあった。経済合理性だけを追求すれば、その技術や伝統を維持するコストを一私企業が負担する、というのは非合理なこと。撤退する、というのは企業の経営判断としては非常に正しいのだけど、それでいいのか、と思うよね。同じように思った方々の声のおかげで、資生堂は、化粧品の製造を続ける、と方針転換したようだけど、もしそうなら、この資生堂の事業を何らかの形で支援してあげる仕組みを作ってあげないといけないと思う。少し前に大騒ぎになった同じようなニュースで、古美術の修繕に不可欠な和膠(にかわ)の製造会社が店を閉めて、もう古美術の修繕ができないかも、みたいな話がありましたよね。社会的使命感で、なんとか産業のインフラ技術を維持しようと頑張っているけど、もう無理、と悲鳴を上げている会社は沢山あるんじゃないか、と思う。そういう社会インフラをしっかり支援維持する仕組みとか、社会的使命感の共有、というのが必要な気がします。資本主義、という経済合理性だけで動く社会の仕組みの中では、軽視されがちなインフラ整備を、社会全体で何とか維持していかないといけないんじゃないのかな、と。人材教育っていうのも、社会のインフラを整備するのと同じくらい、日本企業全体で取りくまなきゃいけない大事な使命だと思うんだよ。人材を育てるのってホントに大変なんだぜ。若手が育たなくて、即戦力として期待した助っ人外人が大ゴケしたら、あっという間に最下位に沈んじゃうんだからさ。あれ、何の話だ。

はてなブログに移行したんだけどね

はてな日記が終わる、というので、はてなブログに移行しました。今までもGAGブログで使っていたので、特に問題あるまい、と思っていたのだけど、いきなり、iPadから記事の書き込みができない、というトラブル発生。しばらくPCからの投稿のみになります。新しいサービスに移行するとそういうトラブルがどうしても出てきちゃうんだよね。ネット上のサービスって、常にそういうリスクと背中合わせだと知って利用しないとだめなんだよなぁ。

ということで、いきなり愚痴から始まってしまいましたが、今後はこちらのブログにて、よしなしごとをブツブツ呟いてまいります。今後ともよろしくお願いいたします。

 

2018年度の麻生真彩が本当にいい感じになってきたんだけど

2018年度のさくら学院は、なんといっても麻生真彩の年で、それは彼女が生徒会長ではなくトーク委員長に選ばれ、会場からの応援の拍手が鳴りやまなかった時から始まっている。歴代のトーク委員長と比べても、杉崎寧々に匹敵するか凌駕するほどに、場の空気や流れを自分でコントロールできる支配力とカリスマ性、中元すず香を彷彿とさせる弾けたダンス。そしてなんといってもその歌唱のパワフルさ。個人的には、「My Road」の「返す言葉の棘」の最後の母音のロングトーンのパワーに圧倒されて、今年のMy Roadでこのパートを誰が歌っているのか気になってしょうがないんだけど。

 

そんな麻生真彩が、年度冒頭に迷走したのも当然のことで、毎回のFresh マンデーで、今まで真っ先に挙手していた彼女が、後輩たちの後ろに回ろうと一生懸命周囲を見回している姿が、健気でもあり、どこか無理しているような感覚もあった。そのちぐはぐさをなんとかほぐそうとして、森先生企画のヒゲダンスが大コケしたあと、麻生さんはFreshの現場が怖くなってしまったんじゃないか、と心配していたりしたんだけど、あの伝説の一人回、「ぼっちでマンデー」で、他に気を遣うことなく自分の力をのびのび発揮できて、それからすっかりいい感じになってきていて、本当に安心して見られるようになってきた。もともと後輩への目配りも十分できる人だし、後輩たちの信頼感が画面から漂ってきて、麻生さんがいる回の安定感が素晴らしい。

 

と、麻生さんに注目していたら、最近、新谷会長のポジションの絶妙さもいいなぁ、と。新谷会長はボケのポジションなんだけど、どこかで常にほんわかした優しい存在感で、引っ張る麻生さんと、後ろからメンバーを優しく見守っている新谷さん、という関係性が見えていて、あのホラー回の最後に見せた新谷さんの涙とか、こちらが本当に癒される雰囲気を作ってくれる。この二人のバランスが本当にいい。

 

2018年度はとにかくライブの回数が少なくて、それが結構心配なような、ひょっとして卒業公演の一部地方公演のためにその前の公演回数を抑制しているのかな、と思ったり。学院祭は1日公演、ということなんで、ライブビューイング狙いで行こうと思っています。中2の四人もいい感じだし、転校生も個性的だし、小6の2人も成長著しいし、やっぱり追いかけ甲斐のあるアイドルなんだよねぇ。まじはまっとる。