ライフスタイルとしての合唱

先日、9月2日、所属している合唱団、麗鳴の演奏会が終わりました。例によって色々考えることがあったのですけど、その中で、ちょっと印象に残った言葉について、ちょっと書き留めておきます。


チラシは、麗鳴の専属デザイナー、F田さんデザインの傑作。とても好評でした。

打ち上げで、ある若手団員さん(大学卒業してすぐくらいの年齢)が、「大学のサークル活動とかじゃなくて、社会人として働きながら、週末は合唱する、という、ライフスタイルとしての合唱活動を続けていくんだな〜と思いました」と言っていて、面白い言い方だな、と思った。ほぼ同じ年頃の郡山出身の団員に聞いてみたら、東京に出て来て何より驚いたのが、「お年寄りが合唱してる!」ってことだったんだって。

「郡山では、合唱ってあくまで学校の部活動とか音楽授業として行われるもので、歌い手は学生が中心だったんです。爺ちゃん婆ちゃんは編み物とかゲートボールをしていて、孫の演奏会にお客様として来るもの。そんなお年寄り達が合唱をやって舞台側に立っている、というのは驚きでした」

ママさんコーラスや地域合唱団の知り合いが多くて、コーラスというのは高齢者の方の文化活動として最も一般的なものだ、と思っていた私からすると、そういう地域もあるのか、とちょっと驚き。もちろん、この話を、東京と地方の文化格差、という単純な構図に当てはめる気はなくて、高齢者の合唱団が活躍している地方都市だっていっぱいあるから、むしろ郡山、あるいは福島という地域の特殊性なのかもしれない。高校までの合唱活動の密度と到達する水準が高すぎて、高齢者が合唱活動する余地がない、ということなのかも。

府中という地域が面白いなぁと思うのは、東京郊外という地域性と都市性が混在したエリアで、合唱経験のある社会人で構成されている「ライフスタイル」としての合唱活動と、地域の小中高等学校の部活動としての合唱活動が、お互いに交流し刺激し合いながら盛んに行われていること。合唱祭のような交流の場で二つの活動が混ざり合い、府中の森芸術劇場のような祝祭的なホールがあり、高齢者が集いやすい文化センターが数多くある。そういう環境が、学校の文化活動としての合唱と社会人の合唱団体を結びつけている。実際、麗鳴にも、府中の地元の中学生が入ってきたりしてくれていますし、府中西高OBOG合唱団があったり、府中四中のOBOGで構成されているA.D.Aという素晴らしい合唱団があったりします。

学生時代の合唱活動の熱量が高すぎて、社会人になって合唱を続けられなくなってしまう燃え尽き症候群もある、と聞きますけど、アマチュア歌い手として、生活の中に歌があることの充実感を知っている身としては、とてももったいないことだと思うし、そういう「ライフスタイルとしての合唱活動」を支えるハードとソフトが揃っている府中という場所で活動できる幸せ、というのも改めて感じることができた演奏会でした。