落語とオペラによる「芝浜」〜東京シティオペラ協会公演〜

先日、女房がお世話になっている東京シティオペラ協会企画公演に伺う。「落語っ!オペラっ!どっちもっ!」と題して、落語の「芝浜」と、それをオペラにした「しばはま(トト屋の夫婦の物語)」の二本立て。

落語:柳家さん喬
オペラ:
 指揮・・・竹内 聡
 演出・・・古澤 泉
 とと屋・・川村恵一
 おっかあ・前原加奈
 演奏・・・赤塚博美(エレクトーン)・大杉祥子(クラビノーバ

という布陣でした。
 
落語を生で見るのは、昔、声優学校に通っていた時に習っていた落語家の先生が見せてくれた小噺(先生のお名前も演目も失念しているところが情けないですが、小さな会場が大爆笑に包まれたことだけははっきり覚えている)くらいで、きちんと寄席で見たことがない。初めて落語を楽しめる、それも人情話の最高傑作のひとつ「芝浜」を見られる、さらにそれをオペラにした作品も楽しめる、ということで、女房と二人でわくわくと、少し桜がほころび始めた渋谷に出かける。

「芝浜」は、中学生の頃に読んだ古典落語の本の中でも印象に残っているお話で、夫婦の慈愛と、どちらに転ぶか分からない人生の機微を描き切った秀作。江戸末期から明治にかけて活躍した、三遊亭圓朝という噺家が生み出し、その後、100年以上に渡って語り継がれ、その時代その時代の噺家によって工夫を重ねられ、磨き上げられた、落語の世界のなかの宝物のような演目と思います。言ってみれば、歌舞伎の勧進帳仮名手本忠臣蔵にも匹敵するような一種の文化遺産

「芝浜」を語らせたら現役では五指に入る、と評される柳家さん喬さんの語りは、魚勝の江戸っ子らしい潔さと、直情の中にも妻と子を思う慈愛を描き切って無駄がない。でもとりわけ印象に残ったのは、短いセリフや視線のわずかな違いで、繊細に繊細に描きこまれた女房の心理。夫に嘘を言う時には夫と目を合わせようとしない視線と少し硬い表情、後段の告白の時の小さなエピソードの挿入と、「あたし、怖かったのよ」というギリギリのセリフで、この女房がたどってきた一生を全て一瞬で言い尽くしてしまう選び抜かれた言葉。モーパッサンの「首飾り」って、似たようなテイストがある話だと思うんだね。あれはもっと苦い結末だけど、そういう、とてもよく出来た短編小説を読んだような満足感がある。

100年を超える伝統が磨き上げた名作をオペラにする、というのは、非常に大変な冒険だと思います。でも、後半のオペラは、何と言っても演者のお二人の熱演に助けられて、この物語の持っている夫婦の愛情、江戸の人情噺の温かさが伝わってきて楽しめました。相当難しい譜面だと思うのですが、見事に語り歌いこなしながら、江戸の小粋な女房の弾けるようなエネルギーを演じきった前原加奈さんのキュートなこと。そして何より、川村敬一さんのキャラクターの魅力。人間的な弱さと素直さをあわせ持っているからこそ、導きようによって悪にも善にも転ぶ、そんな厚みと愛嬌のある人物像を演じきって見事でした。歌舞伎で言うと勘九郎みたいな感じかなぁ、と、女房と言い合いながら帰る。こういう古き良き「とっつぁん」みたいな日本人を演じられるテノール歌手って、なかなかいないよねぇ。若手のテノール歌手さんたちもみんな素敵なんだけど、ちょっと洗練されすぎてる気がする。川村先生はもちろん、洗練されたお芝居もできるんですけどね、その一方で、味噌汁とおしんこの匂いのする芝居もできちゃうところが、本当にすごい。

でもね(あ、そろそろ毒が出てくる)、落語とオペラを並べて演じるなら、しかも、「芝浜」みたいな超正統派の古典を持ってくるなら、それと同じくらい時代が洗練した古典オペラを持ってきた方が、拮抗する力はあったんじゃないかなぁ、と思います。それこそ、「奥様女中」とか、「愛の妙薬」とか、落語になりそうな楽しいオペラはいっぱいあるんじゃないかな。落語の「たちきり」なんか、「椿姫」なんかと一緒にやるとすごく相乗効果で泣ける気がするし、「地獄八景」と「天国と地獄」を一緒にやったりとか、楽しいと思うんだけどねぇ。企画としてはなかなか成り立たないんだろうな、とは思うけど。

100年以上の伝統に対峙する時に、やはり近現代に書かれた創作オペラ、というのは力が足りない、というか、作品に対する洗練度合いが足りない気がしちゃうんだよね。100年間の間に磨き抜かれ、選び抜かれた言葉を切り貼りしてしまった創作オペラは、どうしても話が薄っぺらくなってしまう恨みがあるし。意欲的な試みだなぁ、とは思うのだけど、本家本元と並べるのはちょっとかわいそうな感じがしてしまいました。オペラと歌舞伎、というネタで本を一冊書いてしまった某永竹先生の論を引くまでもなく、同時代に生まれた芸能として、落語や歌舞伎とオペラとの共通点は絶対あると思うので、こういうコラボは今後も色んな形で実現していくといいなぁ、と思います。