今日は先日、10月23日に、浅草東洋館で初日を迎えた、東京室内歌劇場ロングラン公演、「浅草オペラ102年記念、歌と活弁士で誘う ああ夢の街 浅草!」の感想を書きます。でも、最初にお断りしておきますが、感想というより、ほぼ100パーセント身内のことしか書きません。身内ってのは、うちの女房なんですがね。ノロケじゃなくって、至極真面目に、舞台に対する態度とか気構えとか、物凄く試行錯誤しながらモノを作っていく覚悟とか、やっぱりこうじゃなきゃホンモノ感って生まれないんだよなぁってのを客席にいてもシミジミ感じちゃったので、そのあたりをつらつらと。まぁノロケと思って読んでいただいてもいいんですけど、私もアマチュアとはいえ、やはり舞台に立つ機会のある人間として、凄く教えられた部分が多かったんです。なので今日は、オペラ歌手、大津佐知子という人のパフォーマンスへの感想を中心に書いていこうと思います。
この企画、2017年に浅草オペラ100周年を記念して企画されたロングラン公演の再演となります。102年前の浅草を熱狂させた浅草オペラの、大衆的でありながら真摯に聴衆のニーズと芸術の高みの融合点を目指した革新性と、そこから生み出された、今聴いても新鮮な名曲の数々を、活弁士のガイドで辿っていく企画。そして、今回の再演の一つの目玉になっているのが、公演のラストに演じられる「浅草オペラ版 椿姫」。これが本家本元の「椿姫」とは似ても似つかぬ、浅草のカオスな空気をダシ汁に、都都逸、デカンショ節、ラップ、謎のコントからタンゴ、そして本家「椿姫」の本格的アリアまでぶっ込んでぐたぐたに煮込んだ天才山田武彦先生の問題作。大津はこれのプリマ、花魁小町を演じました。
恐ろしいことに、この「椿姫」のプリマは、都都逸をうなるだけじゃなく、元祖椿姫のアリア、「乾杯の歌」「そはかの人か」も歌い、タンゴを踊り、手紙を読みながら泣き崩れ、コスプレ看護婦さんにお尻に注射された上に、最後には有名なアリア「花から花へ」の最高音(ハイEs・・・五線譜の中の一番上のミの音の2オクターブ上のミのフラット)を決めないといけない。それも公演の前半にはアンサンブルとして歌ったり踊ったりした後に。いくらなんでも盛り過ぎだろ、と思うかもしれないけど、先日、さくら学院の舞台の感想にも書いた通りで、浅草レビューを支えたパフォーマーは、歌も芝居もコントもなんでもできたんですよね。そういう人達が支えた浅草オペラを再現するには、演じる側も何でもできなきゃいけない。
元々大津という歌い手は、学生時代に世阿弥を研究したこともあって、歌舞伎や能などの日本古典芸能には造詣が深いんですが、それでも、知識として知っているのとそれを舞台上で演じるのは全く別の話。山田先生に教えてもらった、古賀政男の三味線を伴奏に美空ひばりが歌う都都逸の動画を聞きこんだり(この古賀政男さんの三味線も、美空ひばりさんの都都逸も絶品!)、毎日のように家の中で、「あたしゃ白身で、君を抱く~」などとずっと鼻歌で歌ってました。でもその都都逸の発声ポジションにこだわってしまうと、オペラのアリアが歌えなくなるリスクもある。共通する共鳴場所をうまく探りながら、都都逸も十二分にそれっぽく、そして、ラストのハイEsも見事に決めていました。
もう一つ、大津のパフォーマンスで感心したのが、舞台の立ち姿。アンサンブルで出てきた時にも、なぜか立ち姿が決まっている感じがあって、何が違うのかな、と思ったら、肩から二の腕の位置関係が他の歌い手さんと違うんです。基本的に肘が肩の位置よりも少し後ろにあって、脇腹にべったりついていなくて適度に間隔をあけている。少し翼を広げた鳥のようなフォーム。なので上体が広く見えて、立ち姿のバランスがいい。
本人に聞けば、「それは舞台上での立ち姿の基本でしょう」と言うのだけど、その基本ができていない歌い手なんかいっぱいいますからね。今回の舞台では、専属のヘアメイクもメイク担当の方もいらっしゃらないし、衣装担当もいないから、全部自前。ショートヘアにつけ毛で大正モダンガールっぽい髪形を作ったり、前半のアールデコやアールヌーボーっぽいドレスや花魁小町の和装っぽい衣装まで全部自前で、ああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねていました。そのかいもあって、決して身びいきではなく、本家「椿姫」でもない、歌舞伎の花魁でもない、浅草大衆芸能のカオスの生んだ歌姫、としかいいようがないような、怪しい椿姫が見事に表現されていたと思います。
でもね、多分102年前の浅草オペラってのも、まさにそういう「なんでも自分1人でこなしちゃう」プリマたちが競演していたんじゃないかなって思うんです。どうやれば西洋のオペラの興奮が日本人に受け入れられるか、色んな実験の中で化学反応のように生まれてきた浅草オペラが、関東大震災を経て衰退した後も、浅草レビューから戦後のテレビバラエティ番組にまで強烈な影響を与え続けたのは、当時の作り手が、どうやったらお客様が楽しんでくれるか、舞台上で自分を美しく、面白く、そして芸術的に見せられるか、というのを必死に自己プロデュースしていった熱意があったからじゃないのかと。普通の「オペラ歌手」なら尻込みしそうなてんこ盛りの作品に、愚直に真摯に向き合っている大津のパフォーマンスを見ていると、いわゆるオペラ歌手って言われてる人って、なんだか舞台に対して甘えていませんか?って言いたくなったりもする。高尚な芸術を学んで、色んな外国語を操って、色んな場所で「先生」と呼ばれているうちに、舞台上でどう自分を見せるか、お客様をどう楽しませるか、という、パフォーマーとして一番大事なことをおざなりにしちゃいませんかって。
まだ小中学生なのに、厳しい競争の中でプロ意識を持って、一つ一つのパフォーマンスに全身全霊でぶつかっているさくら学院の舞台を見た直後だったので余計に、今回の浅草オペラの舞台では、舞台に対してどれだけ真摯に愚直に向き合っているか、パフォーマーの本気度が如実に見えた気がしました。正直、かなり甘いんじゃないの、と思えるパフォーマンスに対しても、「先生、素敵だったわぁ」と声をかけている年齢の高いおじさんおばさん達も結構多くて、客もよくないのかもなぁ、とも思うけどね。でも、大津の真摯なパフォーマンスは、しっかり客席に届いたみたいで、終演後、全然知らないお客様たちから、沢山お褒めの言葉をいただいたそうです。舞台に立つ表現者である以上、自分の学歴だの、教育者としての副業だのそんなことは一切捨象して、もっと愚直に、真摯に、舞台上の自分の姿を見直した方がいい「オペラ歌手」はいっぱいいます。お客様の方もそこはシビアに見た方がいいと思うんだよね。
お疲れ様でござりんした~