「ほーい」のこと。乱丁でがっかりしたこと。

今日は久しぶりに、日常生活の重箱の隅をつつくようなお話をば。

会社の近くにあるコンビニにはいつも大変お世話になっていて、朝から晩までコンビニ弁当、なんてこともたまにある。そうなってくると、レジの店員さんも見慣れてきて、この人はレジ打ちが早い、とか、この人はお弁当にお手拭を入れてくれない、とか、その人それぞれの癖みたいなのもわかってくる。混んでいる時にはレジ打ちの早い人の列に並んだり、とか。

その中の一人に、とてもフレンドリーで、なおかつテキパキと作業をこなす手練れの店員さんがいる。なかなか美人で愛想もいいので、わが社の社員の間でも人気者。この方のレジの時のしゃべり口が、ちょっと独特なんだね。語尾が伸びるんだ。「500円でーす」「1000円お預かりしまーす」、てな感じ。極めつけは、「はい」という返事で、「はーい」と伸びるだけじゃなくて、どっちかというと「ほーい」に近い音になる。ある意味堅苦しくなくて、親しみを感じる語り口ではあるんだけど、ちょっと不思議な違和感あり。

そう思っていたら、先日娘の携帯を買いにいった窓口のお姉さんも、同じように「ほーい」と返事をしていた。この方も非常にてきぱきした「できる女性」っぽい方だったので、ひょっとしたらそういう方に共通する傾向なのかな、なんて思ったり。要するに、マニュアル通りの堅苦しい応対ではなく、自分なりにお客様への親しみや親身になったサービスを表現しよう、とする意欲や余裕のある方が、ため口、までいかないけれど、ちょっとフレンドリーな表現をしよう、とした時に、「ほーい」ってのが出てくるのかもしれない。決して不愉快なわけじゃないし、そういう応対に安心感や癒しを感じることもあるので、否定する気は全くありません。単に、面白いなぁ、と思うだけ。でも、銀行の窓口の係りの方やお役所の窓口の方が、「ほーい」って言い始めたら、ちょっと違和感あるかもねー。

さらに重箱の話。ジェームズ・ロリンズのシグマシリーズ、最新刊の「ユダの覚醒」が出ていたので早速購入、例によってハリウッド的ジェットコースター展開を楽しむ。俺ってこういう衒学的な話ってのが好きなんだなー、と改めて思う。今回のネタはマルコ・ポーロなんだけど、早速ルパン三世のTVスペシャルが同じネタをパクっていてびっくり。アンテナの張り方が半端ないね。

でも一番重箱的に驚いたのが、乱丁・誤植の多さ。上下巻二冊の文庫本で、気が付いただけで4〜5か所あった。ヒット中のシリーズだから、とにかく早く翻訳して文庫にして世に出そう、と思ったのかもしれないけどね。それとも初版本ってのはそういうものなんだろうか。

同じ乱丁でがっかりしたのが、村上春樹翻訳「リトル・シスター」。先日村上春樹訳の「グレイト・ギャツビー」を読んで、いいなぁ、と思った流れで、同じ村上訳の「ロング・グッドバイ」を読んで改めて陶酔。味をしめて、「さよなら、愛しい人」、と「リトル・シスター」と読みつなぎました。読みなれた清水俊二訳のフィリップ・マーロウより、村上訳のマーロウの方が等身大に見えるのは、村上訳の現代性もさることながら、自分自身の加齢のせいが大きい気がする。マーロウの年齢を若干超えてしまったからなぁ。

「リトル・シスター」は結構強引な筋運びを、チャンドラー流の斜に構えた洒落た警句を乱射して乗り切っていく話なんだけど、なんとなくラストシーンで泣ける。そのラストのページで、勘弁してくれよ、というような改行ミス、という乱丁があって一気に興ざめ。これも初版本だからしょうがないんだろうか。アダージョピアニッシモで突然携帯電話が鳴りだしたみたいな感じでがっかり。

こういう重箱の隅的なことでぶつぶつ言うってのも自分がオッサンになったせいかもね。いいじゃないの、多少乱丁あっても、気にすんなよ。そう言われればそうなんだけどさ。TVのテロップでも変換ミスの誤植とか、最近妙に目につく気がする。そういう些細なところも、決して手を抜かなかったメイドインジャパンの品質そのものが劣化してきている証左だとしたら、やな感じだよねー。