マイ・ブームいくつか

娘の中学校生活も軌道に乗りつつあり、毎日わくわくと過ごしております。ガレリア座の方もかなりハードルの高い役をいただいてしまい、毎回の練習の度に、この課題をどうやってクリアするか、考えるプロセスを楽しんでいます。麗鳴の方も、どの曲もそれぞれに越えなければいけない壁がある。その壁をどうやって超えるのか、その試行錯誤が楽しみなんですよね。

さて、そういう生活の中でもぼちぼちとインプットは続けていて、最近のインプットの中でも特にこれ、というものを3つほど並べてみます。
 
・「グレート・ギャツビー」を読み返してみる。

先日、私の部署の同僚が、「グレート・ギャツビー」ってのはアメリカでもっともすぐれた小説の一つ、と言われているんですよね、という話をしていた。そういえば、中学生くらいの頃に一度読んで、それっきりだったなぁ、と思い、図書館で借りてきて読み返してみる。大貫三郎さん訳の角川文庫版。これが沁みたです。

自分が多少空気感を共有できるニューヨークのロング・アイランドが舞台になっていて、マンハッタンも出てくる、というのもあって、昔読んだ時よりもずっと小説の背景が見える、というのも一因だとは思う。でも、主要因は恐らく、「ああ、アメリカ人も、結構自分が見えているんだなぁ」という感覚だと思いました。アメリカ人というのは、付き合っているとあきれるほど前向きだし、楽天的に見えるし、そこが結構困り者だったりもするんだけど、そうやって彼らが信じている「アメリカン・ドリーム」の虚しさ、というのも、実は彼らには見えているんだな、と。

多少ネタバレになりますけど、「グレート・ギャツビー」で描かれるのは、アメリカン・ドリームの挫折です。暗黒社会に足を突っ込んでまで、ギャツビーが手に入れた巨万の富、まさにアメリカンドリームの具現者としての彼が、その富によって実現した本当の夢。それは手に入れてしまえば、実は薄っぺらで、全く価値のないものであることが露呈したあげく、彼に孤独な死をもたらす。この小説が、あの、楽天的でいつも「No Problem!」を繰り返しているアメリカ人の心の琴線に触れるっていうのは、彼ら自身が、自分たちの追い求めているものにどこか不安感や孤独感を感じているからに他ならないのじゃないかな。

そういう不安感や孤独感を表に出して、共有することで癒しを得ようとするのが日本人なんですけど、アメリカ人っていうのはどこまでも戦闘的。先日、レディ・ガガが、子供の頃いじめられっ子だった経験をもとに、いじめっ子救済のボランティア活動をやっているという記事を見たんだけど、この活動は、「いじめられっ子が、いかに周囲からのいじめと戦うか」がテーマなんだよね。日本の場合、いじめっ子の「いじめ」という行為そのものをなんとかなくそう、という運動になるんだけど、米国の場合、「イジメ」という悪の存在を不可避とした上で、それに対してどう戦うか、自分の身を守るか、ということがテーマになる。さすが自衛のための銃携帯が国の基盤になっているだけのことはあるわな。

グレート・ギャツビー」、あんまり沁みたので、村上春樹版を購入してしまいました。これからしばらくの間の、通勤電車のお供になります。
 
・「カーネーション」を頭から見直しています

私よりも女房や娘の方がはまっているのだけど、先日終了した朝ドラ「カーネーション」を、頭から家族で見直しています。本当にすべてのセリフ、すべての場面が濃密で、全くすきのない素晴らしい作品。夏木マリさんになってしまってから、ただの成功したばあさんの自慢話になってしまって急速につまらなくなったのが残念でしたけどねぇ。(末期ガン患者役の中村優子さんと、江波杏子さんはよかったけど。)なんか、尾野真千子さんの出演期間が不自然に短くなったこととか、夏木マリさんへの交代直前という絶妙のタイミングで、共演男優との同棲、なんていうスキャンダルが出たこととか見てると、尾野真千子さんって、なんか北島マヤみたいに見えてこなくもないよね。たしか北島マヤも、国民的アイドルになりかけたところで、一度スキャンダルにつぶされちゃったよなぁ。さらに言うと、外国資本をバックにしたマスコミやスケート連盟につぶされかかっている浅田真央さんとも重なったりする。浅田真央さんと尾野真千子さんの共通項は、どんなに周囲の政治力やマスコミの力がつぶしにかかってきたとしても、圧倒的に視聴者に受け入れられている実力者である、ということ。尾野さんは、朝ドラヒロインとして国民的女優になったり、アイドルになったりするような通俗的な人じゃなくて、もっともっと高いところで勝負してくれる人だ、と思うので、ヘンな圧力にめげずに、またその素晴らしい演技を見せてくれたらいいな、と思います。みんな尾野さんのことが大好きだよ〜。
 
・「みをつくし料理帖」シリーズ

以前、S弁護士に紹介されてから読み続けている、高田郁さんの「みをつくし料理帖」シリーズ。近刊の展開に目が離せなくなってきて、ここまで読み進めてくると登場人物たちにもどんどん思い入れが深くなり、もうすっかりハマっております。小説に出てくる料理を全部自分で作るこだわりは、細かいディテールへの取材の徹底さにも表れているし、何よりこの方は素晴らしいストーリーテラーなのだと思う。三田のすぐ隣の宝塚出身者、という共感もあって、その他の本(出世花、銀一貫)も読んでいますが、どれも波瀾万丈のストーリと、登場人物への愛情の深さで、思い入れたっぷりに読ませてしまう。筆力、という点では宮部みゆきさんとかには及ばないかもしれないけど、最近の宮部さんはストーリが長いばっかりでつまらないことが多いから、むしろ高田さんの新刊の方が楽しみなんだよなぁ。特に最新刊の「夏天の虹」では、これまでにない苦難や大切な人たちとの別れが主人公を襲ってくるだけに、涙なしには読めない一冊になっています。高田さんってのはサディストなんだよなぁ。「出世花」も「銀一貫」も、そこまでいじめんでも、というところまで主人公を追い詰めるしなぁ。澪と野江の二人が、なんとか幸せになってくれるように、江戸の裏店のおっさんになった気分で見守っております。これ以上澪をいじめないでやってくださいよー。