「歌でつづるアメリカの音楽史」〜見てきた人のお話はすごい〜

昨夜、女房が出演した「歌でつづるアメリカの音楽史」という演奏会を聴きに行ってきました。歌い手のみなさんの熱演もさることながら、解説の藤井多恵子先生のお話がとにかく面白く、もっともっと色んなお話を聞いてみたい、と思わせる素敵な演奏会でした。


「歌でつづるアメリカの音楽史
監修・企画・構成・解説:藤井多恵子
制作:佐橋美起
出演:
ソプラノ・・・井口慈子/海野美栄/大津佐知子/岡田智子/五月女淳子/佐橋美起/富永美樹
メゾソプラノ・・・井口雅子/川口美和/長茺厚子
バリトン・・・三塚 至
ピアノ・・・田中知子/朴令鈴

という布陣でした。
 
1620年にメイフラワー号が、いわゆるピルグリム・ファーザーズをイギリスからアメリカに運んだ時、彼らが持っていた音楽は、一冊の讃美歌の本だけだったのだそうです。伴奏楽器もなく、アカペラで歌われた讃美歌から、原住民のアメリカ・インディアンの音楽、西部開拓時代の音楽、黒人霊歌、と、アメリカの歴史と共に音楽をたどっていくと、この国の音楽が、実に多様な民族の固有の音楽を積み重ねた、豊穣な層構造をなしていることに驚く。イギリスから、オランダから、ドイツから、イタリアから、そして奴隷としてアフリカから連行された黒人たちも加え、世界各地から多様な民族が未開拓の大地に集まり、それぞれのルーツとなる音楽を持ち込み、コンサートホールさえない土地で生活に根差した音楽を醸成させていく。文化の成熟とともにコンサートホールやオペラハウスが生まれ、職業音楽家たち、あるいはドヴォルザークのような欧州の音楽家たちが米国で活躍を始め、次第に洗練された音楽が生まれていく中でも、欧州のオペレッタやチャールダッシュを貪欲に取り込み、それはやがて、米国独自のミュージカル、そして現代の映画音楽へと昇華されていく。

伝統を持たないからこそ、そして外からの移民を受け入れることで成立してきた新しい国だからこそ、新しい音楽や変革に対してどこまでも柔軟であり、どこまでも貪欲。そんなこの国のエネルギーと可能性を活き活きと語る藤井先生の解説は、この国の魅力に対する愛情とリスペクトに満ちている上に、何よりも、リアルにその現場を見てきた、音楽の成熟の過程に立ち会っていた、という共時性と臨場感に溢れていて、聞いていてひたすら圧倒される。

藤井先生みずからが、「私はね、本当にいい時期にアメリカにいたと思うの」とおっしゃる通り、藤井先生が米国で活躍されていた1960年代は、公民権運動を中心にアメリカという国が大きな変革の時期を迎えた頃でした。「私が行った頃は、まだバス停には、Colours、Whiteっていう標識があって、黒人はWhiteの列には並べませんでした。私はどっちに並べばいいのって聞いたら、君はWhiteでいいよ、って言われてね」なんて、にこにこと語られる語り口はチャーミングなのだけど、この国が潜り抜けてきた数々の苦難の歴史を、現地で目撃した生き証人としての圧倒的な説得力に満ちている。リンカーンセンターが新しくできた時にね、なんて言われて、我々にとってみればリンカーンセンターなんて歴史上の建物なんだけど、調べてみればこれが1962年に建設されているんですね。キング牧師のワシントン大行進をテレビの生中継で見て興奮した、なんてお話も、1963年の出来事。歴史上の出来事ですがな。

「ルビーンシュタインとアイザックスターンはね、パーキングですれ違ったことがあるの」「バーンスタインに直接キスしてもらえる機会もあったんだけど、都合がつかなくて逃しちゃったのよねぇ」なんてお話とか、違う人が話せばただの自慢話と聞こえてしまうだろうに、藤井先生に話されると、全然そんな嫌味がない。もっともっとお話を聞きたい、という気持ちになってくる。不思議だなぁ、と思いましたけど、結局、お話の中に、自分を偉く見せよう、とか、自分の功績を誇ろう、とするような脂ぎった色気がまるでないからなんだろうな、と思いました。第二次大戦で欧州から逃れてきた才能あふれる音楽家が集まっていた現場で、先生ご自身が実際に音楽を作っていた、という経験と実績、研鑚と知識に対する自信。そして、常に新しいものを取り込んで成長し続けるアメリカ、という国の魅力に対する純粋なリスペクト。「私って、すごい経験させてもらえたのよねぇ」「私って本当にいい時期にアメリカにいられたわぁ」とおっしゃる言葉は、実に無邪気でチャーミング。女房も、「楽屋で自分の出番の着替えをしながら、先生の解説聞きたいなぁってずっと思ってた」とのこと。本当に目からうろこのお話ばかり。

よく知っていると思っていた「線路は続くよ」がアメリカの労働歌だった、というのも実は初めて知ったことで、それも、過酷な労働現場で、「生きては帰れない」とまで言われた線路建設現場の労働者が、自らの厳しい状況を少しでも和らげようと、あえて楽しい歌を口ずさんだのだ、と聞いて、この歌に対する印象がまるで変ってしまいました。耳になじんだYankee Doodleが南北戦争の軍歌だったんだ、というのも、恥ずかしながら今回初めて知ったこと。もっともっとほかのアメリカ音楽の背景や歴史を聞きたい、と心底思いました。

歌い手さんたちも、耳になじんだ有名曲、ダンスやパフォーマンス付の曲、早口言葉や言葉遊びの歌、そしてミュージカル、と、実に多様な曲を熱演されていました。個人的には何と言っても、三塚至さんのバリトンにしびれました。お手本にしたいような甘い美声、立ち姿の凛々しさ。奥様の三塚直美さんも、新宿オペレッタ劇場で実に魅力的かつ正統派のソプラノを聞かせてくれる素敵な歌い手さんですが、旦那様がこんなに素晴らしいバリトン歌手とは存じ上げませんでした。切々と歌われた「老犬トレイ」では泣きそうになりました。

女性陣も皆さん頑張ってらっしゃいましたが、個人的な好みだけで言わせていただければ、アイドル歌手のようなキュートな魅力の富永さん、Bali Ha'iで優雅なフラの所作と美声を聞かせてくださった川口さんが特に好みでしたけど、一番耳に心地よかったのは海野さん。冒頭の讃美歌の声の響きの柔らかさにちょっと鳥肌が立ちました。

我が女房どの。GAG公演で英米歌曲を取り上げたこともあり、今回の企画には特別な思い入れを持って臨んでいましたね。端正に仕上げた「峠の我が家」のような超有名曲、ゴスペルの胸声も少し加えて迫力ある表現を見せてくれた黒人霊歌、舞台全体、会場全体を使って歌の魅力を引き出した難曲のチャールダッシュと、自分の持っている引き出しを存分に活かせた、いいパフォーマンスでした。藤井先生から学んだたくさんのこと、これからの活動につなげていけるといいね。こんな機会を与えて下さった東京室内歌劇場の皆様、そして、素晴らしいご指導をいただいた藤井先生にただただ感謝です。

「『聖者の行進』のSaintsという単語はね、きちんと複数で聞かせないとだめなの。キング牧師のワシントン大行進のとき、数えきれないほどの人々がみんな手をつないで一列になってずんずん進んでいった。あの行進みたいな圧倒的な存在感を聞かせなければ。だから、Saint、じゃなくて、Saints、ときれいに発音してください」

こんな説得力ある言葉でこの曲を指導できる人なんて、そんなにいないと思います。藤井先生、女房が本当にお世話になりました。これからももっともっとたくさん、米国歌曲の魅力を教えていただければと思います。素敵な時間を、ありがとうございました。


大草原の小さなサチコ、というお衣裳だそうです。