最近ちょっと乱読してます

通勤電車の中で楽譜を読むようになって、一時期ほど文庫本の乱読はしなくなっていたんですが、最近またペースが上がってきました。自宅の本棚に埋もれていた未読本、図書館で手当たり次第に借りてきた文庫本などなど。いつものように流行本とか話題の新刊なんかは全くございませんが、自分の乱読の記録ということで。
 
・「椿姫」デュマ・フィス作 西永良成訳

女房が先日やったヴェルディのオペラ「椿姫」、デュマ・フィスが自らの体験に基づいて書いた小説が原作、とは聞いていたけど、その原作を読んだことはなかったな、と、先日図書館から借り出してきて読了。そもそも、小説が評判になり、それをデュマ・フィス自身が戯曲にし、その戯曲を見たヴェルディがこれをオペラにした、ということで、小説のマルグリットとオペラのヴィオレッタの間にはかなりの距離がある。小説のマルグリットの方がより享楽的だし、ヴィオレッタよりよっぽど世俗的。とにかく金勘定の話ばっかりが出てくる。そういう意味では、先日の原純さんの「椿姫」演出は、ヴィオレッタを原作のマルグリットに近づけたものだったのかな、という気もする。マルグリットのパリの生活が享楽的であるほど、そしてそんな派手な生活を支えるための金策が世知辛いものであればあるほど、アルマンとの田舎の平穏な生活に次第に心落ち着かせていくマルグリットの思い、それを断念する心の葛藤が際立ってくる。

面白いな、と思ったのは、マルグリットの死を確かめるために、アルマンが彼女の墓をあばき、変わり果てた彼女の肉体を確かめる、という部分。ずいぶん前に読んだゾラの「娼婦ナナ」でも、ナナのおぞましい死に顔を描写するシーンがあったり、先行する「マノン・レスコー」でも、ヒロインの屍を確認するシーンがあるそうで、当時のフランス文学界に共通する「美女のなれの果て」の描写だったのかな、と思ったり。ただ、「娼婦ナナ」がその放埓な生活の果てにかかる病気は、天然痘という凄惨な病気ですが、マルグリットを死に至らしめるのは結核で、そこにマルグリットの聖女性が表現されているのだ、という書評を読んだことがあります。結核、というのは心が清らかな人がなる病気、とされていて、不道徳の象徴のような高級娼婦が、結核で死ぬ、という結末自体が、当時の倫理観からすれば驚くべきことだったのだそうな。奔放で享楽的、しかし最後には誠の愛に殉じる薄幸の美女。160年以上に渡って愛され続けてきたこのヒロインの魅力を再確認した気がしました。
 
・「家鳴り」篠田節子

不愉快な小説を書かせたら天下一品の篠田節子、なんとなくホラー小説を読みたくなって図書館で借りちゃったんだけど、読んでやっぱり後悔する読後感の不愉快さ。どの短編にも共感できるキャラクターが全然出てこない。それでも読ませてしまうところがさすがだよね〜って、褒めてるんだか、けなしてるんだか、という感じですが、いや、褒めてるんですよ。中途半端な説教臭さとか予定調和に陥らずに、人間の心に厳然と存在している真っ黒な闇を、その体温や生臭い体臭まで感じるくらいほどに生々しく描き出す筆力。人間ってこんなに醜い生き物なんだ、と、改めて現実に向き合う体力と気力のある時にお勧め。
 
・「フィツジェラルド短編集」野崎孝

ギャツビーは読んでいて、去年くらいに村上春樹の新訳でも読み返して、やっぱりいいなーと思っていたんですが、何気なく眺めていた我が家の本棚に、未読のフィツジェラルドの短編集を見つける。一時期アメリカ小説にはまっていた女房が買ったものだったようです。「氷の宮殿」に出てくる東海岸の凍てつく寒さと鼻持ちならないエリート意識、もう一つのギャツビーとも思える「冬の夢」、ギャツビーのような成り上がりでなくても心に虚無を抱えている「金持の御曹司」、皮肉なラストが痛い「乗り継ぎのための三時間」、「泳ぐ人たち」、そして、バブル期を知っている我々世代には心に刺さる「バビロン再訪」。ニューヨークの生活に少しでも触れることができた経験も手伝って、どの短編もなんだか胸に迫りました。若いころは若いころの、この年になったらこの年の感動とか感慨がある、だから読書って面白いんだよね〜。
 
・「サウンド・オブ・サイレンス」五十嵐貴久

誰か、今まで読んだことのない作家の本を、と思って、図書館の棚を眺めていた時に、題材の、「聾唖者のダンスチームがダンス大会を目指す」というテーマが気になって借りてきました。お話としては割とまっすぐな青春物語で、素直に感動できるいい話。それにしても、聾唖者の人が身に着けている健常者にはない感覚とか、手話でのコミュニケーションとか、なんだか憧れるものがある。我々健常者にはなかなか身に着けられない能力だもんね。通勤途中に時々見かける聾唖の高校生カップルがいるんですけど、彼らの手話の会話を横で見ていると、その表情の豊かさ、体全体から発せられる伝えようとするエネルギーの強さに、ただただ恐れ入ることがあります。こういう表現手段を身に着けているっていうだけで、私は秋篠宮家の母娘様方を尊敬する。別の話になってしまった。
 
・「審判」カフカ作 原田義人訳

カフカは、「変身」は読んでたんですが、「審判」は本棚にあるだけで未読でした。なんとなく思い立って手に取ってみて、結構一気に読了。確かに不条理な話なんだけど、どこかしらリアリティがあるところが怖い。不条理すぎて笑ってしまうような不気味なユーモアを感じるところも怖い。明日には自分がヨーゼフ・Kにならないとも限らない、というリアルな恐怖感。時々こういう、時代のマイルストーンに位置付けられている古典に触れると、それを創造した作家の巨大なエネルギーに圧倒されるような気になるよね。ここまで突き詰めちゃうんだ、この時代に、ここまで見通しちゃうんだ、みたいな。