東京シティオペラ協会「魔笛」〜みんな幸せになってよかったねー〜

先日の日記で、3月は女房の舞台本番が重なる、という話を書いたのですが、3日(日)に、その1つめの舞台がありました。東京シティオペラ協会の「魔笛」。娘と一緒に見てまいりました。
 
ザラストロ: 東原 貞彦
弁者: 安東 玄人
夜の女王: 富永 美樹
タミーノ: 古澤 泉
パミーナ: 小宮 順子
パパゲーノ: 石崎 秀和
パパゲーナ: 辰巳 真理恵
モノスタトス: 越智 優海
ダーメ1: 大橋 郡子
ダーメ2: 関口 志津子
ダーメ3: 久利生 悦子
武士1・僧侶2: 川村 敬一
武士2・僧侶1: 塩沢 剛
童子1: 大津 佐知子
童子2: 四津谷 泰子
童子3: 出口 けい子
奴隷: 大場 和秋
 
合唱: 東京シティオペラ協会合唱団
児童: KEI音楽学院の子供たち
 
エレクトーン: 赤塚 博美・川崎 雪
 
総監督: 川村 敬一
指 揮: 竹内 聡
副指揮: 西谷 亮 / 横山 奏
演 出: 古澤 利人
 
という布陣でした。
 
会場になった渋谷区文化総合センター大和田・さくらホールという場所は、渋谷のセルリアンタワーの裏手あたりにある新しいとても綺麗な施設。ホールの中は都心のホールらしく天井がとても高く、内装も綺麗です。800名くらいのホールかな。このくらいの規模のホールはいいですねぇ。舞台と客席の距離感が適度に近く、適度に遠くてとてもいい。

東京シティオペラ協会のオペラ舞台は、以前、色んなところでお世話になっている神田宇士さんが出られた「河童譚」「奥様女中」の公演を見たことがあります。その時にも、エレクトーン伴奏の音の豊かさに驚いたものだけど、今回も、2台のエレクトーンの豊かな音色で全く違和感を感じさせない伴奏でした。エレクトーン伴奏だからと言って決して電子的でも機械的でもない、やはり人の手が引き出す音の柔らかさ。スピーカーから出ている電子音であるにも関わらず、電子楽器の耳障りな感じが全くない。もっと大きな会場になってくるとまた別の問題が出てくるかもしれないけど、その柔らかさと人の声のバランスがとてもよかったです。

ソリストのみなさんそれぞれに個性を活かした素晴らしいパフォーマンスだったのだけど、個人的には、パミーナの小宮順子さんと、ザラストロの東原貞彦さんが特に心に残りました。小宮さんの声の表現の幅と安定感、出てきて一声発しただけで、この人がプリマだ、と納得させる声圧とオーラ。ザラストロの東原さんは、どこまでも豊かな響きと見事な日本語のさばきで、こんな風に歌えたら、という箇所が一杯あって、本当に勉強になりました。舞台上での存在感、という意味では、パパゲーナの辰巳真理恵さんが、声量は少し細いながら、端正でとてもキュートな存在感でした。お父様(辰巳琢郎さん)譲りの天性の舞台勘なんでしょうか。親の七光り、なんてものじゃない、素敵な演技で客席を沸かせていました。

古澤利人さんの演出は、鏡、というモチーフを持ち込むことによって、「魔笛」の持っている二元論的な世界観を明確にした、非常に知的な演出だったと思います。「魔笛」という演目は多様な解釈を可能とするだけに、演出家の意図が明確にないと何が何だか分からない舞台になってしまう。「奥様女中」の時にも思いましたけど、古澤さんは演出の意図を明確に主張しながらも、音楽の楽しさを決して損なわない、納得感のあるバランスのいい演出をする方だな、という印象があって、今回もその印象を裏切らなかった。私なりの解釈ですけど、冒頭のタミーノが鏡を持って自分自身を確かめているシーンから、タミーノの持つ不完全さが暗示されていて、この「魔笛」のテーマが、タミーノの「自分探し」の旅なのだ、というのがはっきり示される。その「自分探し」の最終的なゴールが、パミーナという伴侶を得ることで、だからこそ、試練を乗り越えた二人に対して、ザラストロは再び鏡をタミーノに渡す。全き自分になった自分を確かめてごらん、とでも言うように。タミーノとパミーナの結びつきが世界を全きものにする、という大団円が、光の世界と闇の世界の融合、和解、というラストシーンにつながってくる。それが非常に明確に見えたのが、ラストシーンで、モノスタトスの伴侶が現れる、という、過去の「魔笛」の舞台では全く現れたことのなかったシーン。光の世界のパパゲーノに対応する闇の存在としてのモノスタトスが伴侶を得ることで、パパゲーノ−パパゲーナvsモノスタトス−その伴侶、という対比構造が非常に明確になる。アーシュラ・K・ル・グィンの「ゲド戦記」や「闇の左手」をなんとなく思い出しました。まぁそんな難しいことを考えなくても、単純に、ラストでモノスタトスも幸せになると、みんな幸せになってよかったねー、と温かい気持ちになるよね。そういう「めでたしめでたし」という感じがあって、とても気持ちの良い「魔笛」だったと思います。

女房が演じた童子は、そういう二律背反の世界の中で、光の世界も闇の世界も飛び越えてボーダレスに自由に動き回ることができる唯一の存在で、宇宙人のような衣装も、軽やかな仕草も、十分それを表現していました。女房は、「ほとんどコスプレだよ」と言いながら、銀髪のかつらが結構気に入ったみたい。またどこかでそういうかつらをかぶれる役がくるといいね。かなりの身びいきになるかもしれませんが、安定した歌唱とアンサンブルも手伝って、童子はとても存在感のある仕上がりになっていたと思います。

照明も衣装も素晴らしかったけど、予算の関係か、舞台道具がかなりチープだったのはちょっと残念。非常に天井の高い会場だけに、プロセニアムの下の方にだけ世界が固まってしまって、上部に無意味な虚無が広がっている時間が長くて、もったいないなぁ、という感じがしました。せめてホリゾント幕を使えばもう少しなんとかなったのじゃないか、と思うけど、演者の入退場の関係で無理だったのかなぁ。もちろん、予算の制約は当然あると思いますけど。東京シティオペラ協会は、年に3回もオペラ公演をやり続けている団体だから、一回一回にかけられる予算は当然限られてくる。その制約は承知した上で、とにかく回数にこだわり続けるというのには、やっぱり意味があると思います。そういう本番舞台を重ねることによって広がる歌手のネットワークや、参加する歌手の地力の育成など。女房みたいに、これからプロの世界での場数を踏んでいこう、としている歌い手にとって、こういう場を与えてもらえたことは本当に幸せなことだと思います。出演者の皆様、スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。女房が大変お世話になりました。今後とも、皆さんが作り上げる素敵な舞台を楽しみにしております。