アメリカン ソング ブック 〜アメリカの哀愁〜


10月3日の夜、東京室内歌劇場のコンサート「アメリカン・ソング・ブック」を聴きに、渋谷の伝承ホールに行ってきました。ウチの女房が企画、構成、演出を務めた演奏会。ピアニストも歌い手さん達も、アメリカ歌曲という豊穣な歌世界を旅しながら、パフォーマンスのクオリティを上げていく努力や色んなチャレンジ自体も楽しんでいる雰囲気が伝わってきて、客席までいい気分にさせてくれる演奏会でした。

 

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演奏会チラシ。先日我々のGAG公演で、南の島の素敵なイラストを描いてくれた、長谷川和也さん作です。


第一部、冒頭から、おなじみのフォースターの歌曲メドレー。古き良きアメリカの家族を想起させる懐かしいメロディが続きます。スライドの画像も、歌い手の衣装も、クッションやラグなどの小道具も、開拓時代のアメリカの家庭の空気感を感じさせ、暮らしの中で歌われた名曲達の時代背景や当時の雰囲気を彷彿とさせる。この冒頭でいきなり、「そうか、だから寂しいんだ」って、急に得心してしまったんだね。


アメリカ歌曲、というのは女房の得意にしているジャンルの一つで、今回歌われた曲のいくつかは、女房が以前歌った演奏を聞いたことのある曲でしたし、つい先日このブログに書いたGAG公演でも、女房が歌ったのはアメリカ歌曲の佳品たちでした。そういう意味でも私にとっては馴染みの曲が多い演奏会だったのだけど、以前から触れてきたアメリカ歌曲には、どこかしらぬぐいがたい悲哀というか、哀愁のようなものを感じることがあって、それはガーシュインバーンスタインなどを聞いていてもそう思う。下手すればスザンヌヴェガのTom’s Dinerとか、かなり新しいアメリカンポップスにも、そういう喪失感のようなものを感じる瞬間があって、あの陽気なアメリカ人の作る音楽に時々垣間見えるこの哀愁ってなんなのかなぁって、以前からちょっと思ってました。


でも、フォースターの「家庭内曲集」という小さな冊子を抱えて新大陸に暮らしていた人達って、要するにみんな何かを捨ててきた人達だったんだよなぁ、と急に納得。ヨーロッパの故国を捨て、過去の自分を捨て、過酷な自然や危険に囲まれた新世界の中で、ただ家族だけを拠り所にして歌われた歌の数々。どれだけ陽気なメロディであったとしても、そこには「何かを失った」悲哀が根底に染み付いているのかもしれない。


アメリカの精神文化の大きな柱になっているユダヤ人の世界観とか、黒人文化の根底にも、必ず「祖国を奪われた」という根無草の感覚が伴っている。ユダヤ人のルーツや歴史への執着は、スピルバーグの映画の中にも色濃く出てくるし(「シンドラーのリスト」はもとより、「インディージョーンズ」の三部作はユダヤ教の聖櫃の探索から始まっている)、バーンスタインの「ウェストサイドストーリー」も「キャンディード」も、共通している大きなテーマは、「ここではないどこかへ」という、理想郷を求めて何かを捨てて旅立とうとする魂の物語でした。(だからスピルバーグがウェストサイドストーリーをリメイクするのは必然だったのだよね。)奴隷として故郷を奪われた黒人が生み出したジャズの世界も当然、そういう喪失感を故郷のリズムで埋めようとする試みから生まれている。


三橋千鶴さんが歌われた「思い出のグリーングラス」は、その喪失感を非常にわかりやすい物語で示してくれた名演だったのだけど、アメリカという精神文化の根底に流れる「喪失感」と、そこからくる哀愁が、フォースターの時代から既に潜在していたのかもしれないなぁ、というのが前半の感想でした。


