「浅はか」と「ひけらかし」には疲れるよねー

今年のNコン中学校の部で、福島県の中学校が金賞・銀賞を受賞したことに対して、「放射能の影響が中学生に出ていないことをアピールするためのNHKの陰謀である」というコメントがネットに掲載されていて、頭も心も貧しいコメントと袋叩きにあっているそうです。二重にも三重にも書き手の知識レベルの低さと精神レベルの低さを露呈しているコメントで、それをすかさず袋叩きにしているネット市民の健全さにほっとする。でも、ここまで低レベルな話ではないにせよ、「知らない」という状態から発せられるコメントに傷ついたり疲れたりすることって、結構あるよね。

私も一応、オペラとかオペレッタとか長くやってますから、ある程度一家言あったりしますけど、知れば知るほど、世の中には、「自分よりもっとよくオペラやオペレッタを知っている人っているんだなぁ」ということを実感します。そうすると、逆に色んなことを知ったような顔をして偉そうに言えなくなるんだよね。例えば、「ゼフィレッリって知ってます?有名な映画監督ですけど、オペラの演出もやるんですよ」というセリフは、多少オペラを勉強した人ならだれでも言えるセリフだけど、そのセリフをにこやかに聞いてくれている人の中には、ひょっとしたらゼフィレッリの映画から生の舞台からすべてを見尽くしたゼフィレッリ狂の人がいるかもしれない。世の中、上を見ればいくらでも上がいるんです。

もちろん、だから自分の知識を人に示すべきじゃない、と言ってるわけじゃないんです。知識というのは会話の基礎になるもので、会話するときに双方が同じ知識を共有しているかどうか、というのはとても大事なこと。相手が知らないことをしゃべっているのか、知っていることをしゃべっているのか、ということと、相手がそのことに興味を持っているのかいないのか、ということを確認する、というのは、双方向の会話を成り立たせる最低限の前提だし、礼儀だと思います。

疲れるなぁ、と思うのは、日常の会話の中でも、相手の興味や知識を全く確認することもせず、自分の知識や興味を一方的に伝えて満足する人がいる時。「あなた、あれ知ってる?」じゃなくて、「ねぇ、おれ、あれ知ってるんだぜ!」から会話を始める人。しかもそういう人に限って、往々にして、自分がその知識や経験や興味を持っていることを、非常に自慢げに「ひけらかす」んだよね。この「ひけらかし」というのがすごく疲れることがある。

例えば、オペラをやっていて、一番リアクションに困るのが、「世界一のソプラノ歌手、xxさん」というコメント。これって新聞とかでさえたまに見るけど、浅はかなコメントだよなーと思う。歌に順列なんかつけようがないし、特に個人の個性が魅力になるオペラ歌手の場合、「世界一」という称号には何の意味もない。そうなんだけど、結構よく、「xxさんは日本一のソプラノ歌手だと僕は思う」というコメントを吐く人がいて、そう思うのは勝手ですが、せめて「日本人ソプラノ歌手のなかで僕が一番好きな人」とか、言い方を変えた方がいいんじゃないかな、と思うんだよね。

疲れを助長するのは、そういう言葉を吐く人に、「僕はこの人が日本一だと思えるだけ、色んな歌手を聞いてきたし、それだけ人の歌を聞き分ける耳を持っているんだよ」という「自分自慢」みたいな心理が見え隠れすることも一因だったりする。確かに、それだけのことが言えるほど、圧倒的に優れた技術や知識を持っている人もいますよ。そりゃ吉田秀和さんが、「この方は日本一のソプラノ歌手です」とおっしゃったら、「へへぇ、おっしゃる通りです」って平伏するしかないけどさ。でも時々、「そのことだったらオレの方が知識も経験もあるんじゃないかなー」と思いながら、自慢げに「ひけらか」されるその知識を我慢して聞かないといけないことがあって、ほんと疲れるんだよねー。上司の自慢話聞いてるみたいな気分になっちゃう。

冒頭の例は極端としても、自分自慢のオーラをまとった軽薄な知識を一方的にひけらかされて閉口するっていうのが、妙に最近多い気もする。それだけ日本人が、聞き手の知識や興味をしっかり確認しながら会話を進めていく「双方向コミュニケーション力」を失いつつあるのかなぁ、なんて思ったりして。「ひけらか」される知識が、それなりに聞く価値のあるものならいいんだけど、往々にしてそういう知識って、「浅はか」なんだよね。それにしても、日本語ってこういう場合にいい言葉にあふれてますね。「浅はか」な知識を「ひけらかす」。聞き手はたまったもんじゃない。

ネット上のつぶやき、というのは、一方向のコミュニケーションの最たるもので、特に匿名性を確保しているブログや2ちゃんねるの場合には「浅はか」と「ひけらかし」の宝庫のような気もする。そういう意味では最近のツイッターとかFACEBOOKとかは双方向性が保たれている分、多少歯止めもかかるのかな、という気もします。いずれにせよ、知識というのは知れば知るほど、経験というのは深めれば深めるほど、自分よりももっとすごい存在が世の中にはあふれている、という発見に青ざめる、そういう類のもの。私のこのブログも、日常の何気ないコミュニケーションも、「浅はかな知識や経験の一方的なひけらかし」になっていないか、常に自戒しないとなぁ。