さて先週はどう過ごしたかと言いますと

先週の土曜日の娘の運動会以降、相変わらずそれなりに活動的な日々を過ごしております。週末の活動をリストアップしてみますと、
 
カーネギーホールに行って、METのオケの演奏会を聴きに行く。
・日曜日は家族で「江」を見ております。ドラマとして楽しんでいる、というよりも、このトンデモドラマにてんこ盛りの突っ込みどころを見逃すまい、という、かなり邪な動機。
・娘と女房が日本にいたころにすっかりハマった「デカワンコ」、パパも是非見なさい、とのことで、You Tubeなどでチェック中。トンデモドラマのように見せておきながら無茶苦茶よくできたドラマ。「江」とは相当趣が違う。
・土曜日は、ハドソン川沿いにあるRiverside Palaceの家具屋さんで家具を購入。地下にあるゲスト部屋に置くテーブルと椅子。これでゲスト部屋の調度は一応揃いました。
・今日は、朝からパパはChelseaでお仕事。娘と女房とお昼にChelsea Marketで合流。娘も女房も、Chelsea Marketの雑貨屋さんが気に入って、そのあと家族でハイラインを散策。
 
てな感じです。印象に残ったことをいくつか。

先週の日曜日(15日)は、カーネギーホールに家族3人で行き、Metのオケの演奏会を聴きにいく。女房が、「まだカーネギーホールに行ったことがない」と言いだし、折角なので、ナタリー・デセイさんとMetが共演する舞台を聴きに行こう、という話になりました。娘も、デセイさんの出演したオペラ舞台をDVDでいくつか見ているので、「生デセイさんは初めてだぁ」と言いながら付き合ってくれました。

開演前にカーネギーのギフトショップに立ち寄ると、「練習」と書かれたワッペンが売られている。裏を見ると、「Practice Practice & Practice」と書かれている。周りをみると、同じ、「Practice...」と書かれたTシャツやトートバックもある。なにか、カーネギーにゆかりのある言葉なのかね、という話を女房としておりました。あとでネットで女房が調べた所によると、マンハッタンでカーネギーホールへの行き方を尋ねられたルービンシュタインが、「カーネギーに行くには、練習、練習、そして練習だ」と言った、というエピソードに基づくもの、とのこと(ルービンシュタインではなく、ハイフェッツだ、という説もあるそうな)。カーネギーホールのウェブサイトには、

"While it takes some people a lifetime of practice to get to Carnegie Hall (as the saying goes), others just have to follow these simple directions."

「(昔からある冗談にあるように)カーネギーホールに行くには、ある人々は生涯をかけて練習し続けなければならないが、 そうでない人は下記の簡単な方法に従うだけで良い。」

という文章の後に、道案内の地図が掲載されているそうです。ニューヨークらしい洒落っ気と、芸術にかけるプロの矜持を感じるエピソード。

演奏会の方は、前半がベルクの「ルル」の抜粋、後半はデセイさんのレパートリーを数曲と、シュトラウスの「ドン・ファン」、という構成。演技巧者のデセイさんと、ファム・ファタールの「ルル」の組み合わせというのは、演劇的には確かにワクワクするけど、前半の、まだ喉が温まっていないところで、ドイツ語の難度の高いルルのアリア、というのは、ちょっとデセイさんには酷だった気がする。高音の響きがどうしても無理やりずり上げているような感じがあって、ところどころハラハラするのだけど、持ち声の美しさとオーラ、そして何より、NYの観客がデセイさんを熱狂的に愛している空気が伝わってきて、それが心地よい。最後のマスネのマノンのアリアは、完全に自家薬籠中の一曲で、曲の途中で思わず拍手してしまった聴衆を人差し指でちょいちょい、と抑える仕草も会場を盛り上げて、アンコールには、METのデセイさん人気を決定付けた、「連帯の娘」のアリアで締めくくり。娘の感想は、「デセイさんは美声でっせー」、ということで。


バルコニーの端っこの席。でも十分楽しかった。「ドン・ファン」はMETが楽しそうに演奏していて、無茶苦茶上手な学生オケみたいな勢いがカッコよかった。
 
「江」のことをクソミソにけなしている骨太大河大好きな人のHPを女房が紹介してくれて、そこには、「江」の脚本家が、自由恋愛至上主義、みたいな思想に堕しているんじゃないか、なんて指摘がありました。最近の民主党政権の全員合議、過程は不明、結論は無茶苦茶、みたいな精神風土、震災時に買いだめに走ったオバサンたちの行動原理、全てに共通しているのは、団塊世代の自己中心主義なんじゃないかな、という気がする。(それが真実かは別として)全体主義を究極的に突き詰めた結果、として、太平洋戦争を位置づけたことで、戦後、個人を集団よりも優先する思想、機会平等よりも結果平等を優先する思想に染まった世代が、地震よりも前に日本の屋台骨をガタガタに破壊していたんじゃないか。

そういう世代の人たちが、自分のしょっている大看板を振り上げて、妥協点や現実的な行動指針を見つけることも示すこともできず、自分たちのエゴをひたすらぶつけ合って無為に時間を消費している。その姿を横目で見ながら、軽やかに、でもかなり真剣にパロディーを演じている「デカワンコ」の世界の方が、よっぽど好感が持てる気がする。思想信条とか、大義、なんてものを真正面から振りかざしている大人たちが、東京で生活用品を買いだめ、停電にぶつぶつ文句を言う。そのわきで、とにかく被災地に飛び込んで、泥に汚れた写真を丁寧に洗っている若者がいる。とりあえず、日本の若者たちよ、45歳を過ぎた大人の言うことを信じるな、ってことか。オレも45歳過ぎてるな。ダメか。
 
以下は、今日のチェルシーマーケットとハイライン散策の写真。天気が少し悪かったけど、マンハッタンのお洒落スポットを家族で楽しみました。


チェルシーマーケットの中。もとは精肉工場だった建物を、お洒落に改築した建物。週末は観光客や地元のお買いもの客でにぎわいます。


ハイライン。工場の間をつないでいた高架鉄道廃線跡を公園にしたもの。マンハッタンの新しいランドマークです。