「オペレッタの中の『ラ・ボエーム』」〜ナレーション原稿その2〜

少し間が開いてしまいましたが、先日に引き続き、サロンコンサートで使ったナレーション原稿の後半部分を掲載します。次回のサロンコンサートがいつになるやら、まだ何とも言えませんが、今後もこんなうんちくたっぷりの企画をお届けできたらな、と思っています。その時まで、アデュー!
 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ウィーンオペレッタの産みの親、といえば、ヨハンシュトラウス。パリでオペレッタを生み出したオッフェンバックに、「君もオペレッタを書いたら?」と言われ、「こうもり」や「ヴェニスの一夜」など、たくさんの傑作オペレッタを生み出したヨハンシュトラウスの晩年の作品が、「ウィーン気質」。
ヨハンシュトラウスのバレエ用の曲に、歌詞と台本を付けてオペレッタにしよう、という企画で、制作途中でシュトラウスが亡くなり、彼の死後に発表された作品です。
 
シュトラウスの代表作の一つとも言われるこのオペレッタにも、パリのグリゼットを彷彿とさせるキャラクター、ペピが登場します。
彼女は、ウィーンの洋裁店で働くお針子さんで、ダンスが上手でキュートな御嬢さん。まさにグリゼットそのものなんですが、このウィーンの洋裁店が売りにしているのが、パリの最新モード。
ということで、一生懸命フランス語を勉強している、なんていう演出があったりします。
 
面白いのは、「こうもり」にせよ、「ウィーン気質」にせよ、ヨハンシュトラウスオペレッタでは、平民出身のグリゼットのような女性が、貴族と結婚して玉の輿に乗る、という結末にならないんですね。
「こうもり」では、平民の女中のアデーレと、そのパトロンになるロシア亡命貴族オルロフスキーの間には、男女の関係は感じられませんし、「ウィーン気質」でも、貴族のご夫婦は元のさやに納まり、グリゼットであるペピも、平民のヨーゼフと結ばれます。
もう少し時代を下ったレハールやカールマンのオペレッタでは、平民と貴族の身分違いの恋が実ることが多いことと比べると、ヨハンシュトラウスの時代にはまだ、貴族階級の秩序を守りたい、守るべきだ、という道徳観念が強かったのかな、なんて想像してしまったりします。
 
では、ウィーンのグリゼット、ペピが、恋人のヨーゼフとデートの約束をする可愛い二重唱、「さぁ行こうよヒーツィングへ」をお聞きいただきましょう。
 
・4曲目:ヨハンシュトラウス作曲「ウィーン気質」から、「さあ、行こうよヒーツィングへ」
 
ラ・ボエーム」が描いた、パリに集った魅力的なグリゼットたち。
刹那的な恋に身を任せる、奔放な女性のように見える彼女たちですが、実際には、大きく価値観が変動する社会の中で、自分の力だけで生きる道を懸命に探し続けた、ひたむきな女性たちでした。
オペレッタがそんな女性たちを数多く描いたのも、ひょっとしたら、そんな彼女たちのひたむきさが、当時の人々の心を捉えたせいなのかもしれません。
 
そして、そんなパリのグリゼットの頂点に立った女性の、燃えるような恋と哀れな最期を描いたもう一つの傑作オペラが、皆様よくご存じの、ヴェルディ作曲「椿姫」です。
椿姫のヒロインであるヴィオレッタは、高級娼婦、という形でパリの社交界に君臨しますが、それは、性という自らの商品を生きる術とせざるを得なかったグリゼットが、到達することができる、一つの頂点でもありました。
 
「椿姫」については、このサロンコンサートシリーズの第一回で取り上げているので、今回は取り上げませんが、実は、冒頭に演奏したカールマンの「モンマルトルのすみれ」というオペレッタの主人公は、すみれ、つまり、ヴィオレッタ、という名前なんですね。
カールマンの中に、パリに生きたグリゼットたちと、その頂点に立った「椿姫」のヒロイン、ヴィオレッタを、同種の女性たち、と見る視点があったのではないか、と想像するのは、あながち的外れとは言えないかもしれません。
 
それでは、そんなグリゼットの魅力あふれるアリアを二曲。
ラ・ボエーム」から、男を手玉に取るムゼッタの奔放なアリア、「私が街を歩くと」。
そして、「モンマルトルのすみれ」から、主人公のヴィオレッタが歌う「今日もまた街角で」。
 
その二曲に続いて、そんなグリゼットたちに振られてしまった男二人が、断ち切れない彼女たちへの憧れと未練を歌う二重唱、「ラ・ボエーム」から、「ああミミ、君はもう戻ってこない」。
三曲続けて、お聞きいただきます。
 
・5曲目:プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」から「私が街を歩くと」
・6曲目:カールマン作曲「モンマルトルのすみれ」から「今日もまた街角で」
・7曲目:プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」から「ああミミ、君はもう戻ってこない」
 
さて、みなさんと共に、「ラ・ボエーム」の世界、そして、ウィーンオペレッタが描き出したパリのグリゼットたちの歌を巡ってまいりました、本日のコンサート、いよいよ最後の曲となります。
グリゼットが「お針子」という仕事と共に、主な生活の手段としたのが、歌や踊りという舞台パフォーマンスでした。
現在の価値観で、それを芸術表現と美化するのは、現実の厳しさから目を背けることになります。
もっと端的に言えば、彼女たちは、一種のストリップ小屋のようなところで、露出の高い服を着て、自分の肉体を人目にさらすことで、生活の糧を得ていた、と思った方が分かりやすい。
しかし、舞台パフォーマンスそのものが、ブルジョワの資金力をバックにして、より洗練された芸術表現と変化していく中で、歌い手やダンサーの社会的地位も上がっていきます。
最後にお送りするのは、カールマン「モンマルトルのすみれ」から。
歌手として成功し、グリゼットの貧しさから脱出したニノンが、パリの夜を享楽的に歌うダンスナンバー、
「カランボリーナ・カランボレッタ」で、華やかに締めくくりたいと思います。
本日はご来場、誠にありがとうございました!

・8曲目:カールマン作曲「モンマルトルのすみれ」から、「カランボリーナ・カランボレッタ」
 
 
第二部(交流会)の余興として・・・
 
これからお送りする曲は、ポール・ミスラキ作曲「侯爵夫人様、全て順調です」。
1950年代に映画音楽作曲家として活躍したミスラキが、1935年に作曲して大ヒットしたナンセンスコメディー曲です。
なんでこれを演奏しようと思ったか、というと、少し前に、シャンソンフランセーズという演奏会で、メゾソプラノ歌手の田辺いづみさんが訳したこの曲の演奏を聞いて、あまりに面白くって、一度歌ってみたい、と思ったのが一番の理由なんですけど、二番目の理由として、今日の歌い手のキャラに結構合うなぁ、と思ったんですね。
ちょうどメンツもそろってるし、特に侯爵夫人のキャラが合うな〜と。
 
で、まぁ、無理やり、本日の「ラ・ボエーム」というテーマに、こじつけて結びつけるというと、前半でもお話しした、「貴族階級」という価値観の崩壊、というのがこの曲の中で、ものすごく具体的に表現されているんです。
グリゼットの代表格であったココ・シャネルが大成功していたのが、まさに1930年代。
その同時期に、この歌が大流行して、貴族社会の没落を笑いものにしていた、というのが、ある意味、非常に象徴的な出来事、という気がするんですね。ま、相当にこじつけですが。
あ、侯爵夫人のご登場でございます。では。お聞きください。「侯爵夫人、全て順調です」。

・余興曲:ポール・ミスラキ作曲「侯爵夫人様、全て順調です」