東京室内歌劇場「市場のかみさんたち」〜仙川にオッフェンバックがやってきた〜

昔、ガレリア座で舞台を作った時に、その直前に見たコクーン歌舞伎の「四谷怪談」の冒頭の演出を真似したことがあります。舞台上から客席から、街の物売りに扮した役者たちがわらわらと繰り出してきて、飴は配るは瓦版は配るは、あやしげな小物を売り歩くもの、舞台と客席が完全に一体になって、いきなり江戸時代にタイムスリップしたような、祝祭感覚と非日常感覚にいきなり体ごと持っていかれたような。もちろん、こちらの演出はただの真似に終わってしまったのだけど、舞台を作るものとして、劇場にせっかく足を運んで下さったお客様を、どれだけ非日常の世界に連れていくか、というのが一つの勝負なのかな、と思っていたことがありました。

まぁ今から思うと、それって別に全ての舞台表現に共通する手法ではないんだよね。日常生活の延長線上にある普通の情景から始まる舞台なんか一杯ある。それなのにあえて、ここは別の次元なのだ、ということをお客様に実感させようとしたのは、そもそもオペラやオペレッタの時代が、江戸時代同様19世紀という別の時代である、ということと無関係ではない気がする。同時代のドラマではない、その時代へとお客様をどう違和感なく「持っていく」か、ということ。

昨日の日記にも書いた、東京室内歌劇場の「市場のかみさんたち」、女房の出る回と、女性キャストを男性が演じる回を続けて見てきました。等身大の登場人物たちと共に一喜一憂できる、臨場感溢れたとても楽しい舞台でした。
 
魚屋のポワルタペ夫人: (A組)大津佐知子 (B組)新海康仁
八百屋のマドゥ夫人 : (A組)三津山和代 (B組)小畑秀樹
八百屋のプールフォンデュ夫人: (A組)小川嘉世 (B組)杉野正隆
鼓笛隊隊長のラフラフラ: (A組)三村卓也 (B組)櫻井淳
果物売りのシブレット: (A組)加藤千春 (B組)田島千愛
コックのクロトポ: (A組)吉田伸昭 (B組)中村裕
警察署長: (A組)堀野浩史 (B組)篠原大介
お菓子売りの女: (A組)植木光子 (B組)高井千慧子
野菜売りの女: (A組)古川尚子 (B組)井上恵美
洋服売りの女: (A組)小杉瑛 (B組)田代香澄
 
ピアノ: (A組)遊間郁子 (B組)久保晃子
ヴァイオリン: 朝来桂一 チェロ:佐藤翔 フルート:永井由比
 
指揮:大島義彰  演出:飯塚励生
 
という布陣でした。
 
開場前から、劇場のロビーに、野菜を並べたワゴンが設置されていて、開場後、そのまま劇場内の舞台上に移動、ご来場のお客様に販売する、という趣向。俳優の永島敏行さんが仙川で開いている「青空市場」という八百屋さんだそうです。永島さんご自身も舞台上に登場されて、PRされていました。東京室内歌劇場のせんがわ劇場でのシリーズが、地元に根付き始めているような感覚があって嬉しくなる。

この趣向によって、本来「ハレの場」=非日常である劇場という場所が、仙川という「ケの場」=日常と地続きになる、その感覚が面白かった。もともと、オッフェンバックがパリのキャバレーのような小劇場でオペレッタを始めたとき、それはストリップ小屋の幕間芝居のような猥雑さと、TVのドタバタコントのような低俗性でパリのブルジョワの心を捉えた。そこで笑い飛ばされたのは、従来、王侯貴族の娯楽であったオペラの題材になっていた神話や英雄たち。結果、彼のオペレッタは、世紀末のパリの日常生活をそのまま舞台に持ち込むことで成り立っていた。本来「ハレの場」=非日常=崇高であるべき劇場が、「ケの場」=日常=低俗になることで生まれる破壊的な笑いと毒。それがオッフェンバックの真髄。

今回の「市場のかみさんたち」には、オッフェンバックの毒がそれほど強烈に出ていないのだけど、演出の飯塚励生さんの作り上げた日常と地続きの舞台は、オッフェンバックオペレッタが、時代を超えて日常のどこにでもいる老若男女のドラマである、ということを思い出させてくれました。19世紀末のパリの街に生きた男女も、21世紀の仙川の街に生きる僕らも、結局は同じように恋や欲や思わぬ別れや出会いを重ねている。その普遍性と現代性。劇場をむりやり19世紀末の時代に変えようとするのではなくて、21世紀の現代の中にそのままオッフェンバックを持ち込もうとするアプローチ。そしてそれでも十二分に楽しいオッフェンバックの音楽と物語の力。自分が今まで思っていたことを完全に逆手に取られた感覚で、実に面白かったです。

女房が出たA組では、正面の客席で、男性キャストのB組では、舞台奥にしつらえられた客席に座って見ました。せんがわ劇場はただでさえ客席と舞台の距離が近いのに、この舞台奥の客席ではもう完全に舞台と一体化してしまっていて、出演者の浴びている照明をそのまま自分も浴びている感覚が新鮮。出演者のみなさんはそれぞれ本当に熱演で、それだけではなく、みなさん一級の安定感のある歌唱で安心して聞けました。昔大田区民オペラでご一緒したことのある吉田さんや三津山さん、新海さんがご出演されていて、それもなんだか懐かしかった。新海さんとは終演後に少しご挨拶することができました。伸びと芯のある素晴らしいテノール。個人的にはB組でプリモ役をやっていた中村裕美さんの美青年ぶりにくらっときました。

あと印象的だったのは客席の年齢層の若さ。最近見るオペラ舞台では、客層がずいぶん高齢化しているな、という印象で、若年層のオペラファンは、DVDとかライブ放送に流れてしまっているのかな、と、かなり不安な思いで見ておりました。でも、今日の客席では、子供さん連れの30台40台くらいの方々が結構たくさんいらっしゃっていて、なんとなく安心。たぶんこういう年齢層のオペラファンは、「椿姫」だの「カルメン」だのといった定番しかやらない来日公演なんかより、DVDなんかでは見ることのできないレアな作品に惹かれるのかもしれないね。東京室内歌劇場の企画力や広報力もあるのかな、とは思うけど。

3人の市場の女房役は、歌だけではなくてかなりの芝居っ気を要求される役で、うちの女房がこれまでガレリア座やGAG公演で培ってきた歌と演技力が十分活かせたのじゃないかな、と思います。今回の舞台、女房にとっては本当に地元公演で、本番が終わって1時間しないうちに家でくつろげる上に、娘の学校の近くのおしゃれな劇場での公演、というのも嬉しい。スタッフの皆様、共演者の皆様、お疲れ様でした。女房が大変お世話になりました。まだ明日一日本番が残っていますが、東京室内歌劇場が、これからもこの調布の仙川という場所で楽しい舞台を作っていってくれたらな、と思います。