「海辺のカフカ」「アフターダーク」〜読書感想文が書きたくなる小説〜

最近再び読み始めた村上春樹さんの小説、2冊を立て続けに読了。1995年の精神的カタストロフを経て、新たなメッセージを発信し始めた村上さんの、深化し続ける世界観にどっぷりと浸る。

村上春樹さんの作品については、この日記で何冊も取り上げているのですが、思わず色んなことを語りたくなる、不思議な高揚感を与えてくれる小説が多いですよね。「アフターダーク」のような軽めの小説でもそうだし、日米でベストセラーになった「海辺のカフカ」にしても、読者が読書感想文を書きたくなる小説、という感じがすごくする。(以下、ネタバレ記述が多少出てくるので、未読の方はご注意ください。)

最後まで明かされない沢山の謎が散りばめられていること、あまりに魅力的なディテールの描きこみ。そういう読者側の「突っ込みどころ」「思い入れどころ」が沢山ある、というのも、「読書感想文意欲」をそそる一因。また、以前この日記に書いたように、描かれる世界の「同時代性」というのも一つでしょう。村上さんは、その時代の風俗や固有名詞を描きこむが実にうまい。同時代性と普遍性を合わせ持つように慎重に選択される固有名詞たち。「アフターダーク」の舞台になるのは、「ファミリーレストラン」ではなく、「デニーズ」だし、「海辺のカフカ」のホシノ青年は中日ドラゴンズの帽子をかぶっている。描かれる世界の同時代性が、読者の共感を引き出し、登場人物と自分を同化させていく。同化と共感の果てにたどりついたミステリアスな結末に対して、読者は、何かを語りたい気持ちで一杯になる。

そうして語られた「アフターダーク」のネット上の書評には、「村上春樹さんらしくない」という声も結構多いようなんですが、後述するように、日常生活の隣にあるパラレルワールドと、その境界線に立ってしまった人々のドラマ、というテーマ自体は、過去の村上作品と共通している。共通したテーマを取り上げているのに、新しい作品を出すたびに、「村上さんらしくない」と言われる、というのは、実はとても稀有な作家なんじゃないかな、という気がします。つまりは、常に常に新しいチャレンジと新しい文体を模索し続けている・・・ということの結果なんでしょうね。一度つかんでしまった自分の文体を一旦クリアにして、また新しい文体から始める・・・というのはすごく勇気がいることだと思うのだけど、村上さんはそれを常に続けている気がする。

そういう「村上春樹らしくない」という意味で印象深かったのは、「海辺のカフカ」にせよ、「アフターダーク」にせよ、今までの村上春樹小説の主人公たちよりもはるかに年齢が若いこと。こういうティーンエイジャーを主人公に持ってきたために、どちらの物語も、一種のジュブナイルとしての性格を持っている。そういう小説の性格の変化・・・というのも勿論面白かったのだけど、村上さん自身が年齢を重ねていく上で、同世代よりもむしろ、若い世代に対してメッセージを発信していくことに意義を見出し始めたのかな、という気がしました。もちろん、若い世代だけじゃなく、我々オジサンの心にも十分響く物語なんですけどね。

前述したように、二つの作品と過去の村上作品は全くタイプが違うのだけど、実際には、「海辺のカフカ」にも「アフターダーク」にも、村上さんが描き続けてきた普遍のテーマが底流にある。喪失感。パラレルワールド。死と再生。そして、不条理と暴力に充ちた1995年を超えて、村上さんの小説に現れたもう一つのテーマである、「絶対的悪」。

海辺のカフカ」に現れるジョニー・ウォーカーや、ナカタさんが境界の扉を開いてしまうエピソード。「アフターダーク」で描かれる白川の凶悪と、ラストシーンの携帯電話からの声。秩序と静穏を求める人の営みと、それを原始の混沌に戻してしまおうとする凶暴な意思。95年以前は過去へのノスタルジーを語ることが多かった村上さんは、95年以降、「絶対的悪」に抗しつつ、希望と不安の渦巻く未来に向かって前進する、期待感に充ちた物語を描き始めた。95年以前の小説よりも、それ以降の村上さんの小説の方が、切迫感や緊張感のレベルが格段に上がっている気がする。皮肉なことに、絶対的な悪、完璧なまでの不条理というテーマを得たことで、村上小説の世界はぐっと深みと広がりを増した気がしています。

でも、そういうあんまり難しいことを考えずに素直に楽しめたのは、「海辺のカフカ」のナカタさん編の中に出てくる数々のギャグ。ナタカさん編は、「絶対的悪」が目に見える形で現れる物語なので、ものすごく読むのがつらくなるシーンも沢山あるのだけど、一方で、カーネル・サンダースとホシノ青年のやりとりや、ナカタさんのとぼけた語り口に、何度となく吹き出しそうになる。以前から思っていたのだけど、村上春樹さんというのは優れたユーモア小説家でもあって、「神の子供たちは皆踊る」のかえるくんとか、初期の「風の歌を聴け」シリーズなんかにも、思わずニヤニヤしてしまう笑えるシーンが一杯ある。カーネル・サンダースのセリフなんか、村上さん自身相当楽しんで書いてたんじゃないかな。

面白いなぁ、と思ったのは、カフカ少年が終盤にたどり着く、死と再生の場所が、四国の森の中にある、という設定。カフカ少年はそこに入り、そこから出て行くことで、「再生」を遂げる、どこかしら母の子宮を思わせるような場所なのだけど、四国の森の中での再生・・・というと、すぐ思い出すのが、大江健三郎の「同時代ゲーム」であり、坂東眞砂子の「死国」ですよね。村上さんが「同時代ゲーム」を意識して「海辺のカフカ」の舞台に四国を選んだかどうかはよく知らないけれど、四国と言う土地が、なんとなくそういう神秘性のある土地であることは確か。古くは崇徳上皇が恨みを呑んで死んだ地であり、坂東眞砂子の数々の小説で描かれる神話的な土着の習俗が今も生きる土地。松山市近辺しか行ったことがないのだけど、四国というのは、実は日本の中でも、様々な精神世界=パラレルワールドに極めて近い土地なのかもしれない、なんて思う。