昭和歌謡ってマーケットあると思うんだけどね

先日の合唱団「麗鳴」で取り上げたヒットメドレー「YUME」をやってて思ったことなどを、今日はつらつらと。

「YUME」は、三沢治美さんが編曲している混声合唱のためのヒットメドレーのシリーズで、1960年代〜80年代くらいの昭和歌謡混声合唱用にアレンジしたもの。やってて思ったんですけど、昭和歌謡ってやっぱり力があるんですよね。何に力があるって、メロディーに力がある。旋律がものすごく魅力的で、一度聴いたら忘れられないメロディーライン。

最近のJPOPって、旋律線よりもリズムが重視されている感じがあって、いわゆる「歌い上げる」感じの曲が少ない印象があるんですよね。皆無じゃないとは思うんだけど、伸びのある歌声をがっつり乗せられる肉厚のメロディーラインを持った歌って、あんまりない気がする。声で聴かせる歌も、声のパワーやメロディーよりも、耳元で語りかけるような語り口を重視している感じがする。それって、音楽をライブで楽しむよりも、スタジオ録音されたデジタル音源をイヤホンで聴く楽しみ方が主流になってしまった技術的な背景も大きい気がするんですけどね。歌い上げる系の歌い手さんももちろん沢山いるんだけど、そういう方たちが影響を受けているのはむしろゴスペル系の歌い口で、吉田美和さんなんかを聞いていても、メロディーラインよりも8ビートのリズムが重視される感覚がある。

骨太のメロディーラインを歌い上げるかつての名歌手の歌い口を聞いていて、女房がぽろっと、「乾いた明るい響きがする」という。笠置シヅ子さんとか、藤山一郎さんとか、ものすごく開放的に声が飛ぶ感覚がある。昭和歌謡の歌い手も、どこかの時点(美空ひばりかもしれないし、山口百恵かもしれないし、そこはよく分からないんだけど)から、会場を鳴らすことよりも、マイクに自分の声をきちんと100%乗せていく、少し湿り気のある歌い口にシフトしていって、まず会場を鳴らす声をしっかり作って、マイクに乗せるのは会場を鳴らしている声の一部でいい、というかつての発想から転換していった時期がある気がするんですよね。録音技術や音響技術が、声の表現自体を変化させていくプロセス。

逆に言えば、かつての昭和歌謡って、ホールを鳴らす発声技術をベースに書かれているから、ベルカント唱法との相性がいい気がするんです。となると、今の日本でベルカント唱法をきちんと身に着けて、メロディをラインとして表現することを追求している歌い手しか、かつての昭和歌謡の名曲をきちんと歌うことができないんじゃないかな。今のJPOP歌手が歌う昭和歌謡のカバーって、なんとなく別物の感じがするもんね。となると、昭和歌謡のオリジナルの魅力をしっかり伝えられる歌い手っていうのは、メロディをラインとして表現できる演歌歌手とオペラ歌手と合唱団しかないんじゃないか。おお、すげー極論。

一方で、昭和歌謡って、今後結構マーケットの成長余地がある気がするんですよね。これから日本の消費を支える大きな母体になる、会社をリタイアした団塊の世代にとっての最大の音楽的娯楽って、学校唱歌でもなければ、民謡でもなければ、演歌でもない。戦後日本で急成長した昭和歌謡なんじゃないかなぁ。

少し前に、ガレリア座で「美しいエレーヌ」をやった時に、私のもらったセリフの中に、「夢で逢いましょう、なんてそんなことできるわけないよなぁ」というセリフがあって、自分のアドリブで、「夢で逢いましょう」の部分だけ、あの「夢で逢いましょう」のメロディーで歌ったら、びっくりするぐらいに会場のお客様に大受けして、二重の意味で驚いた経験があります。オペラやオペレッタを見に来るお客様ってのは、そういう年代の方々が多いんだな、という驚きと、昭和40年代のテレビ番組の持っていた影響力の大きさへの驚き。

実際、先日麗鳴でゲスト出演させていただいた、つくい合唱祭という相模湖でのイベントで、アンコール代わりに「見上げてごらん夜の星を」を歌ったら、会場を埋めたお客様が、歌詞カードもないのに全員暗譜で大合唱。多くのお客様が団塊の世代の方々とお見受けしたんですけど、こういう方々向けに昭和歌謡をがっつりお聞かせする演奏会って、結構需要がある気がするんだよねぇ。オペラ歌手や上手な合唱団を組織してさ。だれか企画してくれんかしらん。