後半は1920年代、Roaring Era(狂騒の時代)と言われた空前の好景気、世界中の富を独占したアメリカの当時の写真のスライドが映し出され、ガーシュインバーリン、ポーターなどの名曲が次々と歌われる。日本のバブル期を数倍したようなこの時代、なんでこんなにトチ狂っちゃったのかなぁって思ってたんですけど、これも何となく今回得心がいきました。第二部の冒頭、ピアニストの田中知子さんが、赤いミニスカートのショウガール衣装でいきなりピアノと反対側の上手から登場して、壇上でシルエットポーズを決めた瞬間に得心した。というわけでもないが。


単純に言えば、何もないところにいきなり400メートル近い高層ビルがドッカンドッカン立っちゃったアメリ1920年代と、もともとある程度、高度経済成長の蓄積があった果てに急に弾けた日本のバブルとでは、変化のスケールが違うってことなんだな。ゼロから400、というのと、140から240、なんてのじゃインパクトが違いすぎる。第二次産業革命とも言われる産業構造の大規模な変化と、その産物としての急激な都市化と、空前の好景気が全部まとまってやってきて、勢い余ってキングコングまでエンパイアステートビルのてっぺんに登っちゃう時代だったんですもんねぇ。そりゃピアニストもミニスカでサイリウム持って登場するわけだよ。違う、そこじゃない。


でもやっぱりこの時代の楽曲にも、どこか哀愁が消えないのがアメリカ歌曲の面白い所だよねぇ。フランスのエスプリでもない、イタリアの陽光の下の明暗くっきりしたコントラストでもない、ドイツの教条的な感じでもない。陽気で享楽的なのだけどどこかで破滅の予感や喪失への恐怖を抱えている感じ。まさにフィツジラルドのギャツビーの世界なんだよな。お金を散々費やしているけど、それは恐ろしく空虚なものに流し込まれているだけ、というような虚しさ。What’ll I doの迷い、When I grow too old to dreamの喪失感、The physicianの即物主義、Alabama songの強欲、そしてSpeak lowの渇望。共通するのはどこかで満たされない想い。


アメリカ人は陽気でポジティブな国民、と日本人は思いがちですけど、意外とこういう闇を内面に抱えている感じがあって、それがアメリカ歌曲の魅力を増している。そんな味わい深いアメリカ歌曲の世界を安定した歌唱力で表現しきった出演者の皆さん方に、まずは感謝です。どの方も素晴らしかったけど、あえてお二方。中西勝之さん、以前歌声を聴いてから多分10年以上経ってると思うけど、変わらぬ艶々した歌声、堪能しました。そして何より、三橋千鶴さん。どの曲のどのパフォーマンスも圧巻としか言えない。宝塚の男役のような発声から、会場の奥までキラキラと飛んでいくようなソットボーチェ。引き出しの多様さに驚嘆しました。凄い。


そして、企画構成、演出をこなした我が女房どの、お疲れ様でした。アメリカ歌曲を一つの鍵として、世界中から何かを捨てて集った人種のるつぼの中で「ここではないどこか」を夢見る彼の国の心情の底流まで感じさせる選曲と構成、見事でした。ソロで歌ったWhen I grow too old to dreamとPhysician のコントラストも、引き出しの多さで勝負する本領発揮だったね。我が家にあったクッションが全部無くなっちゃったり、いきなりキンブレが大量にリビングのテーブルに並んでたり、色々驚かされることもありましたが、全てこの日のためだったんですね。


客席のお客さまの拍手や手拍子もとても温かく、客席中央に座ってらした監修の藤井多惠子先生も、周囲がパッと明るくなる素敵なオーラの方で、舞台上の家族的な雰囲気がそのまま客席にも和やかな空気を生み出しているような、本当にいい時間と空間だったと思います。まだまだ名曲が沢山埋もれているアメリカ。新たな鉱脈を探すソングブックの旅は、今始まったばかり。次の舞台に期待したいと思います。