ナタリー・デセイリサイタル〜ひいきの歌い手さんというのはさ〜

今日、池袋の芸術劇場で開催された、ナタリー・デセイの歌曲リサイタルに行って参りました。先日サントリーホールであったほぼ同じプログラムを聞いてきた女房に、行かないと一生後悔するかもしれんぞ、と言われ、慌てて当日券で駆け込み。

オペラを歌うことを趣味にしていると、当然ひいきの歌手ってのができるもの。日本の歌い手だけじゃなく、世界まで目を広げれば、人気・実力ともに揃った様々な歌い手がいるし、世界に同じ声の人間は二人といないから、当然好みも分かれてくる。しかもオペラという総合芸術の中では、舞台に対する姿勢であるとか、その人の生き様、みたいな部分も見えてくるから、単純に、好き、というだけじゃなくて、色んな、好き、が生まれてきます。声が好き、演技が好き、容姿が好き。そして身体が楽器である歌手という存在には、時間経過による様々な変化が如実に現れる。昔好きだった歌手が往年の輝きを失っていくことを悲しんだり、円熟味を増して変化する、あるいは変化しないことに驚嘆したり。

ナタリー・デセイという歌い手が私にとって特別な存在なのには色んな理由があると思う。「天国と地獄」のDVDで、ソファーで飛び跳ねながら超高音をぶっ放していたのに度肝を抜かれてから、バリトン歌手とソプラノ歌手のご夫婦であることとかに妙な共感を覚えた、という個人的な思い入れもあった。もちろん、その人気を支える恵まれた容姿、演劇畑出身という経歴からくる演技力と身体表現の的確さ、完璧なブレスコントロールと音程の確かさ、楽曲への理解の深さ、そういう全てからくる一流のパフォーマンスにも魅了されっぱなしだった。

でも、そのどれをとってみても、もっと素晴らしいコロラトゥーラ歌いはいるし、演技力や容姿に恵まれた歌い手はたくさんいる。それでもやっぱり、私にとってデセイは特別で、一番の理由はその声なんだと思う。単に美声、ということじゃなくて、一度聞いたら忘れられない、そして他の歌手の声とは明らかに異なる、デセイの声、としか言いようがない声。絶頂期のその声の伸びやかさ、少女のように瑞々しいのに、時に血の通った人肌の温もりさえ感じるような艶かさ、エロスとコケットとノーブルが絶妙なバランスで混じり合う奇跡のような声。正統派ベルカントの響きからは異端とも聞こえるその声を、中音域から高音域、超高音域までコントロールする肉体能力と、その裏にある絶え間ない研鑽。

絶頂期の来日公演を聞いたからこそ余計に、声帯を痛め、手術をし、かつての輝かしさを失ってなお、新しいレパートリーで表現の最前線に立ち続けようとする今の彼女を見る時、次第に別の思いが加わってきた気がしています。多分一番近いのは、マスコミや様々な勢力のバッシングや周囲からのプレッシャー、自分自身の肉体の変化と戦いながら常に最高のパフォーマンスを求め続けてやまない浅田真央を見ている時の思いじゃないかと思う。満身創痍で、それでも自分のバトルフィールドに立ち続けるアスリートの姿に一番近い。ニューヨーク滞在中も、METのルチアやカーネギーの演奏を聞きながら、傷ついた声帯を高度なテクニックでかばいながら難度の高いパッセージを決めていく姿に、女房共々、真央ちゃんがトリプルアクセルやコンビネーションジャンプを決めた時のような思いで見守っていた気がします。

今回のリサイタルでは、確実に彼女の声帯が、その機能として、「この音が出せない」状態になっている、というのがはっきり見えてしまって、それが一番ショックでした。数年前まで、おそらくテクニックでカヴァーできていたものが、もう隠せなくなっている。中音域の特定の音に来ると、必ず声帯が割れる。でも、それ以外の部分は以前の輝かしさを彷彿とさせる響きとフレーズコントロールを見せてくれるので、聞いていて色んな意味で泣けてくる。これこそデセイ、という思いと、これをデセイと思わないで欲しい、という思いがごちゃ混ぜになる。凡庸な歌手のパフォーマンスに比べたらそりゃあ素晴らしいんだけど、でも絶頂期の彼女はこんなものじゃなかったんだ、と叫びたくなる。

そんな中で、唯一パーフェクトな歌唱を聞かせてくれたのが、ラフマニノフのヴォーカリーズ。曲の途中から涙が止まらなくなるような素晴らしい演奏で、これがデセイ、と胸を張りたくなる。もう完全に「うちの子」状態。

女房とも話してたんですが、今のデセイには、自分の身を削ってそれでも舞台に立ち続ける、という、何処か、あしたのジョー巨人の星みたいな破滅型のパフォーマンスを感じることがあって、もうやめて、と言いたくなる時もあります。もういいよ、あなたはもう十分にやったよ、と。今回も、アンコールを二曲も歌いましたし、最後に歌ったフォーレマンドリンは見事にまとめていましたけど、それでも、完璧主義のデセイさんが、今のパフォーマンスに満足しているはずはない。それでも舞台に立ち続ける姿に、どこか、今の自分の精一杯を聞かせるしかない、という開き直りと、その姿を晒す勇気のようなものまで垣間見る気もしました。

フレンチヴォーカルスタイルをリニューアルした、と言われるデセイさんですが、逆に、イタリアベルカント唱法がいかに長持ち唱法であるか、ということの一つの反証にもなっている気もする。70過ぎても現役、なんてザラですからね。もちろん、デセイさんもそんなに簡単に終わってしまう人じゃなくて、同じくネオフレンチボーカリストの人気歌手であるプティボンさんと組んで、シャンソンとか洒落っ気たっぷりに歌っていたりするから、まだまだこの人は一線退く気は無いな、と安心してはいるのだけど